ムーンラビット:月なき夜のスラム街にて
美風慶伍@旋風のルスト/新・旋風のルスト
1:けんか ―ローラという少女とラフマニと言う少年―
「なによ――、ラフマニったら、こっちの気持ちもしらないで」
その日、彼女は珍しく愚痴をこぼしていた。
いつもは苦労も厭わず、献身的に子どもたちを甲斐甲斐しく世話をしているというのに。
「あたしがなんでも簡単にできると思ってるの?」
思わずつぶやいたその言葉は――
彼女が周囲から抱かれている〝イメージ〟と――
彼女自身が本当に思っている〝本心〟とのギャップに他ならなかった。
今日もまた朝日が登る前から、あばら家のような住まいで孤児の子らの世話をしている。それこそ、掃除から衣類の洗濯か食事の準備と調達まで――
決して豊かとは言えない蓄えの中で、10人を超える数の孤児たちの面倒を見ているのだ。
そんな彼女とて外見は16歳そこそこの少女にしか見えない。ましてや自ら子供を産み育てた事すら無い。
なぜなら――
「いくら、あたしがアンドロイドだからって魔法使いみたいに万能じゃないわよ」
――彼女は生身の人間ではないのだから。
だが、その外見はどこから見ても人間にしか見えない。
アイルランド系の風貌で、素肌は白く、髪は黒みがかかっている。その瞳はきれいなブルーアイであり、一見、幼そうな風貌の中に心の強い芯を持っている――、そんな力強さを垣間見せるような視線が印象的だった。
身につけている衣類は質素で、純白の木綿の長袖のワンピースと、灰色の毛糸のショール――、足元には素足にサンダル履きだった。化粧っ気はなく素顔のままだったが、飾り気すらいらないような純な美しさがその風貌にはあった。
そんな彼女も自らの行いを反省するようにそっとつぶやいた。
「そりゃ、ラフマニの分の食事のこと、忘れてたのは悪かったけどさ――」
アンドロイドの身の上での不慣れな育児とハンディキャップを抱えた子たちの介護、気持ちの余裕がなくなることは日常茶飯事だ。それに加えておなじ屋根の下で同居している同年代の年長者たちの身の回りの事にも気を使わねばならないとなれば、手が回りきらないことも度々起きる。
そうした毎日の苦労事の連続につい苛立ちも出ようというものだ。そしてその日、彼女はつい忘れてしまったのだ。彼女にとって最も大切な人の分の朝食を――
結果、彼女の大切な想い人は、自分の分が無い事に腹をたて――否、へそを曲げて仕事に出ていってしまったのだ。
あとを追いかけて出ていってももう遅い。その彼の姿はすでに仕事場へと消えていったあとだった。
彼女の名は『ローラ』――
この洋上の場末の街に流れ着いた寄る辺の無い身の上の少女型アンドロイド――
ローラは、行ってしまった彼の背に向けてこうつぶやいたのだ。
「ごめん――、ラフマニ」
その言葉には、苛立ちを持て余してしまった自分への後悔がにじみ出ていたのである。
~ ~ ~
かたや――
「くそっ――、なんだってんだよローラのやつ。ちょっと文句言っただけだろうが――」
そう愚痴りながら仕事場への道を歩いている青年がいる。
その日、彼はいつもの自身あふれる立ちふるまいとは異なり、少しばかり荒れ気味だった。しかしそれはほんの些細な出来事がきっかけだった。
「お前が忙しいのはわかってるよ。でも言い方ってのがあるだろ」
青年のその言葉には自分が意図せずしてしまったことへの嫌悪がにじみ出ていた。持ち前の責任感と思い切りの良さと、まだ大人になりきれていないが故の我の強さの間で揺れているのだ。
歳の頃は16か17か、すでにもう子供とは呼べないがまだ大人になりきれていない――そんな風貌だった。
防寒のための厚手のハイネックシャツに年季の入った作業用のズボンを履いている。その上に煤けたレザージャケットを着込み両手には指出しのグローブを嵌めている。頭にかぶっているのはキャンバス地のつば付きの作業帽だ。
その風貌は日本人のものではない。褐色の肌に黒髪で縮れ毛、アラブ系の容姿であるが、他の人種の血が複数入っているようにも見えた。
黙々と歩いている中、彼は愚痴を飲み込むと自分を戒めるように吐き出す。
「やめた。おれの方が言い方をどうにかすればよかったんだ」
早朝の街を一人歩いていて、頭に登った血も下がったのだろう。足取りも少しづつおちついたものになっていく。
そして彼の気持ちの矛先を変えるようにと〝腹の虫〟が騒いでいた。
――グウゥ~――
少しばかり情けないが自業自得の面もある。それは彼もわかっていた。ふと足を止めてため息をつく。
「しかたねぇ――」
軽くため息を付きながら彼は再び歩き出す。
「昼まで我慢すっか」
割とあっさりと、それでいて明確に彼は独白する。
少しばかり気持ちの片隅に気まずさを残しつつも、彼は今日の仕事へと向かう。
彼が今日、手に入れた仕事は、とある倉庫の荷物整理の力仕事だ。出自の不確かな身の上でも雇ってくれるところをどうにか見つけて潜り込めたのだ。
彼が得る仕事の多くは日雇いだったがそれでも彼の身の上ではありがたい。なぜなら――
「ガキたちが待ってるしな」
彼の背後には14人もの幼子たちが控えているのだから。
彼の名は『ラフマニ』――
洋上のスラム街の片隅に暮らす孤児たちの集団のまとめ役だった。
ゆるく斜めにかぶった帽子を真っ直ぐにかぶり直す。そして、ラフマニは走り出しながらこうつぶやいた。
「よしっ」
吐いた言葉は簡素だったが、気持ちの整理はついていた。
彼の視線と気持ちは、すでに前へと向いていたのである。
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