4.3 動詞の効力

 前回、能動性・受動性という意味上の働きの違いとして動詞を捉えてみた。今回はそれをもう少し具体的に考えてみたい。

 英語では他動詞は直接目的語をとり、その目的語を主語とした受け身文が作れる、ということであった。(繰り返すが、この説明を日本語に持ってきてはいけない)

 He burned it.→ It was burned by him.

 「彼はそれを燃やした」→「それは彼に燃やされた」

 他動詞と受け身文が1対1で対応しているのが英語である。だから機械的に書き換えが可能(テスト問題に出るように)なのだ。

 しかし、日本語はそうではない。例えば「燃やしたけど、燃えなかった」という表現が日本語では可能だし、ごく普通のことだ。英語でこのように言うと矛盾・ナンセンスとされるだろう。この違いは何だ。

 burn は「燃やす」という意図・行為が「それが燃える」という達成(ゴール)に至ることを含んでいる。つまり、英語の他動詞の多くは対象に働きかけて、その対象が変化すること(まで)をいう。だから反対にその対象が変化を受けたという受け身形が作れるのである。これは「結果」と「原因」の結びつき(責任)意識が強い言語といえる。

 日本語の「燃やす」(他動詞)は対象への働きかけ自体に焦点を当てており、ゴールに至ったかどうかまでは含意していない。意図や作為に着目し、「燃やす」という意図は、結果ではなく、その行為に着手した時点で実現したことになり「燃やした」と語形変化する。

 時制のところで説明した「飲む」「飲んだ」の例と同じである。コーヒーを「飲む」という行為(意図)は、カップを口に運び、今まさに液体が口に入ったとたん「飲んだ」と実現する。だから「飲んだ」は過去形ではなく、実現型としたのである。

 何が実現したか。行為が結果において実現したのではなく、行為の意図が着手によって実現したとみるのである。

 英語と日本語ではフォーカスの位置が異なり、動詞の作用の範囲や効力が異なるのである。だから、「燃やす」意図にフォーカスして、その行為に着手した時点で「燃やした」になるが、次にその対象にフォーカスしてみると「燃えなかった」り、「焦げた」だけだったり、部分的に燃えたり、燃えつつあったり、全面的に燃えたり・・・などがありうる。

 意図の達成と着手の区別。他へ向かう行為だから他動詞「燃やす」(能動性動詞)で、その行為を受ける方にフォーカスすると自動詞や受け身(受動性動詞)となる。図示すると、こうだ。

  動作主 →→→→→→…………… 対象

  意図→動作 →→→作用→→…… 変化(結果)

  他動詞→実現型(意図実現)…… 自動詞

  「燃やす」「燃やした」→→…… 「燃えた」

           ←←←← 「燃やされた」(受け身)

 右の他動詞に対して、普通は左の自動詞が来る。このフォーカスの移動とともに動作主の存在(作為)が消されてしまうところに日本語の大きな特徴がある。逆に動作主を示唆したり迷惑(被害)の気持ちを込めたいときには他動詞の受け身形を用いる。また、右側は「燃えなかった」は可能だが「燃やされなかった」は矛盾・ナンセンスとなる。自動詞「燃えない」は対象である「それ」の状態に言及しているだけで、動作主とは一応切り離されているのに対して、受け身形「燃やされない」は動作主の行為「燃やす」に言及しているため、「燃やした」のに「燃やされない」では矛盾する。

 英語の他動詞は作用の→が対象にまで届いているのに対して、日本語の場合は途中で効力が薄れて…になってしまう。つまりフォーカスを向けた事物にかかる動作の向き(→)が重要で、行き着く先はまた別の話なのだ。他へ向かう→をもつ動詞が他動詞、→を持たないのが自動詞、他からの→を受けるのが受け身表現というわけである。(「受ける」のような受動的な意味をもつ他動詞をどう考えるか? ちょっとペンディング)

 動作主が自動詞の場合は→を持たないので、対象には対応する自動詞(別単語)がくる。

  「行く」…………「着く」

  「行った」けど「着かなかった」(○)

  「行った」けど「行かなかった」(×)

 ところで「言う」は他動詞とされているけど、直接目的語に作用が向かうタイプではない(相手に向かう)。「言った」けど、「言わなかった」(×)「言われなかった」(×)→「言った」けど、「聞かれなかった」(○)。形からは自動詞に近い。「彼は小言(目的語)を言った」は確かに受け身形にして「小言は彼に言われた」とすることも可能だが、外国語の翻訳風だ。むしろ「彼に小言を言われた」とするほうが自然だ。

 また「飲む」とか「殴る」とかの動作と対象が密着したタイプの動詞では対応する自動詞がなく、代わりに可能動詞を持ってくる。「飲んだ」ら「飲めた」、「飲んだ」けど「飲めなかった」。「殴った」ら「殴れた」、「殴った」けど「殴れなかった」。ここにはフォーカスの移動はない。

 また、ARU系自動詞に対応する他動詞の語尾にERUが多く、それは「得る」ではないかと前回で書いたが、ここではズバリ可能のERUが出てくる。このERUには受動性や能動性の→の力を弱める(反対の力を持つ)働きがあるのかもしれない。

 この問題は突っ込むとおもしろそうだが、とりあえず先に進もう。

 次は日本語表現でのフォーカスの向け方を見てみる。

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