10:風呂場の二人
ラフマニたち、ハイヘイズの子らが住む廃ビルは地下フロアがある。倉庫や物置として使われている他、最近になってやっと設置できたのが浴室である。
生活するために必要なものは、創意と工夫を重ねて切り抜けてきたのが彼らだ。シャワーめいたものは何とか設置できていたが本格的なお風呂となると難しいのが現状だった。
それが、旧型ではあるが海水から真水を分離する小型装置と、電気式の湯沸かし装置とを手に入れたことでまとまったお湯をえられることになったのだ。電力は屋上に設置してあるソーラー設備から得ている。この時代、安価にソーラーパネルを入手することは可能だし、不要物として出されたものをかき集めて自分たちで自作して設置したのだ。
おそらくは多少はシェン・レイのような人物が手を貸してくれているのだろうがハイヘイズの子らは自活し自立して生きている。何かに依存してすがって生きる様子は微塵もない。
人はいつか、一人で歩き出さればならない。
ハイヘイズの後見人であるシェン・レイの教育方針だとするのは穿ち過ぎだろうか?
ともかく、さすがにお風呂一杯ぶんの湯沸かしをするだけの電力を得るには時間がかかる。彼らが入浴するチャンスが一週間に一度というのはその辺の事情も絡んでいるのだ。正規の方法で電力を得る手段がない以上、それだけは致し方がなかった。
正直なところ、ハイヘイズの子らが周囲からの支援の手を得られやすくなったことには、彼らが多少なりとも身綺麗になったことも理由の一つである。
ローラが訪れた時にまず最初にやったことが、生活環境の清潔化と、体を洗う手段の確保だった。
ジーナとアンジェリカしかいない状況で、食事や掃除など生活手段の確保は十分に手が回っていない状態だった。赤ん坊など垢にまみれた状態であり、これでは周囲の大人が手を出さないであろうことは明白だった。
とにかく手数が足りていなかったのだ。
一番最初は拾ってきた湯沸かし器を修理して設置した簡易シャワーだった。それだけでも劇的な改善だったように思う。
子供たちが身綺麗になり、匂いがしなくなってから早速その翌日から変化は現れていた。近くに住むという人が食べ物の施しを持ってきてくれたのだ。その上で子供たちがボロをまとっているのを見て不要な古着を提供してくれる人が現れた。
ほんのわずかな違いで周囲の人々との関わり合いが変わることに気づいた子供たちは急速に自信を取り戻しつつあった。表情も暗く荒んでいた子供たちの表情に明るさが戻り、徐々に笑顔が浮かぶようになった。
ローラがローラママと呼ばれるようになったのもほぼその頃である。
ひとつずつ必要機材を揃え、今回、取り壊されるホテルから運び出されたバスタブを入手できたことでお風呂としての要件を満たせることになった。
ローラ達は子供の世話をしているその下で、ラフマニ達は旧正月のお泊りから帰ってきてから街の人の手を借りながら風呂場の設置をやってくれていた。
その成果をローラを初めて目にすることになる。
「うわぁ」
ローラの口から思わず感嘆の声が漏れる。
地下へと続く階段を降り通路のすぐ近くにドアがある。窓のないその部屋に浴室は設置してあった。
ドアを開けて中を覗けば、おそらくはラブホテルから外したのだろう二人で入れるバスタブが置かれてあったのだ。
コンクリートブロックを積んで外枠を作り中にバスタブがはめ込んである。作りは雑だが十分にお風呂としての機能は果たせる。
すでに湯船には湯がためてあり湯気が立ち上っている。
6畳ほどのスペースの中には足元にすのこの板が引いてあり湯船から少し離れた場所に足拭きのマットと脱衣の駕籠が置いてある。湯沸かし器とシャワーのノズルもあるが、これはローラが来てから最初に設けたシャワーのの名残である。
ローラがラフマニに言う。
「とてもよく出来てるね」
「ああ、街の人たちが色々と手を貸してくれたからな。お湯が冷めないようにブロックで外枠を作ってくれたのも街の人たちだよ」
「へぇ」
やはり技術を持った人が手を貸してくれると仕上がりは綺麗になる。子供たちが自分たちの手だけで寄せ集めでやるよりもしっかりとしていた。それだけでも今どれほどの善意が集まっているのか感じずにはいられなかった。
「じゃあ入ろうか」
ローラは屈託もなく言う。その言葉に戸惑いながらもラフマニも同意する。
「お、おう」
さすがにこういう状況はラフマニとしては想定外だったのだろう。いつもの威勢の良さと裏腹にどことなく落ち着きがない。
その一方で、ローラは手際よく衣類を脱いでいく。いつも常用しているショールをおろし、エプロンを外し、ワンピースを頭から脱いでいく。その人に身につけているのは肌着のシュミーズとシンプルなショーツだ。
かたやラフマニの方は濃いめの色のジーンズにボタンシャツ姿であるこれにいつも分厚い革製のハーフコートを身につけていた。
それを順番に脱げばランニングシャツとトランクスのみである。
一瞬、彼の手が止まったがすぐに意を決したように残った下着も脱いでいく。露わになったラフマニの素肌は褐色で筋肉が隆々としている。それに加えてさすがのローラの目にもすぐにわかるものがある。
「すごい傷跡――」
ローラがぼそりとこぼす。ラフマニのその素肌にはいくつもの古傷がある。
「ここいらで生きていけば多少の傷は当たり前だからよ」
ローラはそのことにはそれ以上問いかけなかった。この街で生きていくのなら多少の苦しい思いはあって当然だからだ。気にしていたら身が持たないのだ。
しかしそれ以上に目を引いたのは、やはりその手足である。両足は大腿部の途中から先を義足に置き換えてある。色はガンメタリックで鈍く光っている。到底安物には見えず見事な代物だと言うのがローラの目にもはっきりとわかった。
右腕も同じだ。肩関節から先が人工の義肢に置き換わっている。こちらは足とは違い肌色であり人工の皮膚素材が貼り付けてある。ただ表面には接合線のようなものがあり、よく見れば義手であることがすぐにわかった。
それを見たローラが言う。
「それって、誰につけてもらったの?」
その問いにラフマニは答える。
「兄貴だよ。シェンの兄貴、医者もやってるからな」
それは神の雷と呼ばれる男の意外な一面だった。多忙ゆえに、危険な身の上ゆえに、ハイヘイズの子らと一緒にいることが難しいと言うシェン・レイ――
その彼の子供達との関わりあいの姿が垣間見える気がした。そして、ローラはそっとラフマニの手を掴みこういったのだ。
「来て、洗ってあげる」
「お、おう――」
その時の、手を差し出し声をかけてくるローラの姿は生まれたままであった。目にも艶やかのその姿にラフマニは思わず視線をそらした。その仕草が意味するところをローラもすぐに気づいたのだろう。
「あっ……」
ローラは思わず声を漏らす。ラフマニの戸惑いに気づいてローラは慌ててバスタオルを身に巻いた。その気配に詫びるようにラフマニが謝ろうとする。
「わ、わりぃ」
「べ、別に悪くないよ。そ、それより頭と体洗っちゃおう、冷めないうちにさ」
「おう」
ラフマニの声がどことなく上ずっている。明らかに自分で思わず見たものに柄にもなく戸惑い興奮している。
風呂場の床に椅子代わりに置いてあるビール瓶ケースの上にラフマニを腰掛けさせる。そしてプラ製の真新しい手桶にお湯を汲む。そして、スポンジに石鹸をなじませて泡立てる。
「じゃ、洗うよ」
そう問いかけるとローラはラフマニの体を洗い始めた。
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