1.3 日本語に主語はない(3)

 ここでいきなり日本語の核心に迫ろう。

 今まで述べたように、日本語の構造は主語→述語とはなっていない。英語のようにまず中心となる主語があって、それがどうした、どうなのだ、という述語が後に続くという構造ではない。学校の文法(学校文法と呼ぶ)で教えられた「何が」+「どうした」という構文はウソなのである。

 英語は確かに主語中心である。どんな場合にもまず主語を決める(提示する)。でないと述語(動詞)が決まらない。amなのかareなのかisなのか、あるいはdoなのかdoseなのか・・・

 それに対して日本語は述語が中心。あえて言えば述語中心主義――べつに「主義」というほどのことではないが、そこに思想性が感じられる――と言える。(ついでにいえば、主語的論理を述語的論理で批判(脱構築)したポストモダン思潮に通じるモノがありそうだ)

 試しに、最小文型について考えてみる。

 英語では「基本5文型」――S+V、S+V+C、S+V+O、S+V+O+O、S+V+O+C――というのがあるが(受験勉強がなつかしい)、その根っこにある必要最小限の構成は、全部に共通するS(主語)+V(動詞)ということができるだろう。英文法がどう説明しているかは知らないが、とにかく英語の最小文型はS+Vであり、それに目的語や形容詞が加わっていくと考えられる。そして、V(動詞)はS(主語)に従って変化する。つまり、主語とそれに従属する動詞の2語が最小基本単位である。

 日本語の最小文型はズバリ「一語文」、述語ひとつで文が完成する。

 「ウナギだ」(名詞文)、「おいしい」(形容詞文)、「作った」(動詞文)、これだけですでに文なのである。それだけでは状況が分からないという場合には、必要に応じて説明を加える、というのが日本語の構文の基本である(と、ぼくは思う)。まず述べたいことが「述語」で提示される。その述語に対して必要があれば「何が」「何を」「何に」などの説明を補う(補語)。英語では主語の位置に置かれるはずの「何が」も、日本語では補語のひとつなのである(と、ぼくは思う)。

 (ちょっと注釈……名詞は述語ではないので名詞だけでは文にならない。つまり「ウナギ」(名詞)+「だ(である)」(述語)で、正確には一語文ではない。ダ文でした)

 好きな人を前にして告白するとき、「愛している」とか「好きだよ」と言うのが普通で真っ当な日本語である。間違っても「わたしはあなたを愛します」とは言わない。

 「好きです」だけでは不十分に感じるなら補語を補う。「あなたが好きです」の場合は、好きな対象を特定しないと不十分だと感じるから「あなた」を補うのであって、意味としては「(ほかにも人がいるが)好きなのはあなたです」ということである。さらに「わたしは」を補う必要があるとすれば「(他の人が何と言うか知らないが)わたしはあなたが好きです」ということだろう。ようするに、言葉を補うほど状況は怪しくなってくる。逆に言えば、状況が怪しい(複雑)からこそ、言葉を補う必要が出てくるのである。

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