第20話 ヴュルク・エンゲル〜滅亡天使

その昔、俺の知らない昭和の時代に、


「自分の連載した雑誌がどんどん廃刊になっていく。自分のせいではないのか」


と悩んだ大御所漫画家がいたという。



俺の漠然とイメージする滅亡天使と言えば大体そういうふう。


あとは例えば「そいつが好いた者が不幸に見舞われる」とか「そいつが行きつけになった店が潰れる」とか「そいつが応援したアイドルや俳優が劣化する」とか、そんな感じだ。



梅子曰く、麻里亜子は正にそういった性を持っているらしい。



「麻里亜子に好かれないようにした方がいいわよ。私を見てれば分かるでしょ!!?」



蚊やダニに刺された痛々しい肌を見せつけながら梅子が絶叫する。


梅子が虫に刺されるくらいで済んでいるのは麻里亜子が人間界にいるからで、神々の世界に戻ったらこんなものではないという。


「まあ、ウメコ様。相変わらずお美しい銀髪ですわ」


麻里亜子がそう言った瞬間、梅子の銀髪が抜けた。女神の髪が抜けるなんて本来なら有り得ないらしく、



「ほらね!!? こいつが好いたら悪い事が起こるのよ!!? ああ、何でこんなやつ助けちゃったのよ、いくら自分が全ての女神を司る最高女神だからって……私の馬鹿!!!」


と梅子はまたもや絶叫した。



そんな時だ。

第6の女神『フレイア』がやって来たのは。



「来たか、フレイア! 随分遅いお出でだったのう!」


庭からアヤコばあちゃんの声がしたので、俺はおやつを中断して居間を後にしたのであった。



フレイアは巨大な毒グモの姿として庭に現れた。


毒グモは姿を現しただけで、暴れる様子は無かった。

いつもの女神達なら意識を半分乗っ取られているから暴れるはずなのに、今回のは違う。


ただ、助けてくれと言わんばかりに大人しくしていたが、麻里亜子からは距離を置いているのが見て取れた。



アヤコばあちゃんが突然叫んだ。


「召喚じゃ!! エンゲルス・シュヴァーアト!!」


これ、フリッグーー梅子と戦った時に持っていた剣だ。

この剣そんな名前だったんだ?



「フレイアは元々、フリッグーーつまり、梅子と並ぶ程の高位女神だったのじゃ」


アヤコばあちゃんは魔法の剣ーーエンゲルス・シュヴァーアトをかざしながら説明した。


そうなのか?

じゃあ梅子と同じようなダ女神なのかな、と俺は勘ぐった。


「それが、とある女神と親友になった途端に第6番目の女神にまで落とされたのじゃ。その、とある女神というのが……」



「『フッラ』、つまり麻里亜子よ!!!」



アヤコばあちゃんの代わりに梅子が続きを言った。


「フレイアはこの私に負けず劣らず優秀な女神だったわ!! ところが麻里亜子に好かれたせいでいつの間にか信仰する人々が減り、階級を落とされていたのよ!!」



女神の順番ってそんな仕組みになっていたのか。女神の世界も世知辛いな。

等と俺が思っていると。



当の麻里亜子は悪びれもせず心底悲しそうに毒グモに向かって優しい声をかけていた。


しかし、俺には毒グモの表情は分からないが、毒グモの方がもっと悲しそうな表情に見えたのは気のせいだろうか。



「ああ、フレイアーー。こんな姿になって。でも、心配しないで。ウメコ様やアヤコさんがいるし、いざとなったらマサルさんが『エニグマ』で何とかしてくれる」


麻里亜子はついに泣き出した。


「私には貴女に何も出来ないのが残念で仕方がないわ」


俺は麻里亜子がさすがに可哀想になって、梅子の忠告も無視して慰めた。


「麻里亜子、何も泣く事はないよ。お前の言う通りアヤコばあちゃんや梅子も、及ばずながらだが俺もいる」


「マサルさん……?」


麻里亜子は涙で光る目を俺に向けた。

その目は驚きと感謝と、そして好意に溢れているように見えた。


「マサル!!? あんた死ぬ気!!?」


梅子が目を丸くして叫んだ。

失敗ーーしたのか?


「マサルさんーー私、貴方のさりげない優しさに惹かれておりましたわ」


麻里亜子に好かれかけているーー?


「いや、そういうのじゃなくてさ! 俺はただ、この毒グモを何とかしようとか、そういうつもりで言っただけだから!?」


俺は慌ててこの滅亡天使に好かれないように弁明した。


「まあ、私だけでなくフレイアの事まで心配してくださるなんて、やっぱりお優しいのね……」



駄目だ、これ以上はマズい。


「じゃ、じゃあ俺はエニグマの所に行くから……」


と、俺が部屋に戻ろうとすると、


「エニグマと辞書ならここに用意してございます、マサル様」


愛子が既に持って来ていた。

その幼い目は麻里亜子を静かに牽制するかのように光っている。


しかし、相変わらずドラえもんみたいなやつだ。


「……えーと、ありがと、愛子。じゃあ、『フレイア』、『フレイア』……」


「私が神剣(フラメン・シュヴェーアト)で退治できるのに。ーーでも今私虫が苦手だしーーマサルに任せるわ」


と言う梅子だったが、俺の本心は麻里亜子から気をそらす事でいっぱいいっぱいだったというのが正直なところだ。



ーーところがーー。


俺が日独辞典から『フレイア』の綴りを探し出してキーボードを叩こうとするとーー麻里亜子がこう言って俺のすぐそばに寄って来たのである。



「マサルさん、フレイアは私の親友です。私だって親友を助けたい!」



麻里亜子は俺の後ろに回って二人羽織の格好を取り、その細い指を俺の指に重ねた。


胸の膨らみのふよんとした感触が背中に当たる。

愛子の目が光るのを2メートル先に見た。



だが仕方ない。

俺はそのままキーボードにフレイアの名を入力した。

自然、麻里亜子の重ねられた指が同じくフレイアの名を刻む。



ーーすると。




「フギャアアアアアアアアアアアア!!!!?」




今までの女神達の中では聞いた事もないような物凄い咆哮で毒グモが苦しみ出し、そしてオーロラになった。


だが、いつもなら苦しんだ後ですぐオーロラになるというのにこの女神の時は何故か苦しむ時間が長かった。



ーーこれが滅亡天使のチカラなのかどうかは知らない。



オーロラに向かって剣を天界に還したアヤコばあちゃんが手を合わせる。



「フレイアは恋愛の女神じゃ。マサルと真弓子ちゃんが仲直りしますように。ナンマンダブナンマンダブ」


また真弓子の事を言っている、しかも仏教徒のように。半分ドイツ人で巫女なのに仏教か……。


アヤコばあちゃんがそれでいいのなら俺は何も言う事は出来ないが。



「凄いわマサルさん!! 私の親友を助けてくれてありがとう!!!」



麻里亜子が抱きついて来た。



「これ、麻里亜子!! さっきまでは大目に見てやっていたが、気安くマサルに触れるんじゃない!!! マサルに触っていいのは真弓子ちゃんだけじゃ!!!」



例によってアヤコばあちゃんが怒り、愛子が俺から麻里亜子を引き剥がそうとしている。



俺はキーボードを打ちながら気付いていた。



ーー半袖半パンを着た俺の身体の10数箇所が蚊に刺され、赤く膨れ上がっていくのを。


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