2.夕食とお父さん
「お父さんは、何の仕事してるの?」
夕飯のとき、私はさんまの塩焼きを突っつきながら、何気なく尋ねてみた。……何気ない風を装って、というのが本当か。
この質問に至るまでには、今日、知らない街で起きた、正直言ってどうでもいい誘拐事件の話があったり、近所の公園で猫がケンカしていたとかいう話があったりした。そんな世間話がひととおり過ぎ去り、みんながやや沈黙したところを狙って、ようやくこの質問を、ごく自然に発するタイミングを得たのだった。
「えー、マジかよ。知らないのかよ」
隣に座る中学二年の弟が、心底馬鹿にしたような低い調子で邪魔をする。
「なによ。じゃあアンタ知ってるの?」
「知ってるに決まってるだろ、そんなの」
当然を装ってそう言ったものの、声の感じや、こっちに顔を向けずに言ったことなどから、こいつも実は知らないことはわかった。だいたい本当に知っていたら、もっと自慢気にムカつく面をこっちに向けてくるはずだ。
何か言い返してやろうかと思ったが、この馬鹿にいつまでも構っていると、肝心の話が聞けなくなってしまう。
「で、何の仕事をしてるの?」
改めてお父さんにそう尋ねる。お父さんは少しだけ口元で笑うと、銀縁の眼鏡を指先ですこしいじって、なにやらもったいを付けた様子を見せてから、言った。
「内緒」
「え、なに、諜報機関とかで働いてるの?」
無意味に私は身を乗り出していた。よく考えたら、うちのお父さんは休日でもお風呂の後でも気楽な格好をしていることを見たことがなかった。一般的に父親というのは、家ではだらしない格好をしていて、「パンツ一丁で家の中を歩くのはやめて!」とか言われたりするものらしいのだが、そんな姿の父親を、私は見たことがない。常に臨戦態勢で臨む内緒の仕事といったら、実はなにやら超かっこいい仕事なのではないだろうか!
「諜報機関だったらなおさら言えないだろう」
お父さんはやたらと楽しそうに笑う。
母さんはしばらく、私たちのやりとりを見守っている風だったが、一区切り付いたと判断したらしく、私の方を見ていった。
「なんで今頃、父さんの仕事が気になったの?」
「んー」
別にやましいことがあるわけでは全然ないのだが、それについてはなぜか話したくないような、そんな気持ちがそのときあった。だけどまあ、やはり、隠したって意味がないか。そう思い、言うことにした。
「今日、学校に鉛筆持って行ったでしょ? お父さんがくれたやつ。あれが珍しいって言われたから……」
「ほう。あれが何か、わかる高校生がいるんだ。それとも教師かな?」
お父さんは、いつになく私の話に興味を持ったようだった。もちろんいつも私や弟の話を聞いてくれてはいたけど、一歩引いた感じの、冷静な調子で話を聞いたり、意見を言ったり、といった様子だった。本当に、心底、こんな感じで前のめり気味に私の話に関わってくるのは珍しい。
「生徒だよ。私のふたつ上で、図書委員長」
「そうか。あの鉛筆はもう売られてないから、今時の高校生が知っているのは意外だな」
「あの鉛筆って、そんなにすごいの?」
お父さんはわざとらしく咳払いをして、お茶をひとくち口にした。それから、遠い目をしながら話し始めた。
「あの鉛筆は伝説級の名品なんだ。お父さんが若い頃でも入手困難で、あれを探してあちこちの文具屋を巡ったもんだよ。結局、店で見かけることはなくて、あの鉛筆は友人から譲り受けたものなんだ」
「そうなんだ。……そんな大事な鉛筆、もらって良かったの?」
「いいよ。文房具は使わないと意味がないからね」
「しかし、使うのがねーちゃんじゃ、せっかくの文房具もかわいそうだけどな」
口を挟む機会を伺っていたらしい弟が、待ってましたとばかりに毒を吐いてくる。
しかし、毎回こいつのペースに乗るのもつまらない。今回は大人の対応を見せてやる。
「なによ。アンタうらやましいんでしょ」
あんまり大人の対応っぽくなかった気もする。
対する弟は手で払いのけるような仕草をして、余裕ぶった態度を見せてきた。
「別に。オレはシャーペン派だからな。オレには愛用のスマッシュが一本あればいいのさ。よくわかりもせずにネズミーランド柄のクルトガなんか使ってるねーちゃんとは違うんだ」
くそ。何言ってるかわからんけど、すごく馬鹿にされた気がする。
「まあともかく、あの鉛筆の価値がわかる子がいるなら、良ければ1ダース進呈するよ。明日にでも持って行ってあげるといい」
「へ? あ。うん。わかった」
そんなに大事な鉛筆を気前よくあげちゃってもいいんだろうかとも思ったけど、お父さんがいいというならいいんだろう。
しかしそうなると、別の問題がひとつ浮かび上がってきた。図書委員長って、どこのクラスだったっけ。あと、名前がなんだったか……
……明日雪ねえに聞こう。
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