第17話 迎撃策

 上海城の軍港に、浅井長政が率いてきた船団が停泊している。長政は関が原の戦勝報告をかねて上海を訪れたのだ。

 織田信雄の補佐は蒲生氏郷に任せている。関が原の戦いでの氏郷の優秀さを長政は大いに気に入り、自分の後釜に据えたのだ。

 船からは大量の鉄砲が荷下ろしされている。荷下ろしのチェックをしているのは石田三成ではないか。長政は三成を大陸に連れてくることによって新しい時代を学ばせようとしているようだ。この俊才が大陸においてどう成長するか楽しみだ。

 船には、鉄砲鍛冶たちも大勢乗船していた。彼らは大陸において鉄砲づくりに励むことになるのだ。

 対ヌルハチ戦の本格的な準備が始まったようだ。


 長政は妻、お市を帯同していた。お市は信長の妹である。茶々、初、江、三人の娘たちも一緒だった。信長は妹と姪たちに再開した。三人の娘たちも大きくなっている。噂にたがわず美しい。

 これは信長にとって武器になる。要するに政略結婚だ。ヌルハチに差し出して和平を乞うこともできるかもしれない。姪を差し出し、油断させたところに攻め込む。信長だったらやりかねない。改変前の歴史では、お市を妻とする浅井長政を攻め滅ぼした男なのだから。

 「そんなの許せないなり。」

 私がそういうと戸部典子は噛みついてきたが、これが戦国の習(ならい)というものではないかね。

 中国の歴史を紐解けば、漢の初代皇帝だった劉邦でさえ、騎馬民族の匈奴に怯え、公女を差し出したくらいなのだ。

 まぁ、そうならないことを願う。


 「黒田如水殿、ご到着なりー。」

 戸部典子が「ででん」と陣太鼓を打った。

 そんな物どこから持ってきたんだ。

 「このあいだフリマで売ってるのを見つけたなり。」

 なんとも嬉しそうにしているではないか。また、戦国の大スターが加わったのだから、歴女の血が騒ぐのだろう。

 家康謀反のこともあって、長政は危なさそうな黒田如水を半ば拉致同然に連れてきていたのだ。この老将は関が原の戦に乗じて兵を動かそうとした形跡があり、長政はそれを見逃さなかった。隠居の身とはいえ恐ろしい男なのだ。

 改変前の歴史において、豊臣秀吉は「次に天下を取る者は黒田如水なり」と御伽衆に語ったという。また、関が原の戦いが百日続いていたならば、その間に如水は九州から中国地方まで平らげていたと言われる。そのうえで戦力を損耗した関が原の勝者と決戦し天下を取るつもりだった。

 その黒田如水は上海城を見上げて呆然としている。供回りも連れず、所在なさげだ。拉致同然なのだから仕方がない。だが、黒田如水クラスになれば、たったひとりでも軍師として勤まるのだ。

 浅井長政というのはほんとによくできた男だ。日本から黒田如水を引き離し、対ヌルハチ戦に備えて日本一の軍師を連れてきたわけだ。


 真田信繁は馬上鉄砲を完成していた。

 馬上から鉄砲を撃つ。そのために銃身を短く切り詰めている。三本の銃身が束ねられ三連発が可能なのだ。

 ためし撃ちには伊達政宗も参加している。この二人は馬が合うらしく、頻繁に往来している。

 信繁が馬上から的に向かって、三連射する。当たったのは一発のみ。

 今度は俺にやらせろとばかりに、政宗が信繁から馬上鉄砲を取り上げた。

 「政宗君、がんばるなりー。」

 ズドン! ズドン! ズドン!

 「惜しいなり。一発外したなりー。」

 今度は信繁が、お返しとばかりに政宗の兜を取り上げた。例のナイキの兜だ。シンプルで実用性に富んでいる。それにナイキのマークがかっこいい。

 「馬上鉄砲にナイキの兜、これなら高機動力で満州騎兵を圧倒できる。」

 とでも話しているのだろうか、二人が大笑いしている。

 「男の友情って、いいなりなー。」

 またまた戸部典子が、うっとりしてやがる。


 真田信繁は信長に馬上鉄砲を献上した。

 信長は「デ、アルカ」と言っただけだったが、その後、信繁は信長の秘書のようにされてしまった。

 忙しい日々が始まった。

 午前中は信長から命じられた仕事をこなし、昼からは鉄砲の生産ラインの管理だ。

 ふいごが「ごう」と風をおくり、溶鉱炉は燃え盛っている。まるで灼熱地獄だ。

 だが、この職場は楽しい。職人たちは日々アイディアを出し合い、鉄砲に改良を加えているのだ。信長は鉄砲鍛冶たちにもチャンスを与えていた。能力のある者には莫大なサラリーが支払われていた。真田の次男坊よりも羽振りのいいものがたくさんいた。


 清との国境地帯では幾度となく小競り合いが続いていた。戦況は芳しいものではなかった。満州騎兵の集団戦法に翻弄され続けていたのである・

 信長は軍制改革に乗り出した。

 この当時の武将たちは、何人もの供回りを従えて戦場に赴く。旗持ち、槍持ち、弁当を持っていくだけの者もいる。これが集団戦法を妨げている。

 信長はこの供回り衆を武将たちに差し出させた。供回り衆には鉄砲を持たせ、信長の直属とした。この頃の信長には武将たちに有無を言わせぬ力があったのだ。武将たちも満州騎兵に勝つためには仕方がないと諦めたのであろう。

 武将たちは騎馬軍団を構成した。一騎駆けを許さぬ統率のとれた騎兵である。

 一方では膨大な兵数を誇る鉄砲歩兵が誕生しつつあった。鉄砲は僅かな訓練で誰もが撃つことができる。三十人ごとに小隊が編成され指揮官が養成された。

 信長は鉄砲歩兵たちの訓練を開始した。

 担当者は、またまた真田信繁だ。それに伊達政宗も協力している。信繁も政宗も背中に馬上鉄砲を背負い、お揃いのナイキの兜をかぶっている。

 指揮官の号令に合わせて鉄砲歩兵たちが俊敏に動くようにするための訓練だ。これを体が覚えるまで何度も繰り返すのである。

 形だけではではあるが近代的軍制に大きく近づいたと言える。

 

 近代的軍隊にあって、信長の軍隊に無いもの。それは愛国の概念だ。

 西欧の歴史では民衆が銃を持つことによって市民が誕生した。フランス革命ではこの市民が銃を持って戦ったのだ。やがてナポレオンが市民軍を国民軍に編成していく。その過程で国民ネーション国家ステーツが結びつき国民国家が生まれたのである。国民の誰もが銃をとって戦うことができるのが国民国家の条件である。

 国民のひとりひとりが国家に対して権利と義務を持ち、その義務のなかには兵役も含まれる。戦争となれば祖国のために命をかける。これが愛国である。

 十九世紀において、傭兵を主体としていた西欧の軍隊は、ナポレオンの国民軍にまったく歯が立たなかった。戦うモチベーションが全く違うからだ。

 愛国心というのは、国民国家の産物である。愛国心があるから国家のために死ねるのだ。

 ただ、この愛国心は悪用され易い。


 上海城では軍議が開かれた。

 石造りの宮殿の大広間には床から一メートルほど高いとろに皇帝の玉座が据えられ、信長が腰を下ろしている。玉座へ登る階段の下には浅井長政と明智光秀が左右に控え、諸将が集められていた。諸将はここで立ったまま会議を行うのが中華の伝統である。

 満州騎兵との戦闘経験のある上杉景勝、島津義弘、伊達政宗はもちろんのこと、毛利輝元、長曾我部守親、柴田勝家などの顔ぶれが見える。黒田如水は軍師として軍議に加わっているようだ。大広間の隅には信長の秘書、真田信繁の傍らに石田三成と大谷吉継の姿が見える。浅井長政が勉強のために連れてきていたのだろう。

 伊達政宗が満州騎兵の戦法などについて説明し終わると、黒田如水が現状分析としていくつかの指摘を行った。

 如水はヌルハチ南征の時期を一年以内と読んでいた。ヌルハチは海王朝が国力を充実させる前に攻めてくる。つまりは清軍の兵力が整い次第ということだ。

 さらに如水は、もし自分がヌルハチならばと前置きして、清軍の攻撃目標は武漢であると予測した。武漢は上海から西、五百キロ・メートルに位置する長江流域の交通の要衝である。長江は武漢において漢水と合流する。この武漢を制すれば上海の喉元を押さえたも同然だ。海王朝の水路を利用した流通の動脈を遮断することもできる。

 各武将たちは様々な意見を戦わせた。ある者は武漢における籠城戦を主張し、またある者は長江を自然の要害として防御に徹する策を唱えた。しかし、いずれも消極策と言わねばならない。

 柴田勝家は逆に北伐を敢行し北京に兵を進めることを進言したが、伊達政宗と島津義弘が揃って反対した。中原は騎兵に有利な地形であり、騎兵同士の戦闘では敵に分があるからである。

 黙り込む各武将のなかで、またもや黒田如水が発言した。如水の策は、あえて武漢まで敵を誘い込むというものだった。

 黒田如水は三国志を引き合いに出して作戦を説明した。

 三国志に登場する赤壁は武漢近郊の長江に面する崖である。赤壁の戦いにおいて孫権と劉備の連合軍は曹操の大船団を撃退した。諸葛孔明の鬼神ともいえる大活躍の伝説はあるものの、その勝利は水上戦闘に熟練した孫権軍の力に負うところが大きい。中原に拠点を置く曹操は兵数でこそ勝っていたが水上戦闘に不慣れだったために敗れたのだと如水は強調した。

 清軍は水軍を持っていない。恐らくは騎兵による襲撃になるだろう。武漢近郊は水路が入り組み、湖や沼が散在する湿地帯である。湖沼地帯では、騎兵はその運動能力を十分に発揮することができない。また、味方には水軍があり、敵の渡河を狙って攻撃すれば大打撃を与えることができる。

 「清」も「海」もまだ国力が十分とは言えない。お互い長期戦は避けたいはずだ。その長期戦をあえてやるのだと如水は言う。

 黒田如水の策は敵をこちらの陣地に引き込み、泥沼の中でじわじわと相手の国力そのものを削いでいくことにある。長江流域での戦いになれば、遠征している清のほうが、消耗が激しいはずた。兵糧や武器の調達といった兵站は言うに及ばず、清王朝の本拠である中原の防備が薄くなる。もし、中原で反乱などが起こったならば、清王朝自体が危機にさらされることになるのだ。場合によっては中原において調略を仕掛け、反乱を誘発させることも視野に入れた黒田如水ならではの恐るべき戦略だ。

 島津義弘がうなった。さすがは黒田殿という顔をしている。

 他の武将たちも「それしかござらぬな」と頷いている。

 黒田如水の作戦ならば、少なくとも清軍を撃退することはできるだろう。だが、海王朝もまた長期戦により少なからず疲弊する可能性があるのだ。


 長期戦は最後の手段だと信長は考えていた。戦いが長引けば、中国各地にくすぶっている明王朝の残存勢力が息を吹き返すこともある。また、混乱の中から漢の劉邦や明の朱元璋のような英雄が現れて、天下をかっさらうこともありうるのだ。

 玉座から信長は戦略を示した。

 信長の戦略は、漢水平野にて、ヌルハチを迎え撃つというものだった。

 騎兵にとって最も有利な平原で会戦するだと。何を考えているのだ、信長様ぁぁ!、 などと思うのは天才の何たるかを知らないやからの妄言だ、天の時、地の利、人の輪、この三つを手にしたならば勝利は約束されたも同然である。

 天の時。今ならばこそ、海王朝の国力は清王朝のそれを上回っている。版図ばかりが大きい清に対して海王朝は莫大な富を蓄えている。ヌルハチは海王朝の力がこれ以上大きくなることを恐れている。だからこそ早期決戦に出る構えなのだ。

 地の利。漢水平野は漢水という大河に沿って広がっている。ここは漢水が氾濫を繰り返して作り上げた平野であり、地面は水分を含んで柔らかい。ヌルハチが攻めてくるのが収穫期の後、おそらくは旧暦の九月以降の乾燥期になるはずだとしても、騎馬民族が慣れ親しんだ草原のように自由自在に馬を走らせることはできない。

 一方、水軍を持つ織田軍は長江から漢水に至る水路を使って兵や物資を迅速に輸送することができる。織田軍に地の利があるのだ。

 また、ここで負けたとしても武漢に退却し黒田如水の策を用いることができるし、最終的には長江が防衛ラインとなる。

 人の輪。集団戦闘を意識した騎馬軍団に加え、膨大な数の鉄砲歩兵が訓練を終えている。水軍も充実し水上戦闘ならば清軍を圧倒できる。

 問題なのは漢水平野での会戦に敗れた場合、織田軍全体の士気が落ちることを覚悟しなければならない。中国人武将たちの寝返り、さらに日本の武将たちの中にも敵に内通する者が出る可能性がある。場合によっては海王朝自体が自壊する可能性もあるのだ。これを避けるためには、漢水の会戦でせめて互角の戦いをしなくてはならない。

 敵は力攻めで来る。武力だけならば清に分があるのかも知れない。

 この戦いはある意味博打に近いが、信長には策があったのだ。


 そろそろ、ヌルハチも中原における地固めを終える頃だろう。

 再び戦雲が巻き起こりつつあった。

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