第7話 始まり
7話
そうして月日は流れ、エミルが和の国に来てから四年の時が過ぎた。今ではベッドで寝たきりだったエミルは一人で出歩けるまでに回復し、数々の任務を遂行している。それは間違いなくバルドやハザックに三人娘、その他多くの人達が知識や技術を惜し気もなく教えてくれたおかげだろう。
中でもバルドは特別な存在だった。自分を救ってくれた恩人であり、この世界で生きる術と魔法を教えてくれた師匠でもあった。
大食漢で大人の余裕があって、人を惹きつける魅力を持った師匠。それでいてよく戦闘訓練ではボコボコにしてくる大人気ない上司。それがバルド・シュヴァルッァーと言う人間に抱いたエミルの印象だった。
「説明はこれを以て終了する」
「......留学?」
「そうだ。これを機に外の世界と、人付き合いを学んで来い」
朝、バルドからエミルに言い渡されたのは何時もの任務では無く、ここから北に位置している大国、法の国への留学だった。しかもその首都ヴァールテクスに存在する世界有数の学院、イージスアート学院に三年もの長期留学だった。
世界と人付き合いを学んでこいと言う曖昧な目的の割に、放り込まれる場所が選んだ奴の正気を疑うほどに場違いだとエミルは内心思った。もはや留学とは名ばかりで本当は工作活動であったとしても不思議ではない。それぐらいには縁がない物だった。
けれど、いきなり留学なんて話が舞い込んできた理由には心当たりがあった。
「私は邪魔ですか?」
「......深読みをするな。この話はあの事件より前に決まっていたことだ」
僅かに言い淀むバルドにエミルは察してしまった。相変わらず嘘をつくのが下手くそだと師匠に対して生意気な事を思ったが、その不器用な優しさがエミルは好きだった。
「......失礼しました。留学の件、拝承しました」
そして小さくありがとうございます、と感謝の言葉を口にして、これから暫く会えなくなる人達に挨拶をするためにエミルは部屋を出て行った。
「幸せを見つけてこいよ、エミル」
そんなバルドの願いはエミルのいなくなった部屋にぽつりと響いた。
◇
「はいこれ、餞別にあげるわ。大事に使ってね」
「ありがとう」
「いいのよ。お姉ちゃんには、これぐらいしか出来ないから。あ、お金も少しは必要よね」
和の国で親しくして貰っていたカナンさん達の下に留学の旨を伝えに行くと、既知の情報だったのか、それぞれが餞別を用意してくれていた。
カナンさんからは魔道具のテントを。スズさんからは魔石を使った実用性のある御守りを。ユキさんからは業物の小太刀を貰った。
三人共こんな物しかと口を揃えて言うけれど、どれも留学に役立つ物ばかりだし、値段にしてみれば安物とは言えない高価な物ばかりだ。カナンさんのに至っては貴族や名家が使用すると噂の魔道具で、本当に貰っても良いのかと三回も聞き返したほどだ。
気を遣ってもらってばかりで何だか申し訳なくなってくる。
「気を遣わなくても良いよ? あれは私の自業自得だし、それにもう気にしてないから」
俺に留学の話が舞い込んで来たのも、カナンさん達が過剰に気遣うのも、あの日の出来事が関係していると知っている。だからこれ以上は心配しなくて良いと、問題は無いと、敢えて自分の口からカナンさん達に伝える。
「はぁ、私達が逆に気を遣ってもらうなんて、これじゃあ本末転倒だわ」
「エミルちゃんは大人ですね」
「まだ子供でいても良いのよ?」
すると三者三様の反応から普段通りに戻った三人はあれやこれやと俺を揉みくちゃにして、最後まで俺の身を案じてくれていた。
それから一通りの挨拶を済ませた俺は自分の部屋に戻り、一人準備を始めた。留学に必要な書類と共通通貨は師匠に貰っているので、部屋の私物をアイテムボックスの中に収納し、日用品の在庫を確認するのが主だった。
ちなみにアイテムボックスとは第五級の放出、蓄積魔法に分類される魔法だ。自身の魔力総量に応じて収納庫の大きさが決まり、手で触れたものは何でも収納が出来る。そして収納したものは半径1メートル以内に任意で取り出すことが出来る便利な魔法だ。これは魔力を扱う者にとっては比較的簡単に使えるので、馴染み深い魔法の一つとなっている。
「エミル、いるか?」
一人で黙々と作業していると不意に部屋の扉からノックの音がして、聴き慣れた声が聞こえてくる。
「だれ?」
「ジークだ。留学の事でエミルに相談があってな。入れてくれないか?」
俺の部屋を訪ねて来たのは二年前に小国からここ日月にやって来て、師匠に弟子入りした男だった。俺よりも二つ年上の十六歳で成人しているが、弟弟子にあたる。
「ん、入って良いよ。鍵は空いてるから」
挨拶まわりの時にいなかったからてっきり出掛けているとばかり思っていたけど、向こうからやって来たなら丁度良いと部屋に入るのを承諾した。
「失礼する、ってなんだよこの部屋」
「アイテムボックスの整理中」
「お前、どれだけ溜め込んでいたんだよ......」
愛用の武器達に保存食糧、服など収納しておいた日用品のものを取り出して不備がないかを確認している最中なのだから仕方ないだろう。だからそんな片付けが出来ない子供を見るような目で俺を見るなよ。
「私はもう十四歳。子供じゃない」
「......毎度思うんだが、見えていないはずなのに何で気付くんだ?」
「ジークなら、言葉だけでそれぐらい分かる」
「それは流石姉弟子、と言えばいいのか?」
「どうでもいい。それで何の用事?」
「あぁ、留学の件だけど、エミルはどの経路で行く気だ?」
「私は船に乗って内海を横断する経路で行くつもりだけど、何か関係ある?」
「いや、関係あるに決まってるだろ。俺も一緒に留学するんだから」
「......え?」
「ん?」
あれ? ジークと二人で一緒に留学するとか師匠から聞いてないんだけど?
「はぁ、その様子だとあの師匠はエミルに伝えてないみたいだな。お茶目と言うかなんというか。留学の詳細が記された書類を見てみろよ。エミルでも読めるようになってるからさ」
呆れているジークが俺の疑問を解決するために、今朝貰った書類の束を読めという。それは道中の暇つぶしも兼ねて読むつもりだったんだけどな。
「あ、本当だ。ジークの名前がある」
特殊なインクで記された書類に魔力を流しこみ読み進めると、確かに留学生の欄に俺の名前とジークの名前が記載されていた。
「だろ?」
「うん。じゃ、ジークも手伝って」
「切り替えが早すぎだろ」
「切り替えは大事」
「そうかよ。じゃあ、俺はこっちの保存食の状態を見るから、エミルは服を優先してくれ」
「ジークが服でもいいよ?」
「......乙女なら恥じらいの一つでも身につけてくれ」
「一瞬、迷った。ジークのえっち」
「ふっ、カボチャパンツが何を言ってるんだ」
「......」
「俺が悪かった。おい、刀を抜くな。ちょ!」
こうしてジークと時々戯れながら俺は旅立つその日までを過ごしたのだった。
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