第2話 あれから
どれだけの時間が過ぎたのだろう。
一日か一週間、はたまた一年は経過しているのかも知れないが、暗闇に囚われたままの俺には分からない。
けれど、そんな俺でも一つだけ分かる事がある。それは、この地獄が未だに終わっていないという事だ。
◆
昼夜も分からない時間に全身を襲う激痛で目覚め、何処がとか、どのようにとかは無くただ全身が"痛い"と言う信号に苛まれる。そしてそれは決まって、悪魔に何かを注入されるまで続いた。
最初は激痛に耐えながらも抵抗はした。その何かは一時的に俺に平穏をもたらしてはくれるが、徐々に身体を侵していると、動かなくなった足で理解しているから。
けれど、どう足掻いても身を捩るのが精々で、むしろ抵抗するだけ痛みは増していく一方で、心は簡単に屈した。
そうして俺は注入される何かに溺れていった。
結果的にその何かによってあらゆる感覚は麻痺し、嗅覚や味覚といった機能は壊れ、聴覚はかろうじで音を拾うぐらいになった。
馬鹿な俺は自らの死を望んだ頃には身体は碌に言うことを聞かず、胸の鼓動を止める術を失ってしまっていた。
この終わりのない地獄から開放されるには、悪魔の気紛れに殺されるか、寿命が尽きるのを待つしかなかった。
けれどその機会は未だどちらも訪れず、尊厳を踏み躙られながらも俺は生きている。
それはもう人では無く、物言わぬ人形と変わらなかった。
◆
ある日、中々にくたばらない俺は何か以外の実験? に使用されたようだった。感覚が曖昧で確かでは無いが、恐らく身体の一部を弄られていたのだと思う。
それは次第とエスカレートしていき、遂には右側の一部が完全に無くなった。
ああ、やっと終わりがくるのかと、その時は死期に近づいたこと喜んでいた。けれど、気付けば失ったはずの一部は自然と元に戻っていた。
初めは単に悪魔に遊ばれているものだと思っていた。でも、無くなった身体の一部が戻るに連れて麻痺していた痛覚まで伴ってくると、これが普通に縫い合わせただけのものではないと理解した。
この頃から俺は考える事すら放棄しようとした。
だけどそれからの日々は神が俺に試練を課しているかの如く、不思議な事の連続だった。
いつからだろう、暗闇の中で灯火が見えるようになったのは。
いつからだろう、頭の中で誰かの声が聞こえるようになったのは。
訳が分からない事ばかりが起こる。
それが本当は狂ってしまった自分が見せているだけの幻想かも知れない。
けれどそれでも良かった。だって少しだけ、ほんの僅かにだけど、地獄が楽になっていたから。
◆
人の手が届いていない自然が溢れている森の中、何故かポツンと不自然に切り開けた場所があった。そこには明らかに人工物であろう石造りの建物があり、鎧を身に付けた騎士然とした人達が出入りしていた。
数十人程いる彼等の年齢や性別は様々で、年季の入った剣を持つ老騎士から、杖を持った妙齢の女性までもがいた。
「隊長、粗方の掃除は完了しました。如何なさいますか?」
「そうだな、まずは此処に捕まっていた人々の安否の確認を優先させろ。最悪グールが発生している可能性があるから気をつけろよ」
「「「はっ!」」」
隊長と呼ばれたバルドーー黒髪を短く切り揃えた壮年の男性ーーは鎖に捕われて地面に転がされた者達を睨み付けながら、部下に命令を下す。
バルドは現在、和の国騎士を率いて魔鏡に潜伏している犯罪者集団を捕縛する任務を遂行中であった。
「本当に胸糞が悪いわね。捕縛するのは無しにして、此処で全員斬首にしましょうよ。どうせ遅いか早いかの違いでしょう?」
転がされている者達を硬い表情で見ていると、同じような表情をしたカナンーー金髪の女騎士ーーが傍までやってきて毒を吐く。
それにはカナンの私情が多分に混じっていた。
「まぁ、落ち着け。お前の気持ちは理解出来るが、情報を吐かせるまではダメだ」
「......分かっているわ。でもこうでもしていないと、衝動を抑えられないのよ」
カナンは表情を変えないものの、その身体は怒りに震えていた。
「......そうかい」
カナンの内心を悟ったバルドは、それ以上の事は言わなかった。
「隊長、全員の安否確認が取れました。幸いな事にグールの発生は有りませんでした」
暫くすると命令を遂行した部下の一人が、バルドの下に報告にやって来た。
「了解した。お前らは救助者を連れて、一足先に馬車に戻ってくれ」
「はっ! それと建物内部に気になる物を発見しましたので、続けてご報告を申し上げます」
詳しく報告を聞くと建物の地下に鉄の扉を発見し、更にそれは強固な結界まで施されているとの事。
「奴等の中に扉を知っている者はいなかったか?」
「それが扉の存在は知っていても、開け方や中を知る者は誰一人としておりませんでした。奴等が言うには、一度たりとも扉が開かれた事は無いそうです」
「そうか......ならばそこに俺を案内してくれ。一度この目で確認したい。スズにユキ、カナンの三名は俺と一緒に付いて来い!」
少し思案したバルドは隊の中から三人だけを呼び出した。
「承知いたしました」
「はい!」
「分かったわ」
「残りの者達は周囲の警戒と、そこの糞共を見張れ!」
「「「はっ!!」」」
部下達に一通り命令を出した後、三人を連れて報告にあった地下まで先導してもらう。
建物内部は捕縛作戦のおかげで家具や調度品が倒れてかなり荒れてはいたが、地下に向かう階段は広く、しかも家具の後ろに隠されていたようで、報告のあった扉まではスムーズにたどり着くことが出来た。
「解除出来るか?スズ」
「......これはかなり難しいですね。少なくとも第三級並みの結界ですよ」
問われたスズーー黒髪で杖を持った女性ーーは、階段を下りた先にあった鉄で作られた重厚な扉に杖をかざしてから、バルドに困ったように返信をする。
「カナンはどうだ?」
「破壊は出来るわ......建物ごとになるけれど」
「ならばユキは......無理か」
スズとカナンにも無理となると残りはユキだけとバルドは一瞥するも、ユキーー茶髪で腰に短剣を持つ女性ーーは無言で首を横に振っていた。
「俺がやるから、お前達は下がっていろ」
魔力は温存しておきたいが仕方がないと、バルドは抜剣した魔剣を両手で握り上段の構えをとって魔力を流し込む。それと同時に手足にも魔力を巡らせ身体を強化していく。
そして魔剣が変色するのを確認したカナン達は一斉に距離を取る。
「ふっ!」
バルドは扉に向かって剣を一振りする。するとキィィンと甲高い音と共にパリンと硝子が割れたような独特の音が聞こえ、扉は綺麗に真ん中から二つに斬られた。
「お見事です、隊長」
「流石は魔剣士ですね」
「魔剣、羨ましいな」
感想はいいからと、バルドは小言を吐きながら扉の先に踏み込もうとした所で、異変に気付き足を止める。
「これは、瘴気ですか?」
「スズも気付いたか」
その言葉と同時に気配を感じ取った残りの二人も顔つきも変わる。
瘴気とは魔物から自然発生するもので、その濃度が濃い程に強大な魔物がいる事を示している。そして扉の中から僅かだが、その瘴気が漂っていた。
「気を引き締めて行くぞ」
「「「はっ」」」
バルドを先頭に足を踏み入れる。中は薄暗いがまだ魔道具の光が生きており、直ぐに全体の把握が出来た。
そこはまるで研究室のような部屋だった。
床には文字を書き記した紙の束があちこちに散らばっており、壁の棚には大量の薬品が乱雑に並べられ注射器などの器具も見て取れた。
そして部屋の中央には一際目立つ台がポツン置かれていた。
「何よこれ......」
それを見たカナン達は目を見開く。バルドも顔をしかめるソレは気が弱い者が見たら卒倒するレベルのおぞましさだった。
「一体ここで何をしてやがった!」
バルドは落ちている紙を乱暴に拾い、ソレが何かを確認しようとする。だが拾い上げた紙には文字以外に記号や数字までもが不規則に羅列されているだけで、少しも理解できなかった。
苛立つバルドを見てカナン達も我に返り、何か手掛りが無いかを調べ始める。
「隊長」
「何かあったか?」
「えぇ......これを見て頂戴」
少しすると手掛かりを見つけたのか束の中から一枚、カナンから手渡された。その時カナンの手は震えていた。
バルドは覚悟して手渡された紙に目を向ける。それには何故か暗号化されていない文章が書かれていた。
そうしてある一文を見た瞬間、バルドは思わず紙を握りつぶしそうになった。
「クソっ!」
「隊長? 何が書かれていたのですか?」
「......ここは魔抜けを使った実験室だ」
「ーーッ!」
紙には実験の対象となった一人の少女の詳細が書かれていた。
バルドの言葉を聞いた二人の顔色は薄暗い中でも分かるぐらいに悪くなる。中でもユキの顔は蒼白に近かった。でも、それも仕方のない事だった。
魔抜けとは魔を抜かれた人を指す総称であり、つまり台全体と下の床を赤黒く染め上げ無残にも転がっている肉塊は......
「お前達は、ここの物をアイテムボックスに回収したら隊に戻れ。後は俺がやる」
これ以上カナン達に精神的負担をかけると帰還の際に支障をきたす恐れがあると思い、バルドは命令を下す。
幸い僅かに漂う瘴気は薬品から発生したもののようで、索敵の魔法にも何も反応が無いためバルド一人でも問題無かった。
「了解、しました」
三人は素直に命令に従ってくれたので、バルドは一人探知の魔法を使って発見した部屋に進む。
「これも実験の一つなのか......」
バルドはその部屋で異様な光景を目にした。
白と赤。壁に鎖で繋がれた真っ白な一体の人形に、乾いた血と腐肉で彩られた部屋は幻想的で、一歩を躊躇う凄惨な場所だった。
得体の知れない不気味な場所にバルドは怖気づきそうになるも、気合いを入れ捜索にあたる。
そうしてバルドはこの任務で二度目の驚愕をするのだった。
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