5.都会の文具屋
こういうことになるなら、なにかおめかしするべきではなかったかと思わないでもない。寝グセなんか付けてる場合ではなかった。
しかし、よく考えてみると、実際問題として、おめかしって言ってもどないすんじゃという気もする。
名目上、学校のお遣いである以上、校則に違反する格好はできない。そんなことをしたら雪ねえや委員長にまで迷惑をかけることになる。
つまり、私は寝グセ頭のダサイ格好のままのほうがグッドであるという結論にいたるのではないかと思われる。あなたはあなたらしくしていればそれでいいのよ! それで充分輝いているわ!
「ほれ、何してるの、早く降りるよー」
雪ねえに肩を揺すられ、私は我に返った。どうやらいつの間にかバスの中で寝ていたらしい。私は慌てて雪ねえの後を追った。
なお、私は自分のおっちょこちょい加減をよく知っているから、ちゃんとかばんのショルダーベルトを肩にたすき掛けにしたままにしておいた。だからうっかりバスに忘れてくることがないのだ。えらいね、さっきん。
雪ねえと委員長に連れられてやってきたのは、バスに揺られて何十分だかのところにある、この辺ではわりと都会と言ってもいいであろう、駅の近くのビル街だった。
まあ、本物の都会っ子に言わせれば、こんなのは都会とは言わねえよ、わかってねえなあと言われるのかもしれないけど。とにかく、5階まであるデパートとか、1階から4階まで全部本とかCDとかが売っているビルがあったりするところは、我々中途半端な田舎に住む小市民から言わせれば、立派な都会なのである。
「おおっ、雪ねえ雪ねえ、スタバがありますわよスタバが! すごい! 都会だねえ」
私が袖を引っ張ってはしゃぐのを、雪ねえはどこか寂しげな笑顔で見守ってくれていた。もしくは呆れていた?
結局、目的地はその、一階にスターバックスがあるビルだった。一階にはその他に、スマホとかを売っている販売店と、なにやらおいしそうなサンドイッチとか売っている軽食屋があった。他にも店はありそうだったけど、そちらには行かずに私達はエスカレーターに乗った。
二階は文房具屋のようだった。ボールペンとかシャーペンとかノートとかが、延々ずらっと並べられている。というか、ボールペンとかってこんなに種類あるの? おおっ?
「じゃあ、どうしようか」
私がボールペンの種類の多さにうろたえているのをよそに、委員長と雪ねえはなにやら相談し始めた。
「画用紙などの紙類は三階なんだけど、紙を選んでいる間、三原さんには二階で待っていてもらおうか?」
「うーん。よければ紙選びは私に任せてくれる? その間、三原さんにその、例のレクチャーをしてあげてたらどう?」
「うーん。任せるのはいいんだけど……レクチャーの方はなぁ……」
「まあ、名目はなんでもいいから。とにかくあの子の面倒を見てあげて。一人にするのはいろいろアレだから。その……わかるでしょ」
雪ねえと委員長は、何やら神妙な顔でうなずき合った。それから、なにやら事務的な話を二、三して、雪ねえはエスカレーターで上に行き、後には私を押しつけられた委員長だけが残された。
「ああ、あの、なんというか」
この場をなんとかせねばならないと思い、私は言った。
「私はここでずっと立って動かないようにするので、どうぞお気遣いなく」
「そういうわけにもいかないよ。もらったものに見合うことはしなきゃね」
委員長は殊勝なことを言ったものの、やはりどことなく緊張しているようだった。
「ああ、じゃあとにかく、こっちに。何にしても机を借りなきゃね」
というわけで、委員長についていく。
ほどなく、レジのあるところにやってきたが、そのレジの前には確かに、木製のテーブルとイスが何組か置かれてあるスペースがあった。
「やあ、久しぶり。どうしたの、学校の用事?」
レジにいた店員の男の人が、委員長の顔を見て手を挙げた。
「そう、学校の用事。机借りるよ」
「どうぞ」
と、いうわけで、私と委員長は一番隅っこにあるテーブルを占めることになった。
「店の人と知り合いなんですか?」
「ここでバイトしてたんだ。今は忙しくてやってないけどね」
「そうなんですか」
忙しいって何が? と一瞬思ったけど、考えて見ると、雪ねえも委員長も受験とかあるのか。
しかしそのわりに、雪ねえって充実しすぎでないかね。朝から晩まで部活してて大丈夫なのかね。私が心配することじゃないって?
「あー、じゃあ、どうしようか……とりあえず、いま、文房具は何を使っているか、教えてくれる?」
委員長の声で、私は現実に戻ってきた。
……で、なんだ。私が何使っているか、だっけ。
私はなにしろ自分の使っている文房具がどこの何かなど全く知らないので、もう実物を見てもらった方がいいだろうと思った。
というわけで、かばんからペンケースを取り出して見せた。
……このペンケース、かわいいんだかなんだかよくわからんウサギのイラストが入ったものなのだが、こう、改めて人に見せるとなると、ものすごく恥ずかしいもののような気分が瞬間的に沸騰したが、そこはなんとか考えないことにした。
どちらにせよ、委員長はそのペンケースについては何もツッコミを入れなかった。ただ、断りを入れてから中を改めただけだった。
「えーと、シャーペンはクルトガの0.5mmか。じゃあ、その辺から行くかな」
おっと。弟が馬鹿にしたネズミーランド柄のアレですよ。この際だから聞いてみる。
「あの、それ、ダメなシャーペンなんでしょうか」
「ダメ?」
委員長は不思議そうな表情を浮かべた。が、すぐに解説に入る。
「このシャーペンは、筆記する度に芯が回転するのが特徴なんだ。そうすることで、筆跡が太らないように工夫されている」
言いながら委員長は、どこからともなく自分のシャーペンとノートを取り出して、私に差し出した。
「そのシャーペンで、ノートに何か書いてみて」
そのシャーペン、なんだか妙に高そうというか、いかにも「プロ仕様」という感じで、私が触っていいんだろうか、壊したらどうしようとか思ったりもしたが、ここまで来たら後には引けない。
私は意を決してそれを手に取り、言われたとおり「シャーペンのテスト中中中中……」と書いた。いくつか中を書いたところで、委員長が「もういいよ」と言った。
「芯を見てみて。平べったくなってるでしょ」
見ると、確かに平たくなっている。
「同じように、こっちのシャーペンで書いてみて」
私は、委員長が返してきた自分のシャーペンで、同じように書いてみた。まあ、いつも使っているシャーペンだから、使い勝手はわか……おおっ?
「あー、すごいすごい。なんか書いたときの感じがさっきのよりいい」
「そういうこと。ただ、その芯を回転する機構のせいで芯が沈む感触があるから、それを嫌う人もいるんだ」
「芯が沈む?」
そんな感触ある? 首を傾げる私に、委員長はしばし考えてから、言った。
「そのシャーペンで、ゆっくりと中って何回か書いてみて」
書いてみる。
「じゃ、僕の渡したペンで同じように書いてみて」
ふむ。……ん? んー? 確かに何か違うような……
もう一度、自分のシャーペンで中を書いてみる。……おお。おおっ!
「確かに、私のシャーペンの方は、書くときにちょっとカチカチってする気がする」
「そう。それが気になるか気にならないか、ということ。あと、自分でペンを回転させて書くのが習慣になっている人は、勝手に回転して欲しくないということもある」
なるほど。奥が深い。
「あと、シャーペンは入れる芯でも書き味や筆跡が変わるよ。今使っているのはナノダイヤのHBだと思うけど……あっ、そうだね」
委員長は私のペンケースから替芯のケースを探して確認した。……というか、この人、筆跡とかだけで替芯の銘柄とかわかるんかい。すげえよ。ワインのソムリエかよ。
「今使っている芯より硬い方がいいとか柔らかい方がいいとか、要望はない?」
「いや……どうでしょう。あんまりその辺、こだわったことがなかったんで」
「じゃあ、とりあえず試してみようね」
言いながら委員長は自分のかばんからなにやらケースを取り出し、中身を机に広げた。それがまあ、全部シャーペンの替芯。
なんじゃこりゃ。一体何種類あるのよ。というか、なんでこんなに持ち歩いてるの?
「オーソドックスにハイユニからかな。でもまあ、おすすめはグラファイトかなあ……」
なんか言いながらすっごい手際よく、私のシャーペンから芯を抜くと、ものすごく丁寧に芯ケースに戻し、それからその、大量にある芯ケースからひとつを取り出して入れ替えた。
「じゃあ、どうぞ」
カチカチしてから、私に手渡す。
……むう。本当にテイスティングみたいになってきた。
しかし、自分が使っているシャーペンの芯が回転していることすら今まで気付かなかった無神経でガサツで注意力ゼロな女が、こんなもん、違いがわかるのかね。
もはや自分に対する信頼感ゼロのまま、とりあえずさっきと同じように「シャーペンのテスト中中」と書くことにする。
が、最後まで書くまでもなく、「ャ」を書いた時点で電撃が走った。
「すごい、すごいすごい、まろやか!」
その幼稚な表現はどうなのかね、春の森を駆け抜ける牧草の香りとかなんとか言うべきではないのかねという謎のツッコミが脳内のどこぞで響いたが、そんなことはどうでもいい。重要なのはそこじゃない。芯だけで本当に結構違うよ! 深いよシャー芯!
「じゃあ次は……というか、いちいち入れ替えるのも大変だから、これ使って。同じクルトガだから、シャーペン本体は同じもの。芯だけ変えてあるよ」
言いながら委員長は、ひとつひとつ色や柄の異なるシャーペンを6本、私の前に置いた。
「……委員長、シャーペン何本持ってるんですか」
「全部で何本かはわからないけど……クルトガの0.5mmはその6本だけだよ」
なぜ同じシャーペンを6本も? しかも「だけ」ってどういうこと? さっぱりわからないが、そこは深く突っ込まないことにした。
ともかく、私は一本ずつ持っては、同じようにノートに書いていく。
これは硬くて中に引っかかりがある感じ。アルデンテのパスタみたい? こっちも硬いけどすべすべしている。あえてパスタ繋がりだと、茹でてないパスタって感じか。
脳内では比較的まとも(?)な感想を述べている私があったが、実際に声に出たのは「おー」「おっ?」「ほぉー」とかばかりだった。後から考えれば馬鹿丸出しだったし、店にも迷惑だったかもだが、そのときはそんなことを考えている余裕はなかった。
ひととおりお試しが終わった後、私はしばらく腕組みをしてうなっていた。そしてやがて、脳内会議の評決が下る。
「委員長。一番最初のが一番好みです」
「グラファイトだね。じゃ、入っている芯はそのままあげるよ。あと、こっちも入れとくね」
委員長は替芯ケースをひとつ、私のペンケースの中に入れてくれた。
「それ、くれるんですか? ありがとうございます」
「いや、あの鉛筆とこれじゃ全然釣り合わないよ。お礼を言わなきゃならないのはこっちだから」
委員長は慌ててそう言う。
――と、そのとき。
「こっちは終わったよ。そっちはどう?」
雪ねえの声がした。私は振り返り、手を振る。
「雪ねえ、文房具は深いよ。すごいよ。わたしゃいままであまりにも無頓着すぎたと思うよ実際」
「ああ、レクチャーの方は順調だったみたいね。まだ途中なの?」
「もらいものの分は返せてないけど、いちおう、一段落は着いたよ」
「そう。じゃあ、下でコーヒーにする?」
「おおう、スタバ? ……あっ、でも私、予算的になんというか……」
「それはもちろん僕が払うよ。行こう」
おお。なんということ。シャーペンの深さを知っただけでなく、スタバデビューまで果たしてしまうとは。本当に大人の階段を上ってしまわれるのね、私。
あっ、でも、スタバって謎の呪文を唱えないと注文できないんじゃなかったっけ。
大丈夫なのかな、デビューできるのかな、ほんとに。
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