13:純愛 ―そして彼は誓う―
「いままでに何人も殺した。血まみれになったこともある。世界中の人々から後ろ指をさされてもおかしくない。それが私なのよ――」
沈黙が訪れる。ローラはラフマニの胸の中で震えたままであり、ラフマニはローラを抱きしめたままである。それはほんの数秒でしかない。だがローラには千年にも等しい時間だったろう。
断罪か?
追放か?
拒絶か?
何がくだされるのか、処刑台の上にひきたてられているかのような胸中でじっと待ちわびれば、うつむいたままのローラにかけられた声は意外なものであった。
「――やっぱりそうだったか」
怒りの声ではない。
「おかしいと思ったんだよ。あのクラウンのおっさんの言い回しとか、シェンの兄貴の用意周到さとか――、普通じゃねえなにかがあるってな」
穏やかな語り口、ほっと安堵したかのような柔らかさすらある。
「覚えてるか? クリスマスの夜、有明でひったくりやらかしたあと海底トンネルの車道を走って逃げた時のこと」
それは去年のクリスマスの夜の事だ。
クラウンの配下により軟禁状態にあった地から抜け出し、東京の寒空の下をヨレヨレの姿で徘徊していたときのことだ。有明の商業地の遊歩道、雪にまみれて当て所なく歩いていたローラを、降りしきる雪から遮って手を引いて歩き出したのは、ほかでもないラフマニだったのだ。
そして二人は走り出した。追手から逃れるために、この東京アバディーンの地へと逃げ込むために。
その時、サイボーグであるラフマニの走りにローラは追いすがってみせた。一歩も遅れることなく並んで走ってみせたのだ。互いにその事を思い出していた。
「俺も自分の足には自信があったからよ。なにしろ神の雷のシェン・レイに付けてもらった脚だからな。誰にも負けないつもりだった。おまえはそれにあっさり追いすがってみせた。この街にもそんな奴は数えるほどしか無い。よっぽどすごいやつなんだとあの頃から確信していた。そしてそのあとに、あのピエロ野郎に言われた事、覚えてるか?」
ローラを東京アバディーンの地に招き入れた直後、ハイヘイズの子らを襲ったのは台湾ヤクザ崩れの凶暴な男たちだった。慌てて駆けつけたローラとラフマニより先んじて、ハイヘイズの子らの家に先回りしていたのは、あの〝死の道化師〟ことクラウンである。
台湾ヤクザの男たちを骨一つ残さず始末した後に、ローラの返却を要求してきたのだ。だがラフマニはそれを拒んだ。
ローラを自らのもとで守ると誓ったのだ。
その時だラフマニがクラウンに告げられたのは。
――彼女には秘密があります。誰にも決して明かせぬ秘密です――
――明かせば彼女はもとより、彼女の回りにいる人々も巻き添えとなり悲惨な出来事が起こるでしょう――
あのときはただの警句だと思っていた。だが、今ならその言葉の真意がよく分かる。
否、あの言葉を聞かされた時に、この東京アバディーンのスラム街の常識を越えた質の悪い何かを抱えているのだろう――と、ラフマニは心のどこかで思っていたのだ。
だがそれよりも重要な記憶があった。
ラフマニは優しくローラに語りかける。
「お前、この街に入る時に俺にこう言ったじゃねえか。この国にきたのは〝殺し〟のためだ――って。あの時から思ってたんだ。ただの一人二人を殺すためにわざわざ仲間を組んで海を渡ってくるだろうか? って、それに加えてあのクラウンの意味深な言葉だろう? 規模のでかい厄介なことの片棒を担がされてたんだろうなって思ってたんだ」
やはりラフマニは男だった。そして、リーダーとしての素質のある人物だった。
仲間となる者の資質と本性を見抜いて把握すること。その仲間を受け入れること――、それのできる男だったのだ。ラフマニの語る言葉にローラは安堵する。だがそれと同時に口から漏れる言葉があった。
「――ごめん」
弱々しくつぶやかれた言葉をラフマニは責め立てなかった。
「なに謝ってんだよ」
ラフマニがそう問いかければローラは言う。
「うん――」
ラフマニの言葉は言っている。〝もう自分を責め立てるな〟と――、そう理解できただけでも心の重荷が軽くなるような気がする。だが決定的に晴れることはなかったのだ。そしてそれこそが、ローラが心の中にかかえたもう一つの闇だったのだ。
「でもね――」
「なんだ?」
「やっぱり、怖いよ。わたし怖いんだよ」
「なんでだよ? 俺はもうお前を拒んだりするようなことはねえよ。それは約束したろ?」
そうだ。クリスマスの夜にラフマニはローラにそう誓ったのだ。
それはローラも同じである。子どもたちの〝母親〟になると誓ったのだ。
自分自身に約束したからこそ、自分自身を裏切れないからこそ、かられる不安があるのもまた事実なのだ。
「ラフマニはそうかもしれない。でも、子どもたちは? オジーは? ジーナやアンジェリカは? 街のみんなは? あたしの正体がバレたら、みんな私から離れていくんじゃないか? 子どもたちが私を怯えた目で見つめるんじゃないか? そう思えて仕方ないのよ!」
ローラがラフマニの胸から顔を離して見上げてくる。その目はあまりにも必死で悲壮だった。その視線を受け入れながらラフマニはローラの言葉の続きに耳を澄ませていた。
「アンドロイドの私でも悪い夢にうなされて目をさますこともあるの。子どもたちが怯えて私から逃げようとする――、街の人々からも責められ追い立てられる――、ここに来たことが間違いだって! いつか言われるんじゃないかって!」
そう語るローラの言葉は叫びにも似ていた。抑えることのできなくなった思いを洗い浚いに吐き出している。ラフマニといえど押し止める事はもはやできないのだ。
「わたし、怖いよ――、自分が、みんなが――いつか取り返しのつかない事が起きるんじゃないか? って――」
そう告げられた時にラフマニはある事に気づいていた。
「それで、子どもたちの世話にも必死だったのか」
ローラは頷いていた。〝母親〟として子どもたちの世話に没頭する。そうすることで不安から逃れようとしていた。それが事実の一端であったのだ。
弱々しく、ほんの僅かに。だが、弱々しいからこその本音の打ち明けであった。
自由を知ったからこそ、愛情を理解したからこそ、善意を理解したからこそ、過去の己自身が亡霊となって、今現在の自分自身を苦しめるのだ。
「大丈夫だ」
ラフマニは告げる。
「絶対に大丈夫さ」
ラフマニのその声にローラからの返事はない。ただ彼女の体の震えが僅かにおさまっている。ラフマニは畳み掛けるように告げたのだ。
「俺が絶対に守る。約束する。いや――」
ローラの両肩を掴んで少しだけその体を離す。そして、うつむいていたローラの顔をラフマニは右手でそっと持ち上げ、互いの顔を向かい合わせた。涙に濡れていたその顔がラフマニの視界の中に捉えられていた。
怯えと
恐れと
孤独と
贖罪を
その目に浮かべていたローラに向けて、ラフマニはこう誓ったのだ。
「神に誓って、お前を守り抜く」
「ラフマニ――」
ローラは唇を震えさせながら答えた。
「ローラ――」
ラフマニは力強く呼びかけた。
「もう、どこにも逃げんじゃねえぞ?」
「うん」
その呼びかけにローラは答える。そして、ラフマニはその顔を自らローラの方へと近づけると、ローラの心の迷いにとどめを刺すように〝男〟としてこう告げたのだ。
「お前は〝俺〟のものだ」
「うん――」
ラフマニがローラに唇をかぶせ、ローラもそれに答える。
ローラのそのか細い体をラフマニは両手で強く抱きしめる。のがさぬように、どこへも逃れられぬように――
仕留められた獲物のようにローラはラフマニの腕の中でもどかしそうにその身を捩らせた。
ほんの僅かに唇を離すとローラが問う。
「ラフマニ?」
それは同意と求める疑問の声。
「ローラ」
それは同意を知らせる穏やかな声。
それ以上の言葉は無用だった。
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