第19話 リヒト〜周囲を照らす光のような
ご存知の如く寝不足は心身の健康に良ろしくない。
害悪と呼んでもいい。
俺はその頃寝不足であった。
麻里亜子が来てからというもの、梅子が夜と言わず昼と言わずキャーキャー喚く。
「また!! また虫に刺されたわ!!!」
「こんな所に大きなアザが出来てるじゃない!!!」
「ちょっと!? 何でヤモリが部屋の中に入って来てるのよ!!?」
滅亡天使の異名を持つという麻里亜子は、確かに梅子に対しチョコチョコとささやかな不幸を呼んでいたようである。
「まあ、悪魔の使いたるヤモリまで引き寄せるなんて、ウメコ様の魅力はとどまる事を知りませんのね!」
等と、滅亡天使本人は意に介していないようだったが。
仕方がないから、眠れないままにソシャゲをする。
何度ガチャをしても良いカードが当たらなかった。
俺は趣味とは言えゲームに課金をしない主義だから、ガチャをする回数には限界がある。
寝不足な上に趣味ですら上手くいかないとなるとイライラもしてくるだろう。
アヤコばあちゃんはそんな俺を心配して、梅子が騒がないよう梅子の頭に『女神が黙るお札』を貼っていてくれたようだが、そうすると梅子の方が眠れなくなるらしい。
ダ女神とは言っても一応は女神だから寝なくても死なないとは思うが、それも何だかんだ可哀想だった。
「梅子のお札を外してもいいじゃって? マサルは出来たニンゲンだのう」
と、アヤコばあちゃんはそれでもますます俺の心配をしてくれた。
アヤコばあちゃんに心配してほしくなかったから、無理に作り笑いをしてみる。
するとどんどん心の疲労も溜まっていく。
そんな時に、真弓子が訪ねてきたのだ。
本当に最悪なタイミングだった。
「俺今、寝てなくて疲れてるんだよね」の一言でも言えば彼女も黙って帰ってくれたと思うが、そんな簡単な事にすら頭が回らなかったのだ。
「エヘヘ、今日はマサルちゃんの身体のサイズを測らせて貰おうと思って!!」
「俺ファッションに興味無いって言ったじゃん」
真弓子はそんな俺の言葉に逆らうように、
「ダーメ! そんな事じゃどんどん世間から取り残されちゃうよ!! 私が新しい服作る!!」
とウインクした。
俺はちょっとイラッとした。
別に、いつもの真弓子なのに。
そして、その日の真弓子はいつにも増して綺麗な服装をしていた。可愛かった。
それが何故だか返って俺の機嫌を悪くさせていた。
しかしそれでも真弓子は引き下がらない。
「マサルちゃん、今日は外に出ようよ! 『これなら着られる』ってデザインのメンズの服を見に行こう!!」
「行かねーよ!!!」
思わずデカい声で拒否してしまった。
真弓子の表情が固まった。大きな目をより一層大きくしている。
「マサル、何を騒いでいるのじゃ、おう、真弓子ちゃん……」
買い物から帰ってきたアヤコばあちゃんと愛子が玄関口で一瞬静止し、またすぐにいつも通りの表情に戻ったようになった。
だけど俺には分かった。
アヤコばあちゃんの目は、大嫌いな猫を見た時の恐怖の色を隠し切れていない。
真弓子は、猫を飼っている。
「真弓子、お前、出掛ける前にコロコロしてきた?」
すると真弓子は「あっ」と小さく叫び、
「ご、ごめん。今日忘れてた……。してない……」
と心底済まなさそうに言った。
そこで俺はブチ切れた。
「何やってんだよ!? アヤコが猫大っ嫌いなの知ってんだろ!!? あれ程よく言っただろ!!?」
「ごめんなさい、すぐ帰るから……」
「俺じゃなくてアヤコに謝れっての!! 大体お前、いつもいつもしつこい……」
アヤコばあちゃんが止めに入った。
「マサル、やめるんじゃ!! 儂は、毛くらいは、毛くらいなら、平気じゃから……」
平気じゃないのが丸分かりだ。アヤコばあちゃんは心底猫が苦手なのだ。
「ーーすぐ、帰れ」
俺はイライラが抑え切れず低い声で真弓子に命令した。それでも優しく言っているつもりだった。
「うん……。アヤコちゃん、ごめんね……」
「真弓子ちゃん、儂はいいんじゃ! ーーマサルは最近寝不足でのう、疲れているんじゃ。気にせんでくれ」
アヤコばあちゃんは真弓子にも甘い。
自分の大嫌いな猫を飼っているやつなんかに良い顔をする事ないのにな。
俺はイライラしながらそう思った。
真弓子は、何度も振り向きながら帰って行ってしまった。
蝉の声は、とっくに鳴りを潜めていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「マサルよ、この梅子のせいで寝不足なのは分かる。儂の事を考えてくれていたのも分かる。じゃが頼む、真弓子ちゃんとは仲直りしてほしいんじゃ」
夕食後、アヤコばあちゃんは居間で考え考えするように必死になってこう言った。
梅子は、
「何よ!? 痴話喧嘩が私のせいだっての!!? 怒るならこの滅亡天使を怒りなさいよ!!?」
と叫んだ。俺は、
「チワゲンカじゃねーよ。あいつとは何でもないんだから」
吐き捨てるように返した。カップル扱いされた事にすら腹が立つ。
「でものう、マサルや……」
アヤコばあちゃんが尚も言葉を選ぼうとする。それがアヤコばあちゃんを苦しめているようでーー。
俺は言葉の一線を越えてしまった。
「あんな女ーー。寿命が縮まってしまえばいいんだよ。迷惑だ」
しかし、アヤコばあちゃんは……。
初めて『孫』である俺に激怒した。
「ーー何というーー何という事を言うのじゃ、マサル!!」
アヤコばあちゃんが、俺に、いつも俺の味方をしてくれる俺に怒ったのは本当に初めての事だった。
「儂は、今まで一度とて孫に手をあげようとは思わなんだーーしかし、マサル!!!」
アヤコばあちゃんの小さな右手が俺に向かって振りかざされた。
言い過ぎたと思ったのだ。
思わず、目を閉じる俺。
パシーーーーーーーーン!!!!!
大きな音が鳴り響く。
しかし、俺の頬は痛くない。
……代わりに、横にいた梅子の頬が波打っていた。
梅子の身体が吹っ飛んだ。梅子はそのまま柱に向かって打ち付けられた。
丁度、この独白の最初の方でアヤコばあちゃんが梅子の巨大な尻尾によって飛ばされた柱であった。
「ちょっと!! 何すんのよ、アヤコ!!! 痛い!! 痛いわ!!? 腰が!!!? ほっぺがあ!!!?」
「ウメコ様!! 大丈夫ですか」
麻里亜子が心配した。
「ああ、すまんすまん。やっぱりマサルの頬を打つなんて儂には無理じゃ、梅子。横にいたお前さんがいけないんじゃ?」
「ほらね!!? 麻里亜子が来てから前にも増してろくな事が無いわ!!!」
梅子は泣きながらどこか別の部屋に走って行った。
「ウメコ様、お待ちください」
麻里亜子のせいーーなのかどうかは知らないが、とにかく彼女も梅子の後を追って走って行く。
残されたのは愛子と、アヤコばあちゃんと、俺の3人。
愛子は気を使って、赤いスカートをなびかせそっと出て行ってしまった。
気まずい沈黙が続く。
「あの、前から思ってたんだけどさ」
俺はーー思い切ってアヤコばあちゃんに聞いてみた。
「何で、アヤコばあちゃんはそんなに真弓子を勧める訳? 確かに女としては魅力的なんだろうけど……。普通の男達にとっては……」
その頃、真弓子の『オンナとしての魅力』にほだされつつあった俺は、その気持ちをアヤコばあちゃんには気取られまいとしていた。
アヤコばあちゃんはそれに気付いているのかいないのか、じっと考えてからこう答えた。
「ーー真弓子ちゃんはの、『自己犠牲』の気持ちがあるのじゃ。それは自ら得ようと思って得られる物ではないーー根が『どらい』な儂ら阿僧祇(あそうぎ)家……いや、そうじゃない、『エッダ』のニンゲンとは違うのじゃ」
自己犠牲ーーだって?
あのおちゃらけた感じのお調子者が?
確かに気遣いの出来る所があるとは思うけども……。
でもあいつしつこいし……。
ぐいぐい寄って来るし……。
アヤコばあちゃんは言葉を紡ぎ続けた。
「ソノコさん(俺の母親)と会った時もそうじゃったの。ーーこの女の子なら、ヒロシ(俺の父親)を大事にしてくれると。最も、ヒロシは儂の夫(エーエマン)ーーお前のおじいさんに似て元々優しい子じゃったが。しかしヒロシは、この家を出て行く時は光速だったの。それが『どらい』という物じゃ」
「……母さんの為じゃないの?」
「ああ……そうかもしれんの。すまんかったの、マサル。これは儂のお節介じゃし身勝手さでもあるのじゃ。しかしの、真弓子ちゃんの優しい血を、エッダ家に取り入れたらどうかと思っただけじゃ」
アヤコばあちゃんは「さて、洗い物をしないとの」と言ってキッチンに立って行った。
ーーその時は、気付かなかったんだ。俺も、アヤコばあちゃんですら。
アヤコばあちゃんが言う所の、真弓子のその『自己犠牲』の気持ちが、彼女をあんな目に遭わせる事になるだなんて。
俺が大馬鹿だったんだーー。
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