第7話 フェアガンゲンハイト〜アヤコばあちゃんの過去

ソシャゲをしながら何気なく窓の外を覗いてみると、アヤコばあちゃんが庭でプチトマトの世話をしていた。


アヤコばあちゃんの身体の割に大きなジョウロを持ち、一生懸命水やりをしている姿をぼんやりと観察していると、


「あっ!」


ジョウロに水を入れ過ぎていたのか油断していたのか力持ちの彼女にしては珍しくバランスを崩し、コロンと後ろに転がってしまった。


「アヤコばあちゃん!」


俺は階段を急いで降りて庭に出て、アヤコばあちゃんの元に駆け付けた。


「アヤコばあちゃん! 大丈夫!?」


「おお、マサルや。わざわざ来てくれたのか、悪いのう……。ちょっと考え事をしておってな」


服がビショビショに濡れている。真弓子が作ってくれた服はアヤコばあちゃんの全身に張り付き、身体の線がピッタリと見える。


何となく俺はそこから目線を外し、


「着替えないと」


とタオルを持ってきて軽く身体を拭かせ、アヤコばあちゃんの部屋に連れて行った。



「真弓子ちゃんは一度に色違いの同じ服を何着も作ってくれるのじゃ。このでざいんは儂のお気に入りなのじゃ」


そう言って着ていた青い服を脱いで赤い服に着替えた。着替えの最中も、何となく俺は目線を外していた。

さっぱりとしたアヤコばあちゃんはまた、


「さて、『アイコ』の世話を続けないとのう」


とやる気満々だった。


「『アイコ』って何?」


人の名前みたいだけど。


「『アイコ』というのはの、プチトマトの品種の名前じゃ。単にプチトマトと呼ぶよりそう呼んだ方が愛着も湧くから、儂はそうしている。儂の名前にも似ているしの」



『アイコ』は普通のプチトマトと違って楕円形をしていた。家庭でも育てるのが簡単な品種らしい。

アヤコばあちゃんの育てた『アイコ』はルビー色に輝きとても可愛らしく美味そうだった。


引きこもりの俺は部屋から出る事もほとんど無かったから、アヤコばあちゃんが野菜を育てているなんて事も知らなかった。


「マサルや、食べてみるかの。もぎ立ては美味いぞ」


「うん」


俺はアヤコばあちゃんの小さな手から『アイコ』を受け取って、服の袖でちょっと拭いてから口に放り入れた。


「ん、甘い!!」


「そうじゃろう、そうじゃろう。『アイコ』はよく料理の隠し味に使っておるぞ、この間のビーフシッチューの時も2粒3粒煮込んでおったんじゃよ」


隠し味か。

そう言えば俺はアヤコばあちゃんが何故料理上手なのかを知らない。


「アヤコばあちゃんは、さ」


「ん? なんじゃマサル」


『アイコ』が日の光を浴びて赤くキラキラと輝いている。


「その、幼女の姿になる前までは、何をしていたの」


俺が物心ついた時にはアヤコばあちゃんは既にこの姿であり、しかも俺は他人にも家族にも関心を持ってなかったからーーというか、殆ど部屋から出ていなかったからーー今更ながらだが、聞いてみた。



「うふふ、何じゃ突然。ーーそうじゃの、儂は若い頃、亡くなったお前のおじいさんと一緒に食堂を経営していたんじゃ」


「へえ、食堂」


そりゃ料理も上手いはずだ。


「ただの食堂ではないぞ、3階建ての、従業員さんを沢山抱える大きな食堂じゃ」


アヤコばあちゃんは胸を張って言った。

どうやらその頃の事が大変楽しかったらしいように見える。


「毎日毎日、沢山のお客さんがいらしたぞ。お客さんがお客さんを呼び、外国人のお客さんもお得意さんになったのじゃ。儂がハーフだから親近感が湧いたんじゃろうの。もちろんおじいさんと儂の料理の腕あってこその事じゃが」


「俺のおじいさんてどんな人だったの?」


アヤコばあちゃんは大切な思い出を手繰るように遠い目をした。


「優しい人での。儂はおじいさんに1回も怒られた事が無いのじゃーー日本人の男性で、髪も目も真っ黒でーー幼い頃ドイツで巫女をしていたという儂の事情も知っていながらそれでも受け入れてくれた、大事な夫(エーエマン)じゃった」



そこで、アヤコばあちゃんは急に歌い出した。




ふたりの心さえ 結ばれているなら


ふたりは遠く離れても


楽しい時がくる


ふたりの心さえ 結ばれているなら


悲しく別れる時がきても


また逢う日が楽しみ




鈴の鳴るような愛らしい歌声だった。

俺は思わず感動して拍手をしていた。


「今の歌は、おじいさんの好きだった歌での。と言っても、おじいさんと儂の生まれるかなり前の日本の歌謡曲なんじゃが。儂もおじいさんに教わってよく2人で歌ったものじゃ」


黒い髪に黒い目かーー俺はどうしておじいさんの血を引かなかったのだろう。父親は多分、おじいさん似だっただろうに。


俺はアヤコばあちゃんに対して、ある疑念を抱いていた。

彼女が俺を可愛がってくれるのは、単に孫だからではなく、青い目を持って生まれた『巫女(ワルキューレ)の子孫』として役立ちそうだからではないのか。


普通の人間だったら、俺に興味を持っていなかったのではないか。



「ーーアヤコばあちゃん」


「ん? なんじゃマサルよ」


こんな事を聞くのは、20をとうに超えた大の大人にしては恥ずかしい事だって分かっていた。


でも、その時はどうしても聞かずにいられなかったんだ。


「ーーあのさ」


「なんじゃ。何でも聞いてみるんじゃ」


息を吸って、吐く。




「もし俺が、アヤコばあちゃんみたいな青い目を持っていなくて、『チカラ』を持って生まれなくても、孫として大切にーーしてくれた?」


アヤコばあちゃんは目を見開き、それから穏やかに


「当たり前じゃ」


と返してくれた。


「マサル、前も言ったとおり、お前は儂のたった1人の大切な大切な、可愛い孫じゃ。『チカラ』など関係ない。むしろ、お前が面倒な役割を持って生まれた事を、儂は悪いと思っているのじゃ。マサルよ」


「…………」


「ごめんな。普通の人生を歩ませてやりたかった」



俺は年甲斐も無く号泣した。嬉しくて仕方がなかった。泣くしかなかった。


黒い方の目だけではないーー生まれて初めて、青い目からも涙が溢れ出た。


「よし、よし。今まで辛かったな。儂のせいで悪かった」


アヤコばあちゃんは俺を抱きしめ、背中を撫でた。



俺が泣き止むまで待ってくれると、アヤコばあちゃんは、


「良かったらマサルも『アイコ』の世話をしてみんか。心が落ち着くぞ。『美味しくなあれ、美味しくなあれ』と呪文を唱えるのじゃ」


アヤコばあちゃんからジョウロを受け取り、言われたままにやってみる。






ーーさっきまで泣いていた俺だが、腰を抜かしそうになった。



『アイコ』の一粒が勝手に捥(も)がれ、フワフワと空中に浮かぶと、目が潰れるくらいの赤い光を放ち、それからーー。




小さな女の子になった。




「えーと、君、誰? トマトじゃなかったの?」


12歳くらいだろうか。

赤いワンピースを着た可愛らしいその女の子は、


「マサル様、貴方から頂いた呪文からやっと人間の姿になれました。私は『アイコ』。今日から貴方の僕(しもべ)です。何なりとお申し付けください」


「あれまあ」


アヤコばあちゃんも驚愕している。

だがそこは年の功であり神に仕える巫女という普通とは違う人生を送ってきたアヤコばあちゃん、


「しもべとはまた便利な存在ができたな。マサルや、これからこの『アイコ』に色々申し付けるといい」


「アヤコ様、ありがとうございます」


トマトの精はアヤコばあちゃんにきっちりと頭を下げた。


「アヤコ様が私(わたくし)を育ててくれたお陰で、マサル様のお役に立つ事ができそうです」


「『アイコ』や、お前は儂に名前が似ておる。区別をする為にこれからは漢字で『愛子』と名乗るのじゃ」


「はい。ありがとうございます、アヤコ様」



「何ですって!? しもべですって!? もしかして私にしもべが出来たの!?」



縁側でお茶を飲んでいたらしい梅子がまた勘違いをして乗り込んできた。


「梅子、お前さんには関係ない話じゃ。じゃがもう1人家族が出来たぞ」


アヤコばあちゃんは嬉しげだった。


俺はと言うと、急に出来た『僕(しもべ)』の存在に混乱し、両親が帰ってきたら何と説明すべきかと悩んでいた。


それと、ウチにしょっちゅう来る真弓子にも。



悲しく別れる時がきても


また逢う日が楽しみ



何故だか、さっきアヤコばあちゃんが歌っていた曲の歌詞が頭の中でリピートしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る