12:怖れ ―真実と罪―

 ローラの寝部屋はジーナ達とは別の場所に用意してある。子供の世話の都合もあり夜中に頻繁に起きるので他の人の安眠の邪魔にならないようにあえて分けたのだ。風呂から上がると、ラフマニが待っているはずの一階リビングへ向かい声をかける。オジーは既に自分の寝部屋へと入った後だった。


「ラフマニ」

「おう――」

 

 ラフマニもローラの声を耳にして、立ち上がり近寄ってくる。

 黒のランニングシャツにハーフのトレーナーパンツと言う気楽な服装だった。ローラはローラで、寝巻き代わりの木綿の薄桃色の無地の袖なしワンピース。足元は二人とも素足だった。 

 誰にも気づかれずにローラとラフマニは2階の片隅にあるローラの部屋へと姿を消したのである。


 階段を登る途中、先に体を寄せてきたのはラフマニである。

 左側にローラ、右側にラフマニ、ラフマニは左手をローラの肩へと回すと強く抱き寄せる。互いの気持ちがあらわになった以上、遠慮する必要はない。

 

「ラフマニ?」


 思わず驚きの声を漏らすが、ラフマニはためらう様子もない。これ以上疑問の声を投げかけるのは失礼と言える。ローラは覚悟を決めた。そう――

 

「ラフマニ――」


――全てを預けると。


 ローラはラフマニの名を2回口にした。だが1度目と2度目では、その意味は全く違う。戸惑いから覚悟へ、覚悟から安堵へ、もうローラはラフマニの腕の中から逃げようとは思わない。二人とも無言のまま階段を上がる。そして。階段を上がりきるとすぐそばの扉の無機質な鉄扉の一つを開ける。するとそこがローラの個人の寝部屋である。


 その部屋は幾分細長い8畳ほどのスペース。小さな窓がありコンクリート打ちっ放しの床の上に簡素なマットレスと毛布が敷いてある。もともとアンドロイドであるローラは休息時に体温管理などは重要ではない。体を横たえる場所があれば基本的には十分なのだ。それ以外はわずかな衣類の着替えをしまっておく大きめのプラスチックの箱が二つほどあるのみだ。

 細やかな性格のローラらしくマットレスこそ敷きっぱなしであったが、毛布は几帳面に畳んであった、

 

「キレイにしてんだな」


 その言葉通り、チリ一つ落ちていない。ラフマニが感心して言えば、それに対してローラはちょっとだけ嫌味を言う。

 

「ジーナたち言ってたよ。男部屋が汚すぎるって。ちゃんと掃除してる?」

「い、一応」


 思わぬ攻撃にラフマニはどもっていた。


「うそ――、あんまりヤラないでしょ? だめよ。面倒くさがっちゃ」

「わかってるよ」


 照れくさげにラフマニは頭を掻く。中東風の黒い髪に縮れた髪が入り混じっている。彼が混血である事の特徴一つだ。でも今はその髪からほんのりと石鹸の匂いがしている。いつもは潮風と油汚れの匂いがこびりついているが、ローラが丹念に洗ったことで心地よい香りがしている。

 そんな香りに惹かれている自分がいることにローラははたと気づく。そして、その素肌からたち登ってくる汗の香りも芳しいかぐわしいと感じている。そして――

 

――もっと近づきたい――


――そう心の奥から思いが沸き起こっている。


「ラフマニ――」


 またもその名を連呼する。ローラは彼と向かい合うとその両腕を広げて抱きついていた。二人の背丈はラフマニとローラで拳一つ分くらい違う。ラフマニの右肩に顔をうずめるとローラはさらに言葉を紡いだ。

 

「お願い」

「なにがだ?」

「もっと近づきたい」

「俺とか?」

 

 その言葉にローラははっきりと頷いた。

 

「なんでだ?」


 ラフマニは逆に問いかけてきた。なぜ――どうして――ラフマニに近づきたい理由、距離を縮めたい理由、心の奥から沸き起こる欲求だが、それを言葉にするのは思いの外に難しい。

 ローラがその口で〝分からない〟と、言葉にするのは簡単だ。だがそれではいけない――、そんな罪悪感すら沸き起こってくる。なぜ? どうして? 自問自答をしてようやくに見つけた言葉をローラは声に出した。

 

「怖いんだよ。とても――、ものすごく怖いの――」


 怯えていた。震えていた。そのローラがその体に表したものをラフマニは受け止めるようとする。両腰からローラの背中に手を回してその体をさらに引き寄せた。これ以上無いくらいに抱き寄せるとさらに問いかけたのだ。

 

「なんで怖いんだよ。お前を拒否するやつはここには居ない。誰もがお前を認めて必要としてるじゃねえか」


 精一杯の慰め、だが――

 

「だからだよ、だから怖いんだよ」


――意表を突く言葉が投げかけられてくる。ラフマニはローラの肩を掴むと少し引き離して向かい合うと、ローラのその可憐な顔をじっと見つめた。果たしてそこには、普段の優しさあふれる〝母親〟としての彼女ではなく、15歳になるかならないかのか弱い一人の少女が佇んでいるだけであった。

 ラフマニはそこにあるものを見る。ローラの泣きそうな目を見つめながらこうつぶやく。

 

「おまえ、やっぱり無理してたのか?」


 いたわるように声がかけられる。それは詰問としての問いかけではなく、隠された本音を確かめるための問いかけだった。

 ローラはうなずく。ラフマニの言葉に応じるように。その弱々しい仕草の意味を分からぬラフマニではない。

 

「やっぱりそうか」


 確信をもって、それでいて少し困った風に苦笑しつつラフマニは言った。


「だろうと思ってたよ。いきなり10人以上のガキたちの母親になれって言われて、ハイそうですかってやる気になれるやつなんてそうそう居ないからな」


 右肩を掴んでいた手を離すと、ローラの髪をそっと優しくなでてやる。生身の手ではない義手の手で。作り物の指先だったが、その仕草はとても優しかった。優しいからこそ、心の堰が壊れてしまう。抑えていたものが堰を切ったように溢れ出る。涙声をつまらせながらローラは訴えた。

 

「だって――、逃げられないもん、もうどこにも行けないもん」


 ローラはうつむき、両手をラフマニの胸に当てながらそこに顔をうずめて言う。

 

「世界中のどこにも行く場所ないし、どこに行っても昔の自分がしていた事で責められるし――、捕らえられて自由を奪われるか、罪を問われて壊されるかしかないし――、わたし怖いんだよ。これから自分がどうなるのか」


 そこまでローラの言葉を耳にして、ラフマニははたと気づいていた。今までローラが何をしてきたのか? と言うことを一度も問い詰めたことが無いということを。

 そしてそれは、あの〝死の道化師〟と言われた稀代の怪人『クラウン』から〝聞くな〟と言明されていた事なのだ。

 ラフマニは一瞬、眉を曇らせ不安をその顔によぎらせたが、それもすぐに意を決した。そうだ、あのクリスマスの夜に彼女の全てを受け入れると決めたのだ。何を迷う事があろう。ラフマニは自らの胸に顔をうずめているローラを両腕で抱きしめながらこう問いかけたのだ。

 

「教えろよ。お前が今まで何をしていたのか――」


 低く響くような声。でもそれは問い詰める断罪の声ではない。本当の気持ちをうちあけさせ、心の深いところで互いに結びつくために必要な語りかけだった。そしてそれは〝賭け〟だった。伸るか反るかの危険な賭け――それでもラフマニはローラの心の深い所に足を踏み入れると決意したのだ。

 

「何を聞いても絶対に拒否しねぇ。約束する」


 その言葉はローラの耳にしっかりと届き、そしてその心の奥へと響いていた。

 だが同時にローラの体が小刻みに震えている。恐れている。不安に怯えている。逃れられぬ断罪に恐怖するかのように。

 だがそれでも――

 

「ラフマニ――、昔のわたしは――」


――ローラは全てを打ち明けると覚悟したのだ。


「――テロリスト用の殺戮アンドロイドなの」


 声が震えている。つまらせるように弱々しい声で絞り出している。誰にも言えぬ真実。打ち明けることすらできぬ罪業――

 それはあまりにも重すぎる現実だったのだ。

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