9:年長組 ―オジーとジーナとアンジェリカ―

 階上の寝部屋をあとにしてローラはおりてくる。するとその階段の途上に佇む影があった。

 ラフマニである。

 

「ラフマニ」

「よぉ」


 にこやかに笑みを浮かべながらラフマニはローラを待っていた。そしてローラも階段を足早に駆け下りていく。

 

「お疲れ様、お風呂の準備終わったの?」

「あぁ、街の人たちが手伝ってくれたよ。毎日は厳しいけど一週間に一回はなんとかなるだろう」

「そう、よかった!」

「シャワー程度なら毎日使えるってってさ」

「あ、それ、ジーナやアンジェリカも喜ぶわ」

「だろうな、女の子たちが一番気にするのは身奇麗さだからな。さ、行こうぜ。みんなが待ってる」

「うん」


 そう言葉を交わしながらローラはラフマニに歩み寄り、さりげなくラフマニと腕を組んだ。そして二人は、居間として使っている1階フロアの部屋へと向かったのである。


 1階フロアでくつろぎながらラフマニをはじめとする年長者組は何気ない雑談に花を咲かせていた。


 すでにオジーとジーナ、そしてアンジェリカはリビング代わりの広い部屋に敷かれてあるカーペットの上で足を崩して座っている。

 生活物資は新しいものを買う余裕はない。しかし、近隣の人達と交流が深まるにつれ不要物や横流し品を提供してもらえる機会が何気なく増えているのだ。

 このカーペットだってそうした施し物の一つだ。子供達がコンクリート貼りの地べたに座り込んで暮らしてるのを見た人が、それでは寒かろうと、つてをたどって廃棄処分の物を持ってきてくれたのだ。

 まだまだ、無戸籍の混血児と言う身の上に対して冷たい目線を向けてくる人は少なくない。しかし、ローラが現れてからというもの、ハイヘイズの子供たちの悲惨な暮らしに救いの手を分けてくれる人は、少しずつだが確実に増えているのだ。

 さすがに、そのままこの子達の全てを養ってもらうことはできないだろう。

 でも、自立して暮らしていくために最低限必要なものを提供してもらうことは可能だ。街の人々の善意のもとに――

 ローラたちがそんなふうに子供たちの世話をしているその下では、ラフマニとオジーはある作業をしていたのである。


 リビングではオジーがにこやかに声をかけてきた。


「お疲れ」


 着ているのはジーンズにダークブルーのトレーナー。肉体労働が多いので動きやすい服装を心がけている。


「子供達寝ました?」

  

 そう視線と声をかけてくるのは頭にヒジャブをかぶった中近東系の風貌のジーナだ。最近になりパキスタン系のコミュニティと付き合うことが増えていた。養女に迎えたいと言う声もあるそうで思案中だそうだ。


「ローラさんだとすぐに寝ちゃいますよね」


 そう感心しているのが北欧系のルックスにアルビノの因子が加わって極端なまでの色白なアンジェリカだ。その見た目が周囲の視線を集めやすいので常にショールを頭からかぶっている。

 アンジェリカの言葉にローラはまんざらでもないような表情で笑みを浮かべる。


「そんなことないわよ」

「え、でも。私たちが寝かせようとすると不満を漏らす子がいるんですよね」


 アンジェリカがそう言えばジーナが同意する。


「ミゲルでしょ?」

「そうそう、あの子完全にローラにべったりだから」

「悪い子じゃないんだけどね」


 二人の会話にローラも思わず苦笑してしまう。


「今度言っておこうか?」

「いいえ大丈夫ですよ。駄々をこねるわけじゃないし」


 アンジェリカは苦もなく答える。彼女達もローラの背中を追うようにして〝母親役〟としてのスキルを着実に身につけつつあったのだ。

 ふとラフマニが言う。


「お? さっそく風呂入ったのか?」


 ジーナとアンジェリカの体からほんのりと湯気が登っている。ジーナが言う。


「はい、試しがてら入ってみろって言われて」

「大きさも悪くないし、あれなら子供たちと一緒にいることができるかもしれないですね」


 アンジェリカも感想を述べる。するとローラが尋ねた。


「もしかして一緒に入ったの?」

「ええ、お湯がもったいないし」


 ジーナも感想を述べるなか、オジーが視線を泳がせている。ラフマニがつっこむ。


「何してんだよオジー」

「い、いや……」

「まさか想像してんじゃねえだろうな」


 するとオジーの顔がみるみる赤くなるのがわかる。いたたまれなくなってすっくと立ち上がる。


「ちょ、ちょっと出かけてくる」


 明らかな照れ隠しなのははっきりとわかる。その行動にジーナもアンジェリカもにこやかに視線を向けながらクスクスと笑ってる。

 その視線に急き立てられるようにオジーは一目散に外へと出て行ったのだ。

 そんな3人のやり取りにローラは尋ねる。


「オジーって、裏表がないよね。はっきりしているっていうか。素直っていうか」

「そうですね」

「いい人なんですよね。基本的に」


 ジーナとアンジェリカの返事にローラはさらに訪ねた。

 

「それでさ、二人はオジーの事をどう思ってるの?」


 思わぬ質問に二人とも返事が返せないでいる。すこし恥ずかしそうに困ったような表情を浮かべていた。

 そこに助け舟を出したのはラフマニである。


「大丈夫だよ。言ったりしねぇから」


 本人に思いが伝わるのが不安だったのだろう。ラフマニの言葉を受けて二人は訥々と話しはじめたのだ。

 

「正直言って、小さい頃からずっと一緒だからその――」

「異性と言うより〝お兄ちゃん〟なんですよ」


 ジーナが語り、アンジェリカが続ける。互いに頷きながら本音を語るのはアンジェリカだった。

 

「異性として恋心抱くよりも、背中を追って守ってもらうことが多かったですから。今の関係を超える事ってどうしても考えられなくて」

「そうね――」


 ジーナも同意しつつ言葉を紡ぐ。

 

「それに、あたしは特に養女に迎えてくれるかもしれない方たちがムスリムだから、結婚前にむやみに異性と交際する事は避けないといけません。その事もあってか私も今の関係を変えるつもりはないんです」


 最近、ジーナを特に気に入ってくれているパキスタン人の夫婦がいる。ジーナを養女にと申し出ているが現状では世話役の年長者が少ない事もあり、この家を離れる訳にはいかない。それでもジーナの立場を理解した上で親身になってくれている。そんな人達に報いるためにも勝手なことはできないのだ。

 

「だからね? アンジェリカがその気なら、あたしは別にいいんだよ?」

「え?」

「本気なんでしょ? アンジーは」


 アンジー――、アンジェリカの愛称だ。

 

「そ、それはその――」

「ふふっ、いいよ。焦んなくて。ただ私に遠慮しているとしたら、そこまで気を使わなくてもいいからね」


 ラフマニがローラと一緒にいる事が多い今。ジーナとアンジェリカとオジーは一緒にいる事がほとんどだ。どちらかがオジーとくっつけば、もう一人はあぶれることになる。それを互いに案じているのだ。親友の気遣いにアンジェリカも頬を緩ませながら頷いた。

 

「うん、ありがとう。少し、考えてみる」


 二人が互いを思いやる姿に目を細めながらローラは言った。

 

「焦らなくていいよ。オジーも二人のことは気に留めてるみたいだし」

「そうだな。あいつもどちらかを選ぶという事に戸惑ってるみたいだし。それにあいつからすればお前たちは妹だからな。気持ちの優しいやつだからこそ、どちらかが悲しむ結末は選びたくないんだよ」


 4人がそんな事を話しているときだった。ローラはある物音を感じた。

 

「あ、オジーが帰ってくる」

「え?」

「足音がするよ。今の話は内緒で」

「はい」

「えぇ、そうします」


 そして二人は静かに立ち上がる。

 

「それじゃ私たちも休ませていただきます」

「おやすみなさい」


 二人は連れ立ってリビングから立ち去っていった。入れ替わりにオジーも戻ってくる。

 

「おかえり」

「お、おう――」


 ローラの問いかけにオジーもぎこちなく答えた。そんな彼にラフマには問うた。

 

「オジー」

「あ?」

「お前、ジーナやアンジェリカの事どう思ってる?」

「ちょっと、ラフマニ?」


 ストレートな質問。この場にかの二人が居なかったからとは言え、ローラも戸惑っていた。

 

「ど、どうって――そりゃ」


 みずからの頬を指先で掻きながらオジーは答えた。

 

「大切な妹みたいなもんだよ。二人のここに来る前の事も知ってるしよ。あいつらが幸せになってくれるのが一番だし――」

「そうか、ならいいんだ」

「何いきなり聞いてんだよ。第一、おれが片方だけ選んだらもう片方が一人になるだろう? それより俺、もう寝るからな」

「仕事か?」

「あぁ、港の荷揚げだ。朝早いし、きついけど、実入りがいいからな」

「頼むぜ、俺は李さんからの紹介で運び屋仕事だ」

「気をつけろよ。最近警察とかもうるさいからな」

「わかってるよ。お前こそ怪我すんなよ」

「あぁ、それじゃおやすみ」

「おう」


 そう言葉を残すとオジーは、ローラにも手を振りながら上の階へと上がっていく。年長組は男女別に部屋を分けてあるから、オジーはラフマニと一緒の部屋で寝起きしていた。そしてローラは――

 

「あたしもやすもうかな。子どもたちも今の所おとなしいし」


 今夜はまだ小さい子達にトラブルが起きていない。いつもなら幻影痛の発作や、不安にかられた子が泣き出したりとか、何かしら起きるのだ。だが今夜に限ってはひたすら静かである。そこでローラはある事に気づいた。

 

「そうだ。お風呂――」

「あぁ、そうだ。お前も入れよ。〝その体〟でもキレイにしておくに越したことはないからな」

「そうだね、あ、でもラフマニは?」


 ラフマニの声に振り向きながらローラは返す。それに対してラフマニは面倒そうに答えた。

 

「俺はいいや。あとで体拭いて済ませるしよ」

「え? せっかくじゃない。入ったら?」

「そうしたいんだけど――」


 ラフマニはそこまで答えて自らの両膝を叩いた。


「――両足の義足をあまり濡らしたくねーんだ。防水はしてあるけどお湯につけるのはちょっと怖いしよ」


 ラフマニは両足と右腕を改造している。過去に大怪我をしたときに医療目的で移植されたのだ。実際、義肢義足を濡らすことを厭う人は少なくない。万一防水機能が不十分だったり破損してたりした場合、義足がダメになることもありうるのだ。でもローラはそんなラフマニを案じるようにこう告げたのだ。

 

「でも、ちょっと臭うよ? 前に髪を洗ったのいつ?」

 

 そう問われて答えにくそうにラフマニは言う。

 

「あー、ひと月前――」


 その言葉に苦笑しつつローラは言った。

 

「でしょう? だったら入らなきゃ、李さんの顔を潰したいの?」

「う――それは困るな」


 仕事を任されるにあたり、身奇麗であることは最低限のマナーだ。その事の必要性はラフマニもわかっている。そんなラフマニの困惑を追い払うようにある提案をしてきたのはローラである。

 

「あたしが一緒に入って洗ってあげるからさ。お湯には入らなくてもいいから。それならいいでしょ?」

「え? お前が?」

「うん」


 あっさりとローラは言う。その事の意味をラフマニは反芻しながら同意した。

 

「あ、あぁ――わかった――」


 これから何が起こるのか、不安と期待が入り交じる。強硬に突っぱねられないのが歯がゆかった。そんなラフマニの胸中を知ってか知らずか、ローラはラフマニの手を握る。

 

「さ、行こう」


 半ば強引にローラはラフマニの手を握って歩き出した。二人が向かうのは地下階、浴槽を設置した一室である。

 その日は何が起きるのか予想がつかない夜であった。

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