歴史改変大作戦

高木一優

第1話 タイムマシン・ショック

 歴史に「もしも」が禁句だと言われたのはひと昔まえのことだった。十年をひと昔とするならば、はやふた昔になろうとしている。


 十八年前、インドの物理学者ダルメンドラ・クマール・ヤダプ博士によって時間航行の理論が提言された。その理論に基づいて人類はまたたくまに時間航行機、すなわちタイムマシンを作り上げてしまった。

 理論上は未来へも過去へも自由に航行できるはずだったのだが、実際にタイムマシンを起動してみると未来への航行は不可能だった。過去に対しても限界があった。三千年前を越えたくらいからコントロールが非常に不安定なることが分かった。

 それでも世界はタイムマシン・ショックに沸いた。宇宙開発が各国の資金不足のため停滞していた時期でもあり、人類は新しいフロンティアを歴史の中に求めた。なにしろ宇宙旅行に比べて圧倒的にコストが低かったのだ。タイムマシンの製造にはスペース・シャトル一機分くらいの費用がかかるのだが、ランニングコストが極めて安いのだ。先進国は次々にタイムマシン保有国となった。


 各国の指導者たちはタイムトラベラーたちを各時代に送り込んだ。偉大な自国の歴史を証明するためにだ。偉大でない歴史や、都合の悪い歴史は無視されるか隠蔽された。

 タイムトトラベラーたちは軍人か軍の関係者の中から選ばれた。未知の世界への旅であり危険が伴うからという理由だったが、秘密保持にはいちばん相応しい職業の方々だったからであろう。

 他国の歴史を暴く国もあった。他国の都合の悪い歴史を発表して国家間の交渉を有利に進めることも常套手段となっていった。歴史は政治の手段としての様相を顕にしていった。

 日本でも「やまと」と名づけられたタイムマシンが完成した。搭乗員は自衛隊のエリートたちである。国会では彼らの武器携帯の是非が論議された結果、火器の携帯は不可、刀槍および弓矢による武装が許可された。日本の侍の面目躍如である。


 一方、世界中に歴史ブームが巻き起こった。歴史の謎は次々に解き明かされ、新しい発見の度に人々は熱狂した。

 五世紀にヨーロッパへ侵入したフン族が、紀元前に古代中華帝国の辺境を脅かした匈奴の末裔であるという説が正しいことが確認された。

 インドに侵入したアレキサンダー大王の道案内をしたのが、後にインドにマウルヤ朝を建てるチャンドラ・グプタであるという伝承も事実であることが証明された。

 これらの歴史的事実は、古代における世界史の物語性を豊かにし、歴史マニアたちをうならせた。

 大衆の関心は、アーサー王の実在や、レオナルド・ダ・ビンチが暗号を残していたかどうかだった。クレオパトラの鼻は案外低かったというどうでもよい事実がテレビのワイドショーでとりあげられ、世紀の大発見のように扱われた。

 日本では邪馬台国の謎が解明されたが、これは後にどんでん返しともいえる結論に至ることになる。


 割を食ったのは私たち歴史学者だ。過去の文献や資料を読み漁り歴史の真実を追究する必要などもはやなくなったのだ。なにしろ行って確認してくれば済むことなのだから。

 歴史学者たちは歴史に対する解釈や評価にその存在価値を見出そうとしていた。だが、この方向は政治的・思想的なものに利用され、本来の歴史学の役割から大きく離れていくことになる。

 国家の起源や神話時代に関する事実が明らかになった後も、どのような解釈をするかによって立場が分かれた。事実を盾に神話を退ける者もあれば、歴史の暗喩として新たな意味を与える者もあった。

 宗教に関してはタブーが守られた。「イエス・キリストに関する調査報告書」などはバチカンの奥深くに隠され秘密文書とされた。秘密にされたという事実が様々な憶測を呼び、ここにも複数の解釈が生まれた。

 ある者は御用学者として政府や宗教界の解釈を支持し、ある者はその反対意見を唱え論争した。何が真実かより、何が正義かが優先された。


 当時、近世東アジア史の研究者として頭角を現しつつあった私はこうした不毛な論争にうんざりしていた。私は事実を事実として受け止めるという立場をとった。歴史の解釈は地域や時代によって異る相対的なものだ。政治的な立場を廃し、事実を積み上げることによって歴史の原理を探求できれば歴史学者にとってこれほどの冥利は無い。

 そうだ今こそ歴史学者の真価が問われるのだ。


 そんな私に目をつけたのはマスコミだった。歴史解説者としてメディアに登場することになり、スポーツ解説者や料理研究科よろしくコメンテーターとしての席があたえられた。

 メディアが私に要求したのは、政治色を抑えた客観的な視点だった。歴史に対する解釈はともすれば極端なナショナリズムに走りがちだ。これを誰の目にも公平に解説しなければならない。

 当初、私を支持していたのは、良識派を自称する人々だった。彼らは何でもかんでも、民主主義やヒューマニズムに照らしてどうか、という点を判断基準にしているような人種だった。残念なことに、歴史の多面性や多義性については理解する能力をもっていなかったようだ。彼らは長篠の合戦の映像を見ては命の大切さを訴え、織田信長を虐殺者と非難する。また、江戸時代がいかに豊かだったかという映像をみても、所詮は差別を肯定した時代だと非難する。要するにウザい人々だったのだ。

 視聴率が低迷し、広告収入が減少しつつあったテレビ界にとって、制作費の安い歴史解説番組は天の恵みだった。歴史解説者たちはテレビ業界から引っ張りだこになっていた。

 私は次第にお茶の間の人気者になっていった。知識の豊富さ、見識の豊かさだけではない。語り口の滑らかさや、ツッコミに対するリアクションの良さは、他の歴史解説者たちの追随を許さなかったからだ。


 タイムトラベラーたちは過去において撮影した様々な映像を持ち帰っていた。映像のほとんどは一般公開されたため、メディアは素材には事欠かなかった。

 つぎつぎに公開される歴史絵巻に、私は目を見張り、.心をときめかせた。文献や資料を再構成して、頭のなかにぼんやりとした像を結んでいた数々の歴史的光景が、目の前にあざやかに映し出されているのだ。

 私が最も美しいと思ったのは、南蛮船が平戸の港に入港する風景だ。船が湾内に停泊し碇を下ろすと、港からは無数の艀が漕ぎ出て南蛮船を出迎える。

 「なんという光景だ! わくわくするではないか。」

 南蛮船の船首で赤いマントを羽織った男が手を振って何事かを叫んでいる。私も思わず叫んでしまった。

 「やほぉーい、やほぉーい!」

 これは私のテレビ出演中におこった、愛すべきエピソードである。その後、私は「やほぉーい先生」と呼ばれることとなる。



 オーストラリアで歴史学の革命が起こったのは、私が歴史解説者として深い洞察と、おちゃめなキャラクターをお茶の間にお届けしていた頃だった。世界で最も歴史の浅い国、いや先住民族アボリジニの歴史は古くからあるのだが、長く世界史から隔離されていた国で歴史学の革命が起こったのは、彼らが最も世界史に無責任でいられるという特権を持っていたからだと私は理解した。

 それは比較歴史学と呼ばれた。

 つまり、タイムマシンによる歴史への介入を想定した学問だ。歴史を意図的に変えるとすれば、どのポイントに如何に介入すれば最も効果的な結果が得られるか。もしくは最も自分たちに有利な歴史とはどういう歴史なのか。

 そう、歴史の「もしも」を探求するということらしい。

 なんという浅薄な学問だ!

 歴史の冒涜に等しい。私の歴史学者としての正義が許さん!

 オーストラリアの馬鹿ども、成敗じゃ、成敗!

 ところが暫くして、まことしやかな噂が囁かれるようになった。各国の指導者たちが比較歴史学に大きな関心を寄せているというのだ。アメリカや中国では密かに比較歴史学者が招集され歴史介入に関するチームが編成されているらしい。

 歴史に介入せんと欲すれば、歴史学者の知識を持ってすべしであろう。

 と、いうことは…

歴史学者がタイムトラベラーとなり歴史介入の現場に赴かねばなるまい。

 宇宙旅行でもそうだ。最初の宇宙飛行士は猿だった。その後に続く宇宙飛行士たちもテスト・パイロット出身だ。スペース・シャトルの時代になってようやく研究者が宇宙に行けるようになったのだ。タイムトラベルもスペース・シャトルの時代を迎えようとしている。

 あーそれなのに、私はなんという了見の狭い人間だったのだ。歴史学者の正義などを振りかざし、いい気になっていた自分が恥ずかしい。願わくば、私にタイムトラベルの機会を与えたまえ。悔い改める者に幸いあれ。

 子曰く、あやまちてはすなはち改めるにはばかることなかれ


 私はその日から、日本における比較歴史学の先駆者たらんと努めた。

 私はこの目で見たかったのだ。豊臣秀吉の大軍が対馬海峡を押し渡る姿を。満州族が山海関を越え中原へと突入する光景を。大航海時代の波音をたてて近世の東アジアに来航する南蛮人たちの船を。

 私はそれを想像するだけで身もだえする。


 ただ見たいのだ、十六世紀の東アジアの碧い海が、磨かれた青銅の如く鈍く輝くのを。

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