11:傷 ―背負う者と、癒す者―

 二人は終始無言だった。

 ローラが熱心、かつ丁寧にラフマニの褐色の体を洗っていけば、ラフマニは、何かをこらえているように首筋まで赤くしながらじっとおとなしくしていた。無駄口も叩かないのは迂闊なことを口走らない様にするためだろう。そんなラフマニの視線は最初前を向いていたが、その方向に姿見の大きな鏡がある事に気づいてすぐさま下を向く。そんな彼の様子をローラは微笑ましく思いながら洗い進めていく。

 ローラは思う。

 ラフマニの体に刻まれた傷の数々を、

 ローラとてそれまで世界中で様々な地で戦闘の矢面にたってきた身の上だ。危険な生き方をしている者ほど傷は絶えない。傷跡の多さはその者の人生がどれだけ苦難にまみれた物だったかの足跡のようなものだ。

 流石に銃創や刀傷はありえないが、縫い傷や痣は当たり前であり、小さくケロイドになっているところもある。その一つ一つの傷跡の理由を考えると、ラフマニと言う男がどれほどの困難を乗り越えながら、この家の小さな子たちを守ってきたのかがわかってしまう。

 首筋から肩を洗い、ついで左腕を洗う。その後に背中を丹念に洗えば、背中に大きく縦に走る傷を見てつい尋ねてしまう。

 

「ねぇ、この傷は?」


 背骨のすぐ右脇を縦に20センチほどの傷が走っている。ちょうど、ナイフかガラス破片で裂いたような傷であった。

 

「八ヶ月くらい前だ。子供らのために食い扶持稼ごうとしてちょっとやばい運び屋引き受けたんだけど、情報が漏れててかっぱらわれそうになったんだ。なんとか品物は取られずに住んだけど、襲ってきた奴らに反撃くらってよ」

「ナイフで?」

「いや、素手だ」


 ローラの問いにラフマニは事もなげに答えた。そしてその言葉の裏の意味をローラは即座に理解した。

 

「もしかして相手はサイボーグ?」

「あぁ、脚と利き腕を中心に改造を重ねた〝ひったくり〟専門だ。俺自身が両足を改造してなかったら躱しきれずに腕ごとやられてたろうな」

「腕――」


 その言葉にローラの視線はラフマニの右腕へと向いた。その気配をラフマニも感じたのだろう。彼の口は自らの身体の〝過去〟を語りだしたのだ。

 

「右腕は似たような理由さ。その時はこっちが物盗りものとりしようとしたのさ。でも相手が悪かった」


 ローラはラフマニの体を泡立ったボディスポンジでこすりながらじっと聞き入る。

 

「1年半くらい前かな、食べ物を買う金がどうしても欲しくて財布をスろうとしたんだ。でも相手はよりによってチャイニーズのマフィアだった。すぐに手を掴まれた。そしてその場で取り巻きの義手に仕込まれた散弾銃で吹っ飛ばされて――」

「射たれたの?」

「あぁ、よりによって散弾だから、ミンチみたいになっちまった。ヘタにナイフで切られるより酷え。肩から先が潰されたカエルみたいになって、血がとまんなくてこのまま死ぬのかな? とも思ってた――、でもその時だった。シェンの兄貴に助けられたのは」

「シェンさん――」


 シェン――シェン・レイ、神の雷の異名を持つ凄腕の電脳犯罪者だ。この東京アバディーンの南側エリアの守護者であり、ハイヘイズの子らの後ろ盾となって守ってくれている人物だ。ただ彼自身も多忙であると同時に難しい立場にあり、ハイヘイズの子らに積極的に関われない状態にある。

 ローラがラフマニたちのこの家の住むようになったのは、シェン・レイに請われたからでもあるのだ。一緒に住んで子供らを守って欲しいと――

 

「すぐに応急処置をして助けてくれた。義手を移植してくれたのもシェンの兄貴さ」

「やっぱり――、じゃあ両足も?」

「あぁ、車にハネられて複雑骨折。左は足首、右は膝から先だ。シェンの兄貴が居ないときで応急処置が間に合わなくてな。傷口が腐っちまった。死ぬほど苦しんでから何日かしてシェンの兄貴が診てくれた。その時に言われたんだ」

「言われた?」

「あぁ――、どうせなら両足ともおなじ長さの義足にしないか? って。左右別々のものだとバランスが悪いし高機能を出せない。この街で生きていくなら逃げ足だけでも人より早くないと無理だろう? って言われてさ。それでつけてもらったのがこの脚だ。股関節から先全部、サブフレームが腰の骨の辺りまで届いてる。ローラと最初に会った時に橋の上から飛び降りれたのも、兄貴が付けてくれたこの足のおかげさ」

「じゃ、腕も? シェンさんが?」

「もちろんさ。俺が両足を使いこなすようになってから、自分で身を守れるようにもっといい物にしてやるって言われてな。それまでつけてた簡易義手をやめて付け直したんだ。これも内部フレームが背骨の辺りまで届いてる。後から聞いたんだがこういう手術ってよっぽど腕が良くないと100%の力を発揮することは難しいんだってさ。この腕と足に関してはラッキーだったのかもしれねぇな」


 話をしながら、ラフマニの体を後ろ側から洗い終えていく。そしてボディスポンジを脇にそっと置くと、ローラはラフマニの右腕にそっと手を触れる。


「ねぇ、痛くないの?」


 相手を労わるような甘く優しい問いかけ。それに対してラフマニはこともなげに答える。

 

「痛かったら、毎日こんな無茶してねーよ。それは俺にとっちゃ子供たちが腹すかして泣いてるほうがよっぽど辛え。俺の体の一つや二つであいつらが笑ってくれるなら、こんなの何とも思わねぇよ」


 それはあまりにも悲壮な現実だった。何もないから、何も持たざるから、自分自身を犠牲にするかのように全身傷だらけになりながらも、大切な家族を兄弟を全身全霊で守ってやらねばならないのだ。

 ローラは静かに泣いていた。声を出さずにその頬を一筋の涙が伝う。これほどまでに傷つきながら子供たちを守ろうとしているこの男を誰が癒してくれるというのだろう? 誰が守ろうというのだろう?

 そこまで思考を巡らせてローラは初めて気がついた。


「ラフマニ」

「ん?」


 ローラはラフマニの背後からそっと体を近づけ両手を広げると互いの体を密着させ静かに抱きしめる。


「無理しなくていいんだよ」

「してねーよ。これが俺の当たり前だからな」


 ローラは静かに頷いていた、こうまでしなければ子供達を守れないのがこの町の現実なのだ。

 そしてローラは思い出していた。かつて見た戦場の地で矢面になり戦うのは男で、それを迎え癒してやるのは女の仕事だった。

 そうでないところもあったが、大半の国ではそうした昔ながらの光景がそこかしこで見られていた。


――なぜ戦う?――

――どうして戦う?――


 それは自らの背後にいる家族を守るためだ。ならばそれを癒すのは――


「ラフマニ」


 ローラはラフマニの体温をじかに感じながら言葉を吐く。


「あたしでよければ――」

「ん?」


 少し息を飲んで覚悟を決めたように告げる。


「一緒に寝ない?」

「え?」

 

 帰ってくるのは驚きの声。しかし、その声のトーンは幾分おとなしく拒絶のにニュアンスはない。ローラはやや自嘲気味にたたみかけた。


「作り物の体だけど、一応それっぽいことはできるからさ。ラフマニがそれで少しでも疲れを癒してくれるなら私は構わないよ」


 肩越しに見えるラフマニの右手。それが迷いをはっきりと表すかのように動いている。逡巡するかのように上げたり下ろしたりを3度ほど繰り返していたが、その右手は決意を表してローラの左手をしっかりと握り返したのだ。


「わりいな、正直さっきのオジーじゃないけど、ずっと気になって仕方がなかった。ましてや――」


 そこでラフマニの言葉が息をつぐかのようにワンクッション置かれて、本音を絞り出すかのように声が漏れたのだ。


「――自分が惚れた女だったら、お前の気持ちを傷つけずにどうやったら距離を近づけられるのか、ずっとずっと考えてた」


 それが素直な気持ちだった。そもそもローラの気持ちを無視して欲望のままに押し倒すような男だったら、この廃ビルの〝家〟まで招いてないだろう。同時に、この家に集う子どもたちをそうまでして守ろうとなど思わないだろう。傷だらけになってまで大切な物を守ろうとする男だからこそ、ラフマニはローラに対しても〝守ること〟〝傷つけないこと〟を何よりも大切にしていたのだ。


「だったら――」


 その言葉にラフマニの顔が振り返り、ローラと視線が向かい合う。


「――迷うことないよ」


 それが答えだった。

 男はそれを望んだ。女はそれを受け入れた。ただそれだけのシンプルな構図だ。

 次にモーションを起こしたのはラフマニだった。掴んだ手をそのまま引き寄せるとローラの顔を肩越しに距離を近づけ、そして唇を重ねた。


「ローラ」

「ラフマニ」


 地下室の風呂場の中、静かな吐息だけが響いている。そっと唇を触れ合うだけのシンプルなモーションだったが互いの気持ちを確かめ合うには十分すぎるものだった。

 そしてしばらくのちに唇を離すとローラは言う。


「体洗っちゃお。このままだと湯冷めしちゃう」

「おう」


 互いにはにかみながら、そう言葉を交わし合うと、ローラは先を急ぐかのようにラフマニの体についた石鹸の泡を洗い流していく。

 頭も洗ってやり、こびりついた汚れを丹念に落としてやる。その後に体の前側も洗ってやろうとしたが、さすがにラフマニにそれだけは丁重にお断りされたのだった。

 残った部分を自ら丁寧に洗うとラフマニは先に風呂場から出て行った。それから遅れて、自らの体を洗い終えてからローラが風呂場から出ていったのは8分後のことである。

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