第2話 SPQR作戦

 噂はすべて真実であった。歴史ブームが落ち着きを見せると、歴史への介入に関しての是非が問われるようになった。


 当初は反対意見が多かった。まずは倫理的な立場からの反発だった。そもそも正しい歴史とか、あるべき歴史などというものはないというのだ。良識派を自称する人々の意見だった。

 至極まっとうな意見のように聞こえるが、歴史の何たるかを知らない愚か者どもの戯言だ。歴史の進歩は科学技術の進歩を原動力としている。人類はタイムマシンという科学技術を得て、歴史の原理を発見できるかもしれないのだ。新しい科学技術は常に倫理という制約を打ち破ることによって人類に英知をもたらしたのだ。

 ガリレオしかり、コペルニクスしかりではないか。

 私たち比較歴史学会は強力な論陣を張り、このような無知蒙昧の輩を排撃し、完膚なきまでに叩きのめしてやった。

 私の行く手を阻むものは、なん人たりとも斬捨て御免じゃ!


 しかし、本当の問題は他にあった。歴史介入の危険性が指摘されていたのだ。  「我々の現在」が歴史への介入によって何らかの影響を受けるとするならば、タイムマシンは高度に政治的な兵器へと転用できる。

 この議論に関して私たち歴史学者の出番は無かった。物理学者が相対性理論について云々し、科学評論家たちがタイム・パラドックスについて議論するのを、眠たい目をして眺めるのみだった。


 ちょうどそんな折、中東のテロ組織がロシアのタイムマシンを乗っ取り、なんらかの歴史介入を行おうとした事件が発生した。実行犯たちは全員射殺され、事件は未然に食い止められたが、その真相は闇に葬られた。

 大国の首脳たちは協議し、タイムマシンを国連の管轄化に置くことにした。つまりは大国の管理下ということだ。


 日本のタイムマシン「やまと」は大国アメリカの圧力により廃棄されることになった。日本人がタイムマシンを悪用するとは思えなかったが、日本が太平洋戦争に勝つにはどうしたらよいか、という能天気な議論が堂々とまかり通っていたことも事実である

 日本のナショナリストたちは日本政府の弱腰外交をなじり、国連の査察団が来日したときには数名の死者を出すほどの大規模なデモが発生した。

 私は只々この成り行きに落胆せざるを得なかった。


 大国によるタイムマシンの独占体制が確立すると、国連主導という名目で歴史介入の初期実験が始められた。目的は歴史への介入が「我々の現在」にどのような影響をあたえるかを調査することだった。初期実験は恐る恐る開始されたが、次第に大胆になっていった。実験の結果、いくつかのことが判明した。

 歴史を変えたとしても、変えられた歴史は別の時間に分岐して、もうひとつの歴史を生成してしまうのだ。時間の流れはひとつではない。無数の時間が枝分かれし平行して存在している。それは未来に向かって無数に枝を伸ばした樹木のようであった。


 歴史には強靭な復元力が働くことも分かった。一例を挙げると、誰かを暗殺から救ったとしても、すぐに別の原因で死んでしまうのだ。歴史を書き変えるということは、歴史の復元力との戦いになる。これを本気で実行しようとすれば、時限爆弾の誘爆のように次々に介入し、復元不可能なほど流れを大きく変えてやらねばならない。

 時間の流れは人知を超えた複雑なものに思えたが、人類が導き出した結論は実にシンプルなものだった。

 歴史に介入したとしても別の歴史を生成するだけで、「我々の現在」に直接影響を与えることはない。

 この説は主流となり、各国の指導者たちもこれを支持した。タイムマシンの安全宣言が出されたのもこの頃である。

 少数意見ではあるが、何らかの影響があるのではないかという学者もいた。日本の比較歴史学界の異端児、中根広之博士だ。

 その根拠となったのが邪馬台国論争である。当初、邪馬台国は畿内あったことが確認された。しかしその後、少数ではあるが邪馬台国が九州にあった別の歴史が存在したのだ。つまり「我々の現在」は二つの歴史がどこかで合流して生成されたものではないかという仮説が成り立つのである。時として歴史に矛盾が生じるのはこのためだと中根博士は言う。

 二つの時間の流れが合流するとなれば、そこには巨大なタイム・パラドックスが生じることになる。歴史学的には面白い指摘だが、理論上はありえないということにされた。

 中根博士の仮説は黙殺されたかに見えたが、それは政治的に黙殺されたにすぎない。タイムマシンの安全宣言をいまさら撤回することは許されないのだ。


 大国の指導者たちは自国に有利かつ英雄的な歴史を、「それがもうひとつの歴史」とはいえ、創造することに熱中し始めた。

 比較歴史学会は百家争鳴状態となった。様々な論文が発表されたが、たいていは大国の意図におもねろうという下心が透けて見えていた。

 日本の比較歴史学者たちは健気だった。タイムマシンを廃棄させられ、もはや実現は不可能と分かりながらも、日本史の別の可能性に対して議論を続けた。


 テレビ業界にとってはおいしいネタだった。「坂本竜馬の暗殺を阻止する」だの「本能寺の変を回避して織田信長に幕府を開かせる」などといった企画を持ち込んでは、歴史解説者の私を困惑させた。そんなところに介入して何が面白いのだ。日本人の自己満足ではないか。世界を大きく変えるような発想は日本人には無いのか。

 私には日本史がひどく儚いものに思えてならなかった。



 歴史介入の本格的な実験はあくまで国連の主導という建前で開始されようとしていた。

 当然のことなのだが大国の意見がごり押しされ、いつものように不公平な取り決めが成された。歴史介入実験は各国の提案を安保理が審議して決定する。常任理事国には当然のように拒否権がある。常任理事国の意に染まぬ提案は却下されるということだ。

 もうひとつ言えば、極東の島国の学者はローカルな歴史でも研究しておけ、ということらしい。私が見たかった十六世紀の東アジアの海は永遠に叶わぬ夢になろうとしていた。


 それでも歴史介入実験の開始は、私の歴史学者としての好奇心をかきたてずにはおかなかった。

 最初の提案はイタリアから出された。「ローマ帝国の分裂と滅亡を阻止する」というものだ。

 なるほど、ヨーロッパの暗黒の中世をすっ飛ばして、世界征服でもやる気らしい。イギリス・フランス・アメリカは賛成。ロシアは中立の立場をとった。反対するかと思われた中国も静観を決め込んでいる。もちろんなんらかの裏取引があったと考えて間違いない。

 気の毒なのはタイムマシンの理論を生んだインドである。長くイギリスの植民地とされた歴史から、ヨーロッパ諸国の強化には猛然と異を唱えたのだが、常任理事国でない限り拒否権を発動することはできない。


 黄河文明、インダス文明、メソポタミア文明、エジプト文明。

 私たちが歴史の授業で習う、世界四大文明である。ヨーロッパの文明はエジプト文明の辺境であるギリシャに生まれ、さらにその辺境にローマが誕生する。

 紀元前七五三年、都市国家として誕生したローマは、徐々にイタリア半島に勢力を広げていく。この都市国家が世界へ飛躍する契機となったのが、ユリウス・カエサルの登場である。カエサルはガリア、現在のフランスを制圧した後、イタリアへ戻り反乱を起こす。そして共和制ローマを帝政ローマに作り変えた。紀元前二十七年、初代皇帝に即位したアウグストゥスはさらに版図を広げ、ローマ帝国を世界帝国へと発展させる。パクス・ロマーナと呼ばれる時代が幕を開けたのだ。四世紀の末、衰退期を迎えたローマ帝国は、東西に分裂することになる。西ローマ帝国は五世紀に滅亡し、東ローマ帝国は十五世紀まで生き延びたが、その文明はヘレニズム世界の影響を受けて変質していく。

 ローマ帝国の時代、ヨーロッパは世界の先進地域であったが、滅亡後は暗黒の中世がヨーロッパを覆う。文明が後退し、知識や技術が失われていった。ヨーロッパに再び文明の火が灯るのはルネサンスを待たねばならなかったし、世界に躍り出るのは大航海時代が始まってからだ。

 ヨーロッパのすべての文明はローマを起源としている。

 ローマ帝国が生きながらえていれば世界は全く別の歴史を辿ることになるだろう。

着眼点はいいが、果たしてここに歴史改変の可能性があるかどうかである。


 ローマ帝国救出を目的とした通称「SPQR作戦」は実行に移された。

作戦コードのSPQRは共和制ローマの主権者であった元老院とローマ市民を意味する略語である。

 「元老院およびローマ市民諸君! われわれはローマ文明を救済する。」

 というわけだ。

 この作戦に使用されたのはアメリカのタイムマシン「エンタープライズ」である

 西欧諸国はこぞってSPQR作戦を支持し、協力体制にあった。


 西欧の大衆がSPQR作戦をどう捉えていたかは、各国様々だった。

 ローマを地元とするイタリアはお祭り騒ぎだった。

 フランス人たちは興味なさげというか、シニカルに振る舞う態度を見せた。

 ドイツ人たちは、作戦の意義と予測に様々な批評を加え議論した。

 イギリス人たちは、作戦の成り行きを賭けの対象にしていた。

 アメリカ人たちは、純粋にSPQR作戦を楽しむことに決めていた。アメリカ大陸だけは、旧ローマ帝国の版図に属していなかったため、作戦の成否よりもイベントとして捉えていたのだ。

 アメリカの街々では仮装パレードが行われ、人々はローマの英雄や兵士のコスプレをして練り歩いた。ハリウッドではローマ時代を舞台にした映画が何本も制作されていた。映画のなかのローマ人たちはみんな英語をしゃべっていた。

 ところが蓋を開けてみると、シーザーもアントニウスもクレオパトラも登場しないSPQR作戦にアメリカ人は落胆した。ローマも分裂前なのだからしょうがないのだが、大衆の関心を買うことはできなかったのだ。

 

 私はSPQR作戦を冷笑した。いかにも英雄的なこの作戦は、歴史学的な意義以上に政治の臭いがぷんぷんする。西欧の歴史学者のレヴェルが低いのではない。政治家たちの思惑が勝ちすぎているのだ。こんなものが成功するほど歴史は生易しいものではない。

 私は平静を装っていたが、本心では西欧の歴史学者たちがタイムマシンでローマ時代に行くのが、うらやましくてたまらなかったのだ。歴史介入実験に参加する研究者たちを、指をくわえて眺めていたのだ。

 日本人に生まれたことをこれほど悔しく思ったことはない。


 我が心が天に通じたか、SPQR作戦は挫折を繰り返していた。

 三世紀以降のローマ帝国の歴史はあまりにも混迷しており、どこをどう書き換えたら再生できるのかさっぱり分からなかった。おそらく政治家たちの宣言した「偉大なローマ帝国の再生」というスローガンの下、歴史学者たちは右往左往していたに違いない。功名心と自己顕示欲のかたまりみたいなお調子者の歴史学者が、名乗りをあげてSPQR作戦に参加していたのだ。

 彼らはローマ皇帝の首をすげ替えることに熱中し、ますますローマ帝国の混迷を複雑怪奇なものにしていった。

 揚句の果てに、ローマ帝国を共和制に戻すという。おそらくこれも政治的な発想であることは疑うすべも無い。偉大なローマが帝国であるより共和国として長らえたほうが、民主主義とヒューマニズムの価値観に照らして正しい歴史だというのだ。

 「馬鹿だ。果てしの無い馬鹿どもだ。」

 混乱に混乱を重ねたところでSPQR作戦は放棄された。


 西欧史は専門外の私だったが、ローマ帝国滅亡の原因のひとつが「ローマ帝国のキリスト教化」にあるのではないかと考えていた。あるいはこの一点を突けば突破口が見えたかもしれない。ところがキリスト教国では政治家はキリスト教を否定できないのだ。そんなことをすれば宗教界からの排撃を受けてしてしまうからだ。

 アメリカの勇気ある歴史学者トーマス・オコナー博士がただひとりこの点を指摘したが、背教者として袋叩きにされた。


 主はローマ帝国を見捨てたもうたのだ、アーメン。


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