第16話 決戦! 関ヶ原

 南北朝が睨みあい、戦況が膠着状態に入ったころ、信長のもとに勅使が到着した。京の都の朝廷からの使者だ。勅使の目的は信長の皇帝即位を寿ことほぐことだったが、実は様子を見に来た密偵なのだろう。

 上海の街を勅使の行列が練り歩き、中国人たちはその異国情緒あふれる風情を楽しんだ。街はちょっとしたお祭り騒ぎだ。


 皇帝の玉座から勅使を引見した信長は、あろうことか勅使を跪かせてしまった。信長が日本の武将のひとりであったならば、勅使を上座に、信長が下座に座り、うやうやしく勅書を受け取るのである。

 だが、信長は皇帝である。聖徳太子の言うように「日出る処の天子」と「日没する処の天子」が同格だとしても、百歩譲っても同格なのだ。

 朝廷から賜った官位などすべて返してしまった信長だったが、朝廷はあくまで前右大臣さきのうだいじん、信長を臣下として扱うのだ。 

 だが信長は朝廷を格下として扱ったのだ。皇帝なのだから当然のことである。


 信長の大陸侵攻の理由はそこにあるのではないかと、私は密かに考えていた。日本国内にいる限り朝廷の権威を超えることはできない。朝廷の上に立つ者は中華皇帝である。日本の朝廷は遣隋使、遣唐使を送り中国に対して朝貢を行っていた時代がある。朝貢を行う事は中華の冊封を受け属国となることを意味する。中華皇帝は唯一、天皇の上位概念なのだ。

 「でも、中国から学ぶものが無くなってくると、日本の朝廷は中国と貿易している感覚だったなりよ。」

 朝貢とは貢物を持って挨拶に行くことだが、中国は貢物以上のお土産を持たせて返さねば宗主国の面子が立たない。お土産を目当てに日本人は度重なる朝貢を繰り返したのだ。

 「挙句の果てに唐王朝から、そんなに来なくてもいいよって言われたみたいなり。」

 わっはっは、日本人もずうずうしいものだ。

 その上、唐王朝が弱体化し国風文化が成熟すると。菅原道真は遣唐使を廃止してしまった。

 「八九四年、白紙に戻す遣唐使なり!」

 その十三年後、九〇七年、暮れなずむ唐の滅亡である。


 信長の勅使に対する扱いに激怒したのが関白、近衛前久このえさきひさである。改変前の歴史では本能寺の変の黒幕説がある公家の大物だ。

 「やっぱり悪そうな顔をしているなり。」

 戸部典子が言うように近衛前久は公家というよりも荒武者のような容貌をしている。上杉謙信とも交流を持ち、本願寺の顕如をけしかけて信長包囲網を敷かせたほどの人物である。

 近衛前久は朝廷において「信長追討の宣旨」を取り付け、密かに全国の大名に向けて発したのである。信長が日本に居ないうちに、乗っ取ってしまおうという腹だ。

 ところが、有力な大名や武将のほとんどは大陸にいたのである。日本に残った大名たちは二流か三流、そうでなければ年老いて第一線を退いた武将たちばかりだ。

 信長追討の宣旨に対するリアクションは皆無であった。


 大坂城には信長の次男、信雄がいる。その補佐をつとめるのが浅井長政だ。二流の武将程度で敵う相手ではない。

 信長追討の宣旨はやがて浅井長政の知るところとなり、関白、近衛前久は京の都を逃れた。前久が頼ったのは大和の国の松永久秀である。

 「生きてたななりか、弾正だんじょう!」

 弾正とは松永久秀の官名である。

 信長の天下統一の勢いがものすごかったので、忘れられた武将となっていたのだ。

改変前の歴史では、戦国一の策士、大悪人である。ただ、もう八十過ぎの老いぼれである。もう二十も若ければ、策を巡らし、ひと暴れすることもできただろう。だが人生は儚い。もう一花の思いがあったのだろう、久秀は関東に使者を送った。


 そのころ、敗戦の責任を取らされた徳川家康は関東の領地に戻り、江戸において蟄居していた。家康は失意し、日々無聊ぶりょうを囲った。

 松長久秀の使者が訪れたのはそんな時である。

 これはひょっとして再起のチャンスではないか。

 家康と久秀の間に激しくふみが飛び交った。

 近衛前久を掌中の玉としたことで、徳川家康の野心に再び火が付いた。家康は密書をしたため、主に東日本の大名たちに信長追討の協力を要請したのである。

 関東は不穏な状況になりつつある。

 「やっぱり、タヌキ親爺なり。」

 戸部典子が家康を睨みつけて、歴女の血をたぎらせている。家康は歴女さんにはあまり人気ないから、いい敵役かたきやくなのだろう。


 歴女といっても最近ではいろいろ種類があるそうだ。

 「あたしのように戦国武将を愛するのが正統派なりよ。」

 と、戸部典子は言う。

 幕末の志士や新選組に萌えるのも正統派らしい。

 「源氏物語好きは歴女とは言わないなり。あくまで雄々し趣味の女子を言うなり。」

 ほかに刀剣女子というのがあって日本刀を愛でる女たちのことだと聞いた。

 仏女というのは聞いたことがあるぞ。仏像マニアの女子だ。

 「仏女は歴女とは違うかも知れないなり。でも根っこは同じかも知れないのだー。」

 昔、飛鳥仏を集めた展覧会が東京で開催された。その日はシンポジュウムが開かれており、後学のため私も聴きに行くことにした。会場は若い女性でいっぱいで、立見になった私に女子大生風の上品な女性が席を譲ってくれた。シンポジュウムの後、仏像を鑑賞しようと展覧会を覗いたところ、さっき席を譲ってくれた女性がいた。軽く挨拶すると、女性は嬉しそうに私に言った。

 「旦那、今日はいい子が揃ってますぜ。」

 確かに素晴らしい仏像ばかりだったが、女郎屋の客引きのような物言いにたじろいでしまった。

 今ではこの女性に戸部典子が重なり、私は歴女を理解できたような気がする。


 中国人のスタッフたちは、徳川家康の動きにあまり注意を払っていない。信長が中国を抑えた以上、日本など後回しなのだ。それよりも北のヌルハチが気にかかる。中国の大状況に対して、日本の小情況というところだろう。


 仕方がないので、ほんとうに仕方がなかったので、私は戸部典子と二人で、小情況をモニタリングすることにした。

 「なんか、わくわくするなり。これで戦国武将同士のいくさが見られるなり。」

 戸部典子が目を輝かせている。目から破壊光線でも出しそうな勢いだ。

 久々の日本だ。実に平和ではないか。信長の天下統一以降、戦らしい戦はおこっていない。なにしろ二流・三流の大名くらいしか残っていないのだ。

 それに織田信雄の補佐役・浅井長政の政治手腕が実に優れている。

 「任せて安心、長政君なりね。」

 そんな言い方すると、生命保険のキャッチ・コピーみたいに聞こえるぞ。


 だが、反乱の狼煙は上がったのだ。

 家康は信長追討の宣旨を掲げて挙兵した。

 すでに浅井長政が朝廷に圧力をかけて取り消された宣旨ではあったが、これが家康の大義名分である。

 家康率いる二万の軍が東海道を進軍する。家康の三男、信直のぶただが一万五千の兵を率いて中山道を行く。

 徳川信直とは介入前の歴史では徳川秀忠である。秀忠は豊臣秀吉から「秀」の一字を頂いたが、介入後の歴史では信長から偏諱を賜って「信直」としたのである。

 家康の長男・信康は改変前の歴史と同じく信長の命令で殺されてしまった。次男もヌルハチとの戦闘で討ち死にした。徳川の三番バッターは信直である。

 迎え撃つは、織田信雄を擁する浅井長政。兵四万を率いて大坂城を発した。

 私と戸部典子はパソコンのモニターの前に座り込んでいた。

 メイン・モニターは大状況に変化があった時のために使わせてもらえない。

 戸部典子は研究室に備え付けの鉄観音茶を入れている。ちゃんと私の分も入れるんだぞ。

 デスクの上はお菓子でいっぱいである。ポテチ、チョコ、煎餅などなど。カップラーメンやサンドイッチもある。冷蔵庫の中にはアイスクリームやコーラなど、完璧だ。

 これで、モニター観戦の準備完了というところだ。

 戸部典子は極楽気分だ。


 このままいくと、関が原あたりで激突だな。

 「関が原! あたしの大好物なり。」

 戸部典子の顔が輝いた。顔からプロトン・ビームでも発射する勢いである。

 パソコンのモニターには行軍する両軍の兵が映っていた。チャンネルを切り替えるだけで東西両軍の様子がモニターできる。人民解放軍のみなさん、ご苦労様である。


 家康に従うは、山内一豊、最上義光、佐竹義重、里見義康、などなど、あまりぱっとしない名前が連なる。

 「なんか小粒なりね。」

 戸部典子はガリガリ君を前歯で嚙砕いている。

 改変前の「関が原の戦い」に比べて兵の数が少ない。

 ビッグ・ネームは家康と長政だけで、あとは二流、三流の武将だけだ。

 「なんか、しょぼい関が原なり。」

 おまえの言うとおりだ。確かにしょぼい。

 対する浅井軍は織田の精鋭部隊と浅井軍団で構成されている。

 「蒲生氏郷君なりぃ。」

 副将は、蒲生氏郷だ。これは強い。

 関が原と言えば、石田光成はどうしているんだ。

 「長政君にスカウトされて浅井家に仕えているなり。今回は兵站を担っているのだ。」

 三成が補給部隊の担当か、適材適所の配置だ。

 「それから大谷吉継君も浅井長政に仕えてるなりよ。浅井軍のどこかにいるはずなり。」

 三成も吉継も近江の出身だから浅井長政に仕官していでも不思議はないな。


 隅っこでモニター観戦している私たちに、李博士が月餅を差し入れてくれた。変わり月餅で有名なお店で買ってきてくれたのだ。

 李博士が「お好きな月餅をどうぞ」と言っている。

 中身は何かな? ちょっとロシアン・ルーレットみたいで怖くもある。

 むむむ! 戸部典子が月餅の中身を嗅ぎ分ける超能力を発動させた。

 「抹茶味なり!」

 それにしても中国人はどうしてこんなに日本生まれの抹茶味が大好きなのだろう。

 私のはエビみたいだ。油で揚げたエビが皮ごと入っている。パリパリした食感がたまらない。

 「それエビじゃないのだ。ザリガニなりよ!」

 確かに、ハサミが付いている。


 徳川信直が中山道を進んでいる。

 「誰か忘れてないなりか?」

 ポッキーを口にくわえながら、戸部典子が言った。

 おう、そうだこの男がいた。年老いたとはいえ信州上田には真田信繁の父、昌幸がいたではないか。

 これも歴史の復元力か、真田昌幸は徳川信直の進軍を阻んだ。信長の天下統一の折、家康にはずいぶん虐められたから、その仕返しだろう。

 この真田昌幸の戦法というのが、まぁ、卑怯を絵に描いたみたいなのだ。逃げる、騙す、罠にかける。この繰り返しである。剣道・柔道と同じく卑怯にも「卑怯道」があれば、昌幸はまちがいなく黒帯だ。

 「ちょっと信直が憐れに思えないか?」

 戸部典子は、どん兵衛のおつゆをすすっている。

 「仕方がないなり。熱くなってるのび太君が悪いなり。」

 戸部典子にかかると、徳川信直も「のび太君」ということになる。

 のび太君は真田昌幸の卑怯な戦法にたけり狂い、なんとか一矢報いんとして熱くなっているのだ。

 介入前の歴史どおり、のび太君は遅れに遅れた。


 家康が爪を噛みながら、苛立っている。

 このままでは、浅井軍四万に対して、二万の兵力で戦わなければならない。しかし、信長に反旗を翻した以上、もう後には引けない。家康ほど信長の恐ろしさを理解していた男はないであろう。

 一五九三年九月十五日、信直の到着を待つことなく、関が原の戦いが始まった。

 改変前の歴史に先んじること七年だ。

 「ぅわぁー、関が原の戦いなりー。」

 戸部典子は手をたたいて、はしゃいでいる。

 これが歴女さん垂涎の「関が原」なのだ。

 豪華絢爛たる戦国オールスターズは、みんな中国だけど。

 「でも、やっぱりしょぼいなり。」

 戸部典子はポテチを口いっぱいに含んで、もがもがしながら言った。

 おまえ、太るぞ。


 浅井長政は鶴翼の陣で家康軍を取り囲んでいる。一方、家康は魚鱗の陣、魚のうろこのような密集隊形で長政軍を切り崩す構えだ。

 午前九時、朝靄が晴れるとともに戦闘が開始された。

 「えい!」と打ち掛かれば、「おう!」と答える。戦国の習(ならい)に則(のっ)とった見事な戦いぶりである。

 「日本のいくさなりねぇー。」

 戸部典子は煎餅を食いながら観戦だ。「ばりぼり」とうるさい。

 満州騎兵との死闘を見てきた私たちには、日本の戦が優雅にさえ見えた。

 武将同士の一騎打ち。「打ち取ったりー」という勝ち名乗り。

 ローカルな戦いだ。

 まぁ、これはこれで、見応えがあるというものだ。

 戸部典子君、裏切りはでそうか?

 「浅井長政は織田兵と浅井兵、それに蒲生兵しか連れてないのだ。裏切りがでるはずはないなり。」

 じゃあ、徳川に勝ち目はないな。

 「そういうことなり。」

  おーっと、徳川軍、ついに崩れたか!

 浅井長政の勝利だ。戦闘開始から六時間にして勝負がついたのだ。

 「長政君、コングラチュレーションなり!」

 戸部典子は缶ビールを片手に祝杯をあげた。こいつ、ついに酒まで持ち込みやがった。

 こうして、しょぼい関が原の戦いは幕を閉じた。


 徳川家康は戦場から姿を消した。どこに落ち延びたのか、それからどういう人生を送ったのか一切の記録に残っていない。

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