第13話 処女の女神

トモコババアが亡くなって1週間。自分でも少し薄情なんじゃないかってくらい悲しみの感情が湧いてこない。


しかし若きトモコババアの『告白』の事もあって、どこか心にぽっかりと穴が空いたような無気力な状態には苛まれている。


いつもなら夢中になれるソシャゲにも身が入らない。



「おーい、マサルや。愛子も連れて散歩にでも行かんかの。蝉の声が心地いいぞ」



アヤコばあちゃんが俺を呼ぶ。

いつものアヤコばあちゃんなら、わざわざ引きこもりの俺を暑い外に連れ出そうなんてしないだろう。


しかしこの1週間の俺の無気力さに気付いて外の空気を吸わせようとしているのが丸分かりだ。アヤコばあちゃんはそういうばあちゃんだった。


いつでも俺の気持ちを考えてくれているような気がした。


俺はアヤコばあちゃんのその気持ちに応えたいと思った。それに、散歩中にアヤコばあちゃんが猫に出くわしたら可哀想だからな。



外は成る程、ミンミン蝉の鳴き声が夏を彩っている。部屋にこもっていても聞こえるが外に出ると迫力が違う。


「ここら辺は都内とは思えないくらい広くて人のいない公園があるからの。そこに行ってみよう」


アヤコばあちゃんが提案する。

わざわざ愛子まで連れて行ったのは例によってエニグマを運ばせるためだろう。



公園には確かに誰もいない。そして不自然なくらいだだっ広い所だったが、引きこもる前は俺もよく足を運んでボーっとしていたものだった。


「ポットにお茶を入れてきたのじゃ。それと、梅干しを食べよう。塩分を摂らないと熱中症になるからの」


と、アヤコばあちゃんは簡素な『おやつ』を広げた。


アヤコばあちゃんは、トモコババアについては何も言わない。言わなくても俺がどんな気持ちでいるか分かっているのだろう。


梅干しを一つ口に放り込む。


「この梅干し、甘みがあるね」


「蜂蜜漬けじゃ。『おやつ』にも丁度良かろう」


しばらく3人で風にあたっていたが、梅干しで思い出した。そう言えば梅子がいない事に気付いた。


「あやつが来るとうるさいからの。昼寝している間に抜け出してきたのじゃ」



ーーしかし、先程まで青空に広がっていた入道雲が変だ。青い空を隠し、天空いっぱいに広がっている。



そしてとうとう、雲の影響なのかは知らないが霧が立ち込めてきた。


「アヤコばあちゃん、天気が変だ。帰ろう」


しかしアヤコばあちゃんは動じなかった。何事かを巡察するような表情をして、



「第4の女神じゃ。愛子」


「はい。アヤコ様」



愛子はバッグに入れていたエニグマと日独辞典を取り出し、


「マサル様」


と俺に差し出した。

意味が分からない。


今まで『ロキ』に変身させられた女神達は化け物にされていたはずだ。ここには化け物などいない、霧が立ち込めているだけだ。


敢えて言うならーーその霧は淡いピンク色をしていた。


「ケヴィウン。奴は『ロキ』に、『毒霧』にされてしまったのじゃ。やはり愛子を連れて来て正解じゃった」


アヤコばあちゃんは、続けて言った。


「マサルや。こんぴゅうたあを持ってきたのは、あくまでお前自身の自衛のためじゃ。ケヴィウンの浄化くらい儂が1人でやるから、マサルは後ろに下がっていておくれ」


アヤコばあちゃんの真剣な眼差しが外見が幼女ながらも頼もしく、かっこいい。



ところが。



「……に゛ゃあああああ!!!」



「ニャーン、ニャーン」



恐れていた事が起きた。

このだだっ広い公園の中に猫が1匹もいないはずが無い。


「に゛ゃあああああ!!! 猫じゃ!! 猫じゃ!! ええい、儂はマサル無しでも女神の浄化くらいしてみせる!! 猫なんかなんじゃ、猫なんかーーに゛ゃあああああ!!!」



猫は2匹いた。茶色いやつと、足の先が足袋になった白と黒のやつ。


アヤコばあちゃんは猫が大嫌いだけど、かわいそうな事に猫の方はアヤコばあちゃんの事が大好きなようで、遊んでくれ遊んでくれとアヤコばあちゃんを追い回している。


「愛子、大急ぎでアヤコばあちゃんから猫を剥がしてくれ!!」


「はい、マサル様」


こればかりは俺1人じゃどうしようもなかった。

俺は早急にエニグマを操作しなければいけないから。



『ケヴィウン』。処女神。処女達の女神。

日独辞典にはそう書いてある。


毒霧とやらに被害を受ける前にエニグマらなければいけない。


ーーと俺なりに急いでいると。


「……クッ!!」


「アヤコばあちゃん!?」


アヤコばあちゃんの、ノースリーブから覗く細い腕が傷付いている。

猫達に追い回されている内に、『毒霧』の中に入ってしまったのだろう。


かすり傷に近いとはいえ、これ以上アヤコばあちゃんを怪我させる訳にはいかない。




『ケヴィウン』。『ケヴィウン』。『ケヴィウン』。



俺は思わず3回エニグマった。



「ドギャアアアアア!!!!!」



……梅子の時よりも他の女神達の時よりも物凄い悲鳴である。

3回タイプすると苦しみも3倍になるのだろうか。焦っていたとは言え悪い事をした。


しかし、だだっ広い公園に広がったその後のオーロラは見事な物で、南極でもお目にかかれないんじゃないかというくらい空いっぱいに広がっていた。


「アヤコばあちゃん、怪我は大丈夫!?」


「ああ……こんなの大した事はない。それより、さすがマサルじゃ!! 1回でいい所を3回もやって3倍苦しませてやっつけるとは!! こんぴゅうたあの新しい使い方を発見したようじゃの!! 本当に頼りになる孫じゃ!!」


「え、いや、違うんだアヤコばあちゃん……アレは、ただ焦ってて間違って3回押して………」




「アヤコ様、傷の手当を致しませんと」


愛子はマキロンと包帯を取り出した。

本当、ドラえもんみたいなやつだ。


今回浄化した女神が処女を司る女神と知って、俺は少し霧と同じくピンク色の気持ちになったが、それはともかく天空で元の姿に戻ってくれるよう例のように俺は願った。



「結局、マサルには手間をかけさせただけの散歩になってしまったのう。申し訳ないのう」


とアヤコばあちゃんはしょんぼりしていたが、問題の猫も追い払えたしそれは良しとする。


家に帰ったら梅子はまだ寝ていた。

こいつには霊感やら神感とやらが無いのだろうか。



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