第14話 バトル・フィールド
「来たあああああああああ、来たなりいいいいいいいいいいい!」
研究室の中央に陣取った戸部典子が血相変えて喚いている。
メイン・モニターには大地を駆ける清の軍団が映し出されていた。ドローンによる空撮である。
凄まじいスピードである。ものすごい数の騎兵が一糸乱れることなく馬を走らせている。二万、いや三万はいるだろうか。これが清の精鋭騎馬部隊、満州八旗だ。八つの騎馬部隊は八色の旗に分けられている。
黄・白・紅・藍の四旗、
黄・白・紅・藍に縁取りを付けた四旗、
合わせの八つの旗が馬上にはためいている。
満州八旗は砂塵をたてながら西を目指している。
ヌルハチの作戦はこうだ。
南から来る島津軍、西から来る長曾我部軍、この二つの軍が合流する前に各個撃破するのである。
だからこのスピードで進軍しているのか。
ヌルハチはまず長曾我部軍の討滅に向かった。
「満州騎兵と長曾我部軍、兵の勇猛さでは互角。でも騎兵のスピードではとても敵わないなり。でもこっちには鉄砲があるのだー。」
戸部典子が採点表みたいなノートをつけている。
そう、清はほとんど鉄砲を持っていない。そこが勝ち目だ。あのスピードにさえ目が慣れてしまえば、勝機は十分にある。
だが、ヌルハチは鉄砲の弱点をよく理解していた。長曾我部軍に対して夜襲を敢行したのだ。夜では鉄砲は狙いを定めることができない。それに清軍は全力をもって長曾我部軍に攻め込んだのだ。全力をもって、分散した兵力を叩く。各個撃破の基本だ。
「危なーい、敵は大軍なりー。」
戸部典子が悲鳴をあげた。
騎馬民族は夜目がきく。漆黒の闇の中でも確実に敵を仕留めていく。
長曾我部元親は松明を焚かせた。松明の火で浮かび上がった満州騎兵に向けて鉄砲が発射された。
この時には既に長曾我部軍は包囲されていた。
長曾我部元親は退却を命じた。この暗闇で完璧に包囲することなどできない。
元親は包囲網に穴があるのを見つけた。ここから兵を逃がすのだ。
元親は、家臣たちの制止を振り切り、自らが
「ダメなり! 長曾我部君、死んじゃダメなりぃ。」
長曾我部軍はその最後の力を振り絞って脱出のために戦いに戦った。元親の死を賭した奮戦により兵の半数が逃げ延びた。
「長曾我部元親殿、討ち死にでござりまするなり。」
戸部典子がしょんぼりしている。
長曾我部元親、討ち死にの知らせを受けた島津義弘は夜襲を警戒した。野営地に赤々とかがり火を焚いたのだ。ただし多勢に無勢である。援軍との合流を優先すべきだとの判断から島津軍は後退を始めた。島津義弘の任務は山海関の救援である。山海関が陥落してしまった以上、退却し、作戦を練り直すべきだ。
島津軍が退却を開始した未明、ヌルハチが島津軍を捉えた。満州騎兵が島津軍に襲いかかる。日が昇るとともに、鉄砲で応戦する島津軍。何度も言う、ヌルハチは鉄砲の弱点を知り抜いている。弾込めに時間がかかるということも。鉄砲の一斉掃射の後、神速の騎馬軍団が襲いかかる。島津軍は瞬く間に包囲された。
「このままででは、長曾我部君の二の舞なりー。」
戸部典子の声には悲壮感がこもっていた。
しかし、包囲の中で島津義弘は体制を整えつつあった。島津軍が縦に集結して、包囲網の強行突破を敢行したのである。島津軍そのものが一本の槍となり、清軍の囲みを切り裂いていく。島津軍は死中に活路を開き、囲みを破った。膨大な数の満州騎兵が切り崩された。
「やったなりぃ! 島津兵の強さ、見たなりかヌルハチぃー」
島津義弘は逃げに逃げた。逃走する島津軍を満州騎兵が追う。スピードではとても敵わない。
「追いつかれるのだー、もっと早く逃げるなりぃー。」
その時だった、伊達政宗の援軍が駆け付けたのだ。政宗は伊達軍を最小限の編成とし、行軍スピードを優先させていたのである。ここまで駆けに駆けて来たのだ。
「政宗君、ナイスなのだー。」
伊達の鉄砲隊が小高い丘の上から火を噴いた。満州騎兵がばたばたと倒れる隙に、島津軍は伊達軍と合流し退却した。
伊達政宗はよほど悔しかったのだろう。清の軍団を見るなり負けを悟ったからだ。政宗はナイキの兜を地面に叩きつけて泣いた。
戸部典子が肩を落としている。
「戦国武将は、弱っちいなりか?」
こいつには珍しく言葉に力がない。
集団戦法を取る満州騎兵に対し、戦国武将たちの基本は一騎駆けである。ここに勝敗を決する要因がある。信長が危惧していたのはこのことなのだ。
上杉景勝が北京に入城し、徳川家康と合流した。ここに退却してきた島津・伊達の兵が加わった。
徳川家康を総大将とする軍団は海王朝の旗を掲げて進軍した。
「清」と「海」、二つの王朝の決戦である。
この時の家康には驕りがあった。なにしろ朝鮮半島以来、連戦連勝だったのだから仕方がないのかもしれない。島津義弘や伊達政宗が満州騎兵の恐ろしさを説いても、聞こうとしなかった。
「島津殿、この度は大軍ぞ、安心召されよ。」
「伊達殿、そこもとはまだお若い、ここはこの家康の采配、とくと御覧(ごろう)じろ。」
くらいのことは言ったかもしれない。
また、家康と上杉景勝の間には軋轢があった。
信長に心服する景勝は、北京において家康が謀反企んでいるのではないかとの疑いをもっていたのだ。
家康が率いる軍の足並みが揃わない。軍団に精彩がない。
軍事には素人の私にもそれが分かった。
戸部典子もうすうす感じていたのか、不安を隠しきれない様子だ。拳を握りしめてメイン・モニターを凝視している。
上杉景勝は不満げな顔をしている。島津・長曾我部両軍の救援に来たはずなのに、いつの間にか家康の軍団に従って行軍していることが気に入らないのだ。この男は生来の口下手である。家康に丸め込まれたとの忸怩たる思いがある。
島津義弘は泰然としている。この男の胸中は読めない。
伊達政宗は満州騎兵に一矢報いたいと、いきりたっている。
徳川家康。この男は無能ではない。ただ、あまりにも日本人的なのだ。家康のスケールは日本列島を出ることがない。大陸の巨大な状況が読めていない
それみたことか、満州騎兵の登場だ。鶴翼の陣形から神速の騎馬軍団が徳川軍を取り囲んでいく。しまった、と思った時にはすでに遅し、満州騎兵が一本の槍と化して突入してくる。
「それは島津義弘君の戦法なりぃ。」
ヌルハチは島津戦法を取り入れていたのだ。戸部典子が実に悔しそうな顔をしている。
中央突破した清軍はまたたくまに徳川軍を取り囲んでいく。またもや包囲戦法だ。包囲を縮めながら攻撃のポイントを探っている。
真っ先に狙うは大将の首だ。ヌルハチは徳川軍の動きから最も防備の厚い部分を絞り込んだ。
徳川家康の本陣が破られた。逃げまどう家康の姿は無様だった。
戦闘の趨勢は決した。
島津義弘は、上杉軍と伊達軍を糾合し再び突破の陣形をとった。
前回の島津軍の突破力の恐ろしさを経験していたヌルハチは、包囲網の一角を解いた。島津の死を恐れぬ猛攻で、無駄に兵を失うものではない。
島津、上杉、伊達の三隊は戦場を離脱した。
「ヌルハチ、敵ながらよく分かっているのだ。島津義弘君は恐ろしいなりよ。」
徳川家康は命からがら落ち延びた。家康は恐怖のあまり馬上でお漏らしし、垂れ流しながら逃走したと伝えられる。これも奇妙な歴史の復元力なのかもしれない。
中原に勢力を拡大し、あわよくば海王朝の簒奪をも画策していた家康の野望は脱糞と共に潰えたのだった。
ヌルハチは北京を押さえた後、徳川家康の残存勢力を打ち破りながら、黄河流域を西進した。
明王朝から徳川軍に寝返った漢民族の武将たちは、たちどころに清軍に投降していった。彼らにとっては明を見捨てた以上、忠誠は何処においてもよかったのだ。
中国は儒教の国だから忠孝の徳が重視されるなどと思っていては大間違いだ。春秋戦国の時代から、中国の歴史は裏切りと謀反の歴史である。漢の劉邦に仕えた韓信にしても、元を正せば項羽の部下なのである。三国志の呂布の裏切りっぶりは見事なものだし、裏切りのない三国志は逆につまらないだろう。中国史上有数の名君と称えられる唐王朝の太宗、李世民にしても兄を殺して皇帝の座に就いている。
日本にしてもそうだ。戦国時代においては裏切りは日常茶飯事だった。裏切りが無ければ関ヶ原は西軍の勝利に終わっていただろう。忠義の二文字で生き残れるような生易しい世の中ではなかったのだ。
忠義が武士の規範となるのは江戸時代の事だ。江戸時代は太平の世だから、忠義の建前を通しても一族の存亡に影響することがなかっただけだ。
清軍は洛陽、そして長安と、中国でも歴史ある大都市を攻撃目標とした。
洛陽は本多忠勝が守備している。漢民族の武将が寝返り、清の大部隊が包囲する。忠勝は孤軍奮戦したが勝敗は明らかであった。本多忠勝は洛陽を落ち延び、長安の榊原康政との合流を目指して西へ奔った。
しかし、長安も清兵が取り囲んでいた。榊原康政は囲みを破って長安を脱出し、本多忠勝と共に。信長のいる上海へ退却した。
もはや中原は清王朝の支配する地となったのだ。
商人に身をやつし逃亡する徳川家康を発見したのは、井伊直政の遊撃軍だった。家康は直政に助けられ命からがら上海までたどり着いた。
家康を引見した信長は、家康を蹴り倒し、その頭を足で踏みつけた。井伊直政が平伏して許しを請うたが、信長の怒りは治まらなかった。
明智光秀の取りなしで、ようやく一命を取り留めた家康は、三河・駿河の領地を没収され、江戸への転封と、蟄居を命じられた。
「かたじけのうございます。」
ひたすら平伏する直政に、信長は言った。
「励め!」
つまり、家康に仕えるは昨日まで、今日よりは信長に仕えよ、ということだ。
本多忠勝と榊原康政が上海に落ち延びてきたとき、既に家康は大陸を離れ江戸へ向っていた。忠勝と康政も織田の指揮下に組み込まれることになる。
「徳川四天王もみんな織田の武将になったなりか?」
酒井忠次は既に隠居しているから、四天王のうち三人を手に入れたわけだ。
だがこの後、本多忠勝と榊原康政は上海を逐電している。
「信長様から逃げちゃったなりか?」
徳川に忠誠を尽くしたとも取れるが、信長が恐ろしかったのかも知れない。
「信長様は最初から徳川を滅ぼすつもりだったという説もあるなり。」
まっ、信長ならやりかねない。
信長には浅井長政という同盟者がいる。同盟者でありながら長政は臣下の礼を取り、他の武将たちの模範たろうとしている。
中原に割拠を企んでいた家康の野心を信長は見抜いていたのだ。
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