6.エピローグ

 私は本当に救いようがない馬鹿だと思う。自分で自分が嫌になってきた。


 今日は図書委員会の仕事で、放課後残らなければならない日だった。なのに、忘れて下校してしまうなんて……!


 人間、一度くらいは間違いを犯すという。けど、図書委員の仕事を忘れてサボったのはもうこれで三度目だった。仏ですら許してくれない回数だよ。サイテーだよ。


 今回は途中で気付いて慌てて引き返してきたものの、もう40分は遅刻している。どう顔向けしていいかわからない。でも、とにかく図書準備室に行かなければ。


 なのに。私は準備室の扉の前で、一歩も動けずにいた。本当に嫌になる。どうして私はダメな方に流されて行ってしまうのか。


 ……もう帰ろうか。こうなったら、顔を出しても出さなくても同じじゃん。

 そう思いかけたとき。


「あら、石田さん?」


 後ろから声を掛けられ、私は肩を震わせた。図書委員長の声だった。


 三年の、すごく大人びた人だった。私が図書室で本を借りたときに受付をしていたけど、そのとき使っていた筆記具が、すごく上品でおしゃれだったのを覚えている。

 子供っぽい私とは全然釣り合わなくて、なんとなく近寄りがたい雰囲気で……


「よかったよかった。とにかく入って、人手が欲しい……というか、ごめん、開けてくれる?」


 言われて私は振り返った。委員長は両手で紙束の詰まった段ボールを持ち、脇に丸めたポスターみたいなのをいくつか抱えていた。……つまり、両手が塞がっているわけだった。


「あ、はい、開けます!」


 慌てて私は準備室の扉を開ける。


「ありがとね。じゃ、入って」


 私はなし崩しに図書準備室に入ることになってしまった。中では1年の男子と女子が1人ずつ、シャーペンで何やら下書きをしている。


 なんとなく、このまま私の遅刻はなかったことになりそうな雰囲気だったが、それじゃやっぱりいけないと思って、私はみんなに頭を下げる。


「あ、あの、すみません。遅刻して……」


 言い終わる前に、荷物を降ろしながら委員長が言った。


「え? ああ、いいよ、そんなの。遅刻とサボりに関しては私はプロだかんね」


「先輩、それ自慢になんない」


 手は止めないまま、女子がツッコミを入れる。それからその子は意外にも、私に話しかけてきた。


「石田さんでしょ? 2組の。私は高橋。よろしくね」


「えっ? ええ、はい、よろしくお願いします……」


 なぜだか敬語になってしまった。


 女子……高橋……さんは、くすくす笑いながら言う。


「石田さん。あなたもう二度と、図書委員の仕事をサボれなくなるよ」


「ひぇっ? なんで……です?」


 うわ。変な声を出してしまった。


「だって、図書委員の仕事はご褒美付きだからね」


「あー、ダメだよ変に期待させちゃ。いつもじゃないから」


 委員長は方眼紙を私に差し出しながら、高橋さんの方にふくれっ面をした。……この人、意外とこういう表情するんだ。


「まあ、今日は外出許可貰ったし、連れてったげるけどね」


「やったー」


 男子が歓声を棒読みっぽくあげる。


「じゃ、石田さんは、この下書きの線に沿って、油性ペンで枠線を引いてね。あと、このあと予定ある?」


「いえ、ないですが」


「そう? じゃあ、次の図書新聞に載せる内容を決める会議……と称して近くの喫茶店でおごったげるから、おいで」


 え? どういうこと?

 私が事態を飲み込めずにいる端で、男子が言う。


「で、もちろん、例の講座付きなんですよね?」


「まあね。おごるんだから、多少はこっちの趣味にも付き合って貰わないとね。タダとは恐ろしいものなのだよ」


 委員長は腕組みし、感慨深げに何度もうなずいた。


「でもあたし、先輩の講座好きー。けっこう影響受けちゃってるんだよねー」


 講座? 影響? 一体何の話?

 呆然としている私の肩を、委員長は軽く二回叩いた。


「とにかく、それ片付けちゃってね。私はもうひと仕事あるのょネ……」


 なんともいえない語尾を残して、委員長は開いたままだった扉から外へぬるっと出て行った。


 私はしばらく扉の方を見つめていたが、ふと我に返って、扉を閉め、それから高橋さんの向かいの席に着いた。

 机の真ん中に缶があり、ボールペンやらなにやら入っている中に、油性ペンがあるので、それを取り出す。


「これ使ってね」


 高橋さんは右手で字を書いたまま、左手で自分の手元にあった定規を、私の方に押し出した。


「あ、はい。どうも」


 定規を受け取り、仕事を始める。しばらくはみんな無言でそれぞれの仕事をこなしていたが、ふと、高橋さんがまた、作業をしながら話しかけてきた。


「どう? 思っていたのと印象違ったでしょ」


「え、何が……です?」


「三原先輩。最初のミーティングで見たときは、真面目な優等生タイプって感じだったけどさあ。あんなに萌えキャラだったとは思わなかったよ」


「も、萌え?」


「しかも、優しいし面倒見も良いし」


「おごってくれるし?」


 ここで男子が会話に入ってきた。


「そうそう! あー、先輩のエキスをバレー部の三年にも分けてやって欲しいよ。もうバレー部辞めて図書室に入り浸ろうかなあ」


「俺はもう、こっちが部活みたいになってる。残念なのは、そんなに図書委員の仕事ってないんだよな」


「図書新聞を週刊にしたらどうかなあ、月刊じゃなくて。『図書室の利用をもっと増やすために、図書委員はもっと積極的に活動したら良いと思いまーす』とか言って。実はいいんだけどさ。利用者が少ないとかどうでも」


「利用者が増えたら、受付で忙しいからって、部活をサボる理由にはなるんじゃないの?」


「いやー、サボるくらいならもうすっぱり辞める。未練もないし。だいたいあそこの三年はいくらなんでもひどい。おかしすぎるよ。先週だってさあ……」


 そんな話を聞きながら、私は油性ペンで線を引いていく。


 この高校に入って、クラスでもいまひとつ馴染めていなかった私は、今日、はじめて、自分の居場所を見つけたような気がした。

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文具沼への招待 涼格朱銀 @ryokaku

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