14:―灯りの落ちたその部屋で―

 抱きしめあったまま簡素なマットレスの上に2つのシルエットは横たわっていく。

 もどかしそうに、互いに探り合うように、互いの身にまとう物を一つ一つ取り去りながらお互いの本当の姿へと近づいていく。

 その部屋に明かりは灯らなかった。薄暗い部屋の中、窓の外には満点の星が瞬いている。星明りが窓の外から漏れてくるその下でラフマニとローラは〝生まれたままの姿〟になり〝一つ〟となったのである。


 その部屋に明かりは灯っていない。

 ただ人間二人分のシルエットが質素なマットレスの上で重なり合っている。


 そのシルエットの一つの名は『ローラ』

 もう一つのシルエットの名は『ラフマニ』


 互いに愛し合い、そして支え合いながら生きてきた二人だ。

 二人は闇夜の中で愛をかわす。

 窓の外には星の瞬きの光があるばかりで月明かりすら無い。

 街の街灯の反射光だけが僅かに届くその空間で二人のシルエットは

 マットレスの布地の海の上で踊るように抱き合っていた。

 

 接吻がかわされる。互いの存在を認めるために。

 互いが互いの体を確かめ合う。お互いのこれまでに生きてきた証を確かめ合うために。

 そしてローラがラフマニを確かめ、ラフマニがローラを確かめていく。

 愛の逢瀬のその狭間の中に翻弄されながら。

 だがラフマニがローラをより深く愛そうとしたときであった――

 ローラはこらえきれずにつぶやいた。


「ねぇ、気持ち悪くない?」

「何がだ?」

「あたしの体」

「なんでそんな風に思うんだ?」

「だって――」


 ローラは甘い吐息の中に、どんなに愛の言葉を囁かれても拭い去りきれない不安と自己嫌悪を吐露する。

 

「――作り物の偽物の体だもん。本物には程遠いよね」


 アンドロイドであること――それはローラがどんなに人間らしく振る舞っても乗り越えきれない絶対的な壁だった。

 だが、彼女が抱き締めあっている男は、それを見過ごすはずがない。

 ラフマニはいかにも彼らしい行動でローラへと訴えかけたのだ。

 

「なら、お前は俺のこの右手が気持ち悪いか?」


 ローラの体から右手をいったん離すと、その手をローラの眼前へと指し示す。

 

「俺の右手と両足も作りものだぜ?」


 ラフマニは右腕をすでに失っていた。この街で生きるために高性能・高機能の義手へと置き換えたのだ。

 そしてそれは肌色の人造皮膚パネルで覆われていたが、生身の腕とはどうしてもかけ離れていた。機能性を優先させれば外見の人間らしさはどうしても犠牲になるのだ。

 だが、ラフマニはその手を隠さなかった。いつでも誇らしく、当たり前に人前で使ってみせるのだ。

 

 あのクリスマスの夜にローラを降りしきる雪から覆ってくれた手、

 警察の追手から逃れるためにローラの手を掴んで飛び降りた手、

 彼女が過去の罪業の重さに気づいて恐慌に陥りそうになった時に抱きしめてくれた手、

 そして――

 

「あたし――」


――いつでもローラを護ってくれる頼もしい手、


「――大好きだよ。ラフマニの手」


 ローラはあらためて、その手にやすらぎと頼もしさを感じている自分に気づいたのだ。ハッとするように不安が晴れていくローラの顔をじっと見つめて、ラフマニは告げた。

 

「だったらわかるだろう? 俺も同じだ。お前の体をお前が言うように思ったことは一度もねえよ」

「ラフマニ――」

「ローラ――」


 互いの名を呼び合いつつ、ラフマニは体を起こしてローラの上へと覆いかぶさる。そして両手をローラの体の両脇につくとしっかりとその体を支えた。

 

「いくぜ」


 ラフマニが言う。その言葉の意味はローラにもわかる。

 

「きて」


 ローラはその目に涙を溢れさせながら、愛する人を全身で受け入れる。

 より深く、愛し合うがために――

 そして二人は重なりあった。


 それは神話の時代から連綿と行われている営み。

 愛という事実と認識の名のもとにずっとずっと行われ続けてきたものだ。

 イザナギとイザナミが国産みの義式で

 ロミオとジュリエットが秘密の逢瀬の中で

 エデンの園を追われたアダムとイブが過酷な日々の中で互いを愛し合い新たな生命を生み出した日々のように、

 それは怠惰なものではない

 それは淫猥なものではない

 愛ゆえに、

 そして、互いの存在を確かめ合うがために心と体をより深いところつなぎ合うのだ。


 今や二人は、しっかりと互いを繋ぎ合っている。

 ローラの中でラフマニが脈打っている。ローラが思わず言う。

 

「――あなたの鼓動が伝わってくる――」


 ラフマニもその言葉に答える。


「俺もだ――ローラ、感じる、お前の体の中のリズム、しっかり伝わってくるよ」

「うん――」


 そう言葉をかわし合いながら、ラフマニがローラに唇を寄せローラもまたそれを受け入れる。

 ラフマニの首に両腕を回して引き寄せローラは彼にこう囁きかけた。

 

「ラフマニ――」

「なんだ?」

「好きよ」

「俺もだ」

「うん」

「愛してるぜ」

「あたしも」

「だから――」

「うん」


 そこでラフマニは右手で体を支えながら、左手をローラの右頬にそえて、そっとなでさすった。

 

「もうどこにも行くんじゃねえぞ」

「――」


 真摯な瞳で見つめるラフマニに、ローラはこころを鷲掴みにされたようになる。虚をつかれたローラにラフマニはさらに畳み掛けた。

 

「お前の家はここだ。そして、お前の家族はここのみんなだ。そして俺が――」


 ラフマニはさらに顔を近づける。口づけを試みながらこう告げたのだ。

 

「――俺がお前の〝男〟だ」


 ローラの顔が大きく頷いた。満足げに、心の中の最後の不安が晴れたかのように。その胸中に秘めた最後の思いを解き明かしたのだ。

 

「ラフマニ――」

「おう」

「愛してる」

「あぁ、愛してるぜ」


 そして、二人は唇を深くつなぎ合う。

 2つのシルエットは完全に一つとなる。

 二人は今、同じ屋根の下で同居する者から、真に〝愛し合う者〟へと生まれ変わったのである。


 二人は今、深く結び合う。深く深く――


 そこに無粋な言葉はない。

 二人はもはや、互いの中の願望と要望を隠そうとはしなかった。

 隠すものがないからこそ、二人は素直だった。

 

「ラフマニ、ラフマニ――」


 ローラはラフマニにすべてを委ねていた。両腕でラフマニの太く力強い首筋へと抱き縋りながらつげる。

 

「愛してる――あたし、あなたを愛してる――」


 その甘い憂いを帯びた愛のささやきが、ことさらにラフマニの気持ちを奮い立たせた。

 

「俺も愛してる。俺がずっと護ってやるからな」


 暗闇の中の二人の〝ダンス〟が激しさの頂へと登り始つめていく。

 熱量が上昇し、二人の周囲の空間は熱気を帯びていた。

 全力でグラウンドを駆け抜けるかのように荒い息をしている。

 そして、それはローラも切ないまでに吐息を漏らしていた。

 ラフマニはその両手でローラの手を求めた。ローラもまたその手に応じて、互いの両手を結び合う。

 ラフマニの右手がローラの左手を掴み、

 ローラの右手がラフマニの左手を握りしめていた。

 ローラがラフマニの唇を求め、ラフマニはその求めに応じて唇を重ねた。

 声が止む。ただ吐息がその空間に響いていた。

 二人のシルエットが固く固く互いを抱きしめあっていたのである。

 熱波のさざなみが二人の中を何度も駆け抜けている。そしてその残響のままに余韻を味わっている。

 どれだけの沈黙が続いただろうか?

 時の経過すら覚えられないほどに深くつなぎあったまま密着していれば、先に言葉を吐いたのはローラである。


「お疲れ様」


 優しくいたわる声、

 

「ローラも大丈夫か?」


 相手を気遣う声、

 

「うん、大丈夫だよ」


 女は相手が何を思い至っているのかすぐに察した。

 

「そうか――」


 返される言葉は一つだけ。だがその言葉に込められたものをローラは理解していた。そしてただ一言だけ。

 

「ありがとう」


 そう答え返したのだ。

 ラフマニはゆっくりと体を離した。そして、マットレスの脇に丁寧に折り畳まれていた毛布をとりあげ広げると、それを互いの体へとかけてやる。そっと、ローラの右脇に寝そべれば、自らの左腕を枕のように差し出した。

 

「すこし、休もうか」

「うん」


 ローラは嬉しさと満足感を隠さずにはにかみながら、ラフマニの左腕を枕にその身を預けた。右側を下に身を横たえれば、その視界にラフマニの姿が写っている。全身で汗だくになったその姿は彼の思いの深さの現れだった。

 そしてローラは一言つぶやいた。

 

「愛してるわ。ラフマニ――」


 その言葉にラフマニの右手が優しくローラの体を抱きしめる。

 

「愛してるぜ」


 返ってきたその言葉はシンプルだった。だがそれだけにむき出しの思いが溢れていた。

 二人はそれきり沈黙をまもった。ただ抱き締め合いながら、熱い余熱を味わっていたのだ。

 二人はそこに居た。

 互いの存在を必要としながら。

 もう二人は離れられなくなったのである。

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