3.6 時間の相貌(4)
過去と未来
ある時間幅を持った「今」だけが存在する、と前回述べた。過去も未来もその「今」の中に存在し、そこ以外には存在しない。
「~の最中」として捉えられたものが「今」である。つまり「~の最中」の「~(意図や行為)」が時間を生み出す。「今」において物事が生起するというよりも、物事の生起によって「今」が与えられる。言い方を変えれば、常にその都度「今」を創造している、とも言える。同じように、「過去」も「未来」も常にその都度、創造されるものなのだ。
机の上に、右に未処理箱、中央に作業スペース、左に処理済箱が置かれている、とする。右に積み重なった書類が、次々に中央で処理され、左に移る。これが「今」における時の流れを作り出す。机全体を「今・作業中」と捉えた場合、右が今における未来(到来しつつあるもの)、左が今における過去(過ぎ去りつつあるもの)、と言える。右側を「今やるところ」と表現すれば、左側は「今やったところ」であり、真ん中は「今まさに」(ちょっと右寄り)とか「たった今」(ちょっと左寄り)とか「今しているところ」とか言われる。
「~の最中」はいくらでも細分化できると前回書いた。「朝食の最中」は、その中の「今、コーヒーを飲むところ」とか、さらにその中の「コーヒーカップを持ち上げて口に運ぶところ」とか・・・
「コーヒーカップを持ち上げて口に運ぶところ」と捉えた「今」の中には、実は「コーヒーカップを持ち上げ」→「口に運ぶ」という二つの動作が前後関係を持って連結している。つまり、「大きい今」の中に「小さい今」が入れ子に成っているわけである。
「大きい今」と「小さい今」の二重の視点を重ね合わせることによって、「大きい今」の中に「小さい今」の連続が把握され、それが「過去」や「未来」となる。これが「今」のフィールドと地続きになった「過去」と「未来」であり、その中で「過去」から「未来」へと時は流れる。
それとは別に、「今」のフィールドから切り離され、いわば陳列棚に置かれた「過去」と「未来」もある。
例えば博物館に陳列された縄文の壺がある。解説文を読みながら縄文時代を想う。この「想い」によって縄文時代が作られる(想起される)。壺も「想い」も「今、ここ」に属している。縄文時代も「今、ここ」において、想われるたびにその都度作られるものなのだ。壺が現代に制作られた偽物でもかまわない。解説文がのちに学問的に否定される間違ったものでもかまわない。「想い」の内容が想われたもの(過去)を決めるからだ。間違っていると知ったとき、そのときに想われる内容が変わる。
過去の記憶というのも、いわば脳内の図書館に陳列された本のようなものだろう。本を探し出して開き、読んでみて始めて内容が分かるのだが、その内容は「読み取り」に依存している。読むことが、その都度新たに内容を作り出すのだ。
いわば読むことは演奏である。楽譜は演奏されることで内容(音楽)が現れるが、奏者によって、楽器によって、音色が異なり、音楽も異なる。同じ本でも読むたびに別の内容を発見するのも、同じ理由である。
過去(の記憶)は思い出すこと(想起)に依存している。思い出す今その都度、思い出が作られる。思い出すこと(想起)の文法(言語)的形式が過去表現(時制やアスペクト)なのである。
過去(の非存在)に比べれば、未来(の非存在)はもっとわかりやすい。そもそも「未だ」「ない」ものの話だから。未来は「予想」「推量」や「予定」「意志」「欲求」の形式で今に現れる。英語の場合は意志の「will」を使うことが多いようだ。未来を意志に従わせようという発想があるのかもしれない。
日本語に未来時制がないことは学校文法でも認めている。「明日の夕食」という未来の事柄は、今において「カレーだろう」と「予想」したり、「カレーになっている」と予定されていたり、「カレーにする」と意志したり、「カレーがいい」と「欲求」したりする。特定の文法形式(未来時制)ではなく、それぞれの意味を持った動詞や助動詞が担っている。
「予想」や「推量」では、主観的な確信の度合いによって「かもしれない」「だろう」「はずだ」「違いない」「決まっている」などの表現が使われる。また、「転びそう」「雨が降りそう」というような対象の様相・予兆を「動詞+そう」の形で表す(主観性の薄い)表現もある。その程度や強弱を表す「たぶん」「きっと」などの副詞が日本語にはやたらと多い。これらの表現は、そのまま「他者」についての言表にも使われる。「未来」も「他者」も本質的に「分からないもの」だからなのだろう。
ついでに言えば、(欧米語と比較して)日本語では、未来を「する」(意志・行為)の相よりも、「なる」(自然・生起)の相で捉えることが多いような気がする。この問題は別のところ(たぶん自動詞・他動詞)で考えることに「なる」だろう。
まとめ・・・
今(現在)とは経験世界(生きられる世界)のことだ。経験されるものはすべて「今」である。その意味で「今」しか存在しない。
過去も未来も経験される限り「今」に属している。その経験の仕方の違いが、「今」とは違う「過去」や「未来」を(今に)出現させる。「過去」は想起的に出現し、未来は予想(推量)的に出現する。
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