第22話 戸部典子

 戸部典子は証言台に立った。

 なんだか、ひとまわり縮んだように私には見えた。

 彼女は怯えている。あの尊大な態度は微塵もない。


 質問に立ったのは保守党の大物議員、山内兼良だ。

 有名なタカ派で、ときどき問題発言をしては撤回している。謝罪しても悪びれることがない。

 特に中国が大嫌いで、その発言は何度も日中関係に波風をたてた。

 「あなたは外務省の職員でありながら…」

 と山内議員は始めた。

 大演説だったが要約するとこうだ。

 「外務省の職員でありながら、中国に国を売ったあなたは売国奴だ。

 中国は悪辣な国で日本の領土を奪い取ろうとしている。

 あなたはそれに加担した。

 あなたは国が滅びてもいいというのか?

 そんなことは私が許さない。

 私は最後の一兵となっても中国と戦う。」

 と、言うことだ。

 売国奴・非国民・国賊。山内議員はありとあらゆる言葉を使って戸部典子を攻撃した。

 強い者が正義の名において弱い者を糾弾する。それを醜いと私は思う。山内議員の発言中、私はひどく醜悪ものを見せつけられたような気がする。

 戸部典子は、うなだれたまま肩を震わせている。

 誰も止める者はいない。それどころか、これは見世物なのだ。

 伊達政宗が「名こそ惜しめ」と叫んだことを私は思い出した。

 名を惜しむなら、今こそ「否!」と叫ぶべきなのだ。

 だが、私にはその勇気がなかった。


 「私は戦う!」

 と、山内議員は繰り返し言った。

 一方的に攻撃され続けていた戸部典子がぽつりとつぶやいた。

 「戦うなら、自衛隊に入るなりか?」

 何をいいだすことやら。

 山内議員は戸部典子をたしなめるように言った。

 「私はもう年も年だし、それに議員としての使命がある。お分かりか、お嬢ちゃん。」

 「でも、戦うと言ったなり。」

 「それは言葉のあやというものだよ。」

 「息子さんはいるなりか?」

 「三人いる。みんな立派にお国のために働いている。」

 「自衛隊の人なりか?」

 「いや、自衛官ではないが、とにかく立派なものだ。」

 「どうして、自衛隊に入れないなりか?」

 「それは息子たちの自由だ。日本では自分の人生は自分で決める。」

 「戦国武将なら、息子も武将に育て上げるなり。それが親の責任なり。」

 山内議員が苛立っている。

 戸部典子は続けた。

 「アメリカでは学費や生活費を稼ぐため貧しい若者たちが兵隊に志願して中東の戦争で死んでいるなり。議員やお金持ちの子供は戦争には行かないなり。なんか不公平なり。」

 そのとおりだ、格差が拡大する日本で、もし戦争が始まったら同じようなことが起こるだろう。貧しい者は戦場に赴き、富める者は安全な場所にいる。格差は戦争において人の生死を分けることになるだろう。

 戸部典子は山内議員を問い詰めているのだ。彼女独特の理屈を以って。

 「ノブリス・オブリージュというのをご存じなりか?」

 おや、あの傍若無人な戸部典子が復活しているではないか。

 「富める者が、貧しい者に施しをすることだ。そんなもん、あたりまえだ。」

 「違うなり、ノブリス・オブリージュというのは、富める者や責任のある者、あなたのような人が、真っ先に戦場に行くことなり。知らなかったなりか? ちゃんと勉強するなり。」

 そうだ、ノブリス・オブリージュとは高貴な者の義務を言う。その第一の義務こそ兵役である。高貴な者は真っ先に戦場に向かい戦う。庶民と同じ釜の飯を食い、兵役を共にするのだ。

 だが、アメリカはどうだ。従軍経験のある議員は少数だ。大統領が兵役逃れをしていたことが問題になったこともある。むしろ軍隊に行った議員のほうが戦争に反対しているくらいなのだ。戦争に行けばそれがどんなものなのかよくわかるのだ。

 いいぞ、戸部典子。このままやってしまえ。

 「ご自分や息子さんは戦争に行かないから、関係ないなりか?」

 「いや、関係ないことはない。」

 山内議員が汗をかいている。まさかこんな小娘に逆襲をくらうとは思ってもみなかったのだ。

 「じゃあ、明日から息子さんを自衛隊に入れるのだー。」

 「まてまて、何を言っているんだ。」

 「それは卑怯なりよ。あんたは卑怯者なり!」

 卑怯と罵られた山内議員は逆上して罵詈雑言を叫んだ。

 「あんたみたいな人が戦場に行かないなら、いっそ日本は徴兵制にしちゃえばいいのだ。徴兵制なら高貴な者も、お金持ちも、議員も、議員の息子も、庶民も、貧乏人も、みんな戦争に行くなり。」

 私は戸部典子の背後に黒い影を見た。その影はどんどん大きくなっている。そうだ、鎧兜のシルエットは戦国武将だ。

 山内議員が戦国武将の影を背負った戸部典子に圧倒されている。

 間髪を入れず、戸部典子はまくし立てた。

 「卑怯なり、卑怯なり、卑怯なり、卑怯なり、卑怯なりぃ!」

 「この小娘、謝れ!ここに手をついて謝れ!」

 「あんたの息子でも、孫でも、自衛隊に入って討ち死にしたら土下座でもなんでもするなり。」

 まるで子供の喧嘩だ。

 戸部典子はともかく、山内議員のそれは醜態でしかなかった。

 国会は騒然となった。

 行け、戸部典子。とどめを刺すのだ。首をかっ切ってやれ!

 「あんたは口ばっかりの卑怯者なり!戦国武将を見習うなり! 恥ずかしいとは思わないなりか! あんたみたいな議員が日本を滅ぼすなり!」

 その迫力に山内議員がたじろぎ、議場に沈黙が生じた。

 議場の一角から拍手がおこった。冴木和歌子議員だ。無党派の老議員だが骨のある政治家だ。続いて革新党から拍手がおこった。山内議員にはいつも罵詈雑言を浴びせられているのだから、この時ばかりとお返しである。保守党の議員たちも顔を見合わせてはいるが、一部の議員が拍手し始めた。徴兵制に賛成の超タカ派議員たちだ。元自衛官だった議員はスタンディング・オベーションだ。やがて、議場に拍手の輪がひろがった。

 同時に野次も飛んだ。

 「この売国奴! 日本から出て行け!」

 さすがの彼女もその場に崩れた。緊張の糸が切れたのだろう。

 冴木和歌子議員が駆け寄り、彼女の肩を抱いて議場を去った。

 よくやった、戸部典子。ちょっと論旨のすり替えがあったことには目をつぶろう。


 その夜のニュース・ショーでは戸部典子の一件が放送された。

 「今日のニュース」のキャスター木田雄介などは、番組をまるごとこのニュースに当て、戸部典子の参考人招致をノーカットで放送したくらいだ。私のはダイジェストだったけど。

 「今日、国会で思わぬ一波乱がありました。いまからノーカットで放送いたします。今回ばかりは私の意見も差し控えることにします。みなさんが、みなさんなりに考えるべきことがある。この若い女性が、それを突き付けました。申し訳ありません。今夜のスポーツ・ニュースはお休みです。」

 と、言うわけだ。

 他のチャンネルを回すと、議員たちの子弟が自衛隊に入っているかどうかが話題になっていた。タカ派議員の子弟はだれも自衛官ではなかった。

 山内議員はやり玉に挙げられた。長男は山内議員の秘書をしていて、やがては地盤を引き継ぎ二世議員になるのだろう。次男はIT関係の会社の経営者だった。三男は某テレビ局のプロデューサーで、アイドル番組を作っていた。「卑怯なり議員」の烙印を押された山内議員は次の選挙では議席を失うことになる。

 戸部典子に「日本からでていけ」と野次を飛ばした須田光彦議員は、その夜のうちに公式に謝罪した。有名な風見鶏議員であったのだ。こいつも当然落選するだろう。

 街頭のインタヴューも放送された。賛否両論はあったものの、大方が戸部典子の発言には一理あると頷いている。

 ある女子高生は「なんかカッコいいし、カワイイ!」と答えた。

 あるOLは「自分と同じくらいの女性が、あそこまで戦ったことに感動した」と答えた。

 ある若いサラリーマンの男性は「あっ、誰も言わなかった事を、ついに言っちゃったって、感じですかね。彼女、最高!」と答えた。

 ある中年の中小企業の社長は。「山内議員、ほんとガッカリだね。あんなのがいると本当に日本は滅びるね」と答えた。

 戦争で父と三人の兄を失った老夫人は「死ぬ前に、胸がスカッとしました。あんな可愛らしい娘さんがねぇ」と答えた。

 カワイイとか可愛らしいという部分を除いて、私は全面的に同意する

 評論家たちも混乱していた。ある若手論家は「左側からの徴兵制支持」と評し、またある評論家は「右からの階級への反乱」だと言った。

 戸部典子、おまえはいつも正しい。馬鹿だけど。


 その翌日、戸部典子は外務省を辞めた。


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