第12話 幕間の不祥事
碧海作戦の一段落に誰もがほっとしていた。
長い間、緊張が続いたのだ。ここらで骨休めがしたい。
午前中に作戦の状況を確認する。といっても、上海城下の建築状況を見守るだけだ。午後からは北京の市中を散策した。故宮から前門大街まで歩いたり、
北京は歴史の都である。街を歩いているだけで何千年もの歴史を肌で感じることができる。
ここは春秋戦国時代には「
次の明王朝は当初、都を南京に置いた。明によって燕王に封じられたのは明の創始者、
永楽帝が築いた紫禁城は、その後、清王朝に引き継がれ、北京は首都の座をキープする。そして現代の中華人民共和国の首都となるわけだ。
街の露店で妙なものを見つけた。戦国武将のフィギュアを売っているのだ。反日デモがおこる国でありながら日本の文化がこうも浸透するのには驚かされるばかりである。戦国武将は中国からすれば侵略者なのだと思ってしまう私の認識が間違っているのだろうか。
私が論文を発表したとき、北京では二万人の反日デモがおこった。李博士にそのことを言うと、
「中国の人口は日本の十倍以上ですわ。日本の感覚でいえば二千人程度のデモだということですわ。」
と、あっさり答えられた。そんなものか?
私は戦国武将のフィギュアを買うことにした。戸部典子へのお土産だ。
一体、五十元。二つで百元。千五百円くらいか、あいつにはこんなもんでいい。
研究室に帰って戸部典子にフィギュアをプレゼントした。伊達政宗と真田信繁。彼女のお気に入りだ。
「違うなり。真田の赤備えはこんなくすんだ赤じゃないなり。」
「伊達政宗の眼帯は左目なり。これは右目になっているなり。」
確かに、日本製のマニア向けのフィギュアのようにはいかない。
「でも、ありがとなり。」
戸部典子がぺこりと頭を下げた。かわいいところもあるではないか。
翌日、戸部典子は大量の戦国武将フィギュアを抱えて研究室に現れた。
「一体、三十元なり!」
こいつ、値切ったな。
陳博士が興味を持ったようで、フィギュアのひとつを手に取って眺めている。
織田信長だ。
研究室の中央には大きなテーブルがあり、そこには中国・朝鮮・日本の十六世紀の地図があった。
陳博士は信長のフィギュアを上海の位置に置いた。
戸部典子が武将たちの配置どおりにフィギュアを並べていく。
おー、見事な戦略図になったではないか。
陳博士は言った。
「私たちは戦国武将の知識はありますが、こうしてアイコン化すると、リアルに感じられるんです。」
戦国武将たちは中国各地に分散している。反乱勢力鎮圧のためだ。
碧海作戦は、もう終わりに近づいているのだ。
不祥事が起ったのは、そんな時だった。
夜は誰もいないはずの研究室に幽霊が出るというのだ。夜中にモニターがぼんやりと発光して光が漏れくる。研究室からは気味の悪い女の笑い声が聞こえてくるという。
私と陳、李両博士は、深夜に研究室を見回ることにした。
確かに誰かが中にいて、モニターをつけている。女のひそひそ声が聞こえる。
私はぞっとした。幽霊は苦手である。
陳博士は幽霊が怖くないようだ。つかつかと歩み寄り研究室のドアを開けた。
戸部典子だ。
それに人民解放軍女性兵士の三人もいる。
彼女たちはモニターを覗き込んでにまにましている。
李博士が照明をつけた。そしてモニターを見て「きゃっ!」と小さく悲鳴を上げた。そこには伊達政宗が横たわっており、その傍らに片倉小十郎が添い寝している。寝巻がはだけてたくましい胸が露出している。
陳博士が中国語で何事かを大声で叫んだ。彼女らを一喝したのだ。
「おまえら、腐ってやがる!」
李博士が翻訳して私の耳元で囁いた。
こういうのをオタク用語で腐女子というのだそうだ。私は中国人から日本語を教えられた。
腐女子たちは全員正座である。
「ごめんなさいなり。」
さすがの戸部典子もがっくりと頭を落としている。
このまま打ち首にしてくれる!
陳博士の説教は朝まで生テレビのごとく激しかった。
後で分かったことだが、人民解放軍の女性兵士たちは現地の工作部隊に伊達政宗の身辺調査を依頼していたのだ。うまいやり方だ。身辺調査と言ってしまえば最悪の場合でも言い逃れできる。
そして現地の部隊が。この映像を送ってきていたというわけだ。
まぁ、人民解放軍工作部隊のエリートも男である。かわいい女性兵士からの頼みを断われなかったということか。まさか腐っているとは知らなかったのだろうけれど。
私と陳、李両博士は相談したが、とても表に出せるような話ではない。
日本の恥、中国の恥だ。
私たちはこの事件を隠蔽することにした。
どいうわけか、伊達政宗に関する身辺調査の映像は「ある戦国武将の日常」と題されて、一般にも公開された。きわどいところはカットしてあるのだろうが、私たちが見た添い寝の映像はそのまま流された。
戦国時代の日本には衆道の文化があり、戦場に女を連れていけないかわりに若武者に夜の相手をさせることは当たり前だったのだ。
この頃、中国でも戦国武将たちが密かな人気を呼んでおり、伊達政宗は中国の腐女子たちに強いインパクトを与えたのだった。
おいおい、侵略者だぞ、侵略者。おまえら分かっとるのか。
腐女子、恐るべしである。
余談ではあるが、「ある戦国武将の日常」は中国や日本だけでなく世界中で爆発的な人気となった。
世界中に腐女子がはびこっているらしい。嘆かわしいことだ。
その年、オックスフォード英語辞典に「fu-jyoshi」なる単語が初登場したとだけ言っておこう。
そんなどうでもいい事件に振り回されていたころ、大陸の北方では重大事態が発生しつつあった。
歴史が巨大な復元力を働かせようとしていたのだ。
満州の台地ではヌルハチが動き出していたのである。
そうだ、忘れていた。私たちの本当の敵は歴史そのものだということを。
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