8:寝物語 ―月のうさぎ―

 子どもたちを寝床部屋へと連れて行くと、次は就寝準備。お古の寝具をみなで用意してそれぞれに布団につかせる。そして、寝枕で子どもたちがローラにせがむのは――

 

「ママ――」


 かけられてくる小さな声、転がるような弾む声は唯一のロシア系の純血の子でカチュアと言う。

 一番最初にローラを〝ママ〟と呼んだ子である。

 

「お話して」


――寝床で子どもたちが望むのはいつでも物語――


 ローラはその事にこの家にたどり着いてから学んだ。それは毎夜のように続けられていたのだ。

 そもそも、子どもたちの世話をするのに必要な知識は、ローラ自身がマリオネット時代に目撃した他の母親たちの姿や、自らが持つネットアクセス能力で得たネット上の情報を頼りにしている。子どもたちに語りかける寝物語は自らがネット上から見つけ出して来たものだ。その内容を確かめた上で子どもたちに語って聞かせるのだ。


 その手に常夜灯代わりの小型のLEDランプをローラは手にしている。皆に微笑みながら部屋の明かりを落とすと皆の真ん中あたりに腰を下ろす。そしてそっと答えかえす。

 

「いいわよ。じゃ、お話しようか」


 一人一人ひとりに目配せしていく。寝具から体を乗り出してふざけていた子たちもその視線にすぐに布団の中へと戻って行く。拒む子たちは誰も居なかった。

 子どもたちのかすかな吐息が聞こえる中でローラは語り始めた。

 

「それじゃ今日は〝月のうさぎ〟と言うお話ね」


 そっと語り出す言葉に子供達は耳を傾ける。全ての視線が注がれる中でローラはゆったりと語りだした。


『昔々あるところに、野原の木陰で修行を続ける一人の行者様がいました。来る日も来る日も行者様は座禅を組んで神様に祈りを捧げています』


 まるで鈴の音が鳴るような声でローラは語り続ける。


『その行者様の姿を森の動物たちが見守っていました。みんなのために毎日祈りを捧げる行者様。その行者様のためにみんなで何かをしてあげようということになりました』


 ローラが息継ぎをして一呼吸置く。子供達が固唾を呑んで見守っているのが伝わってきた。


『まず最初にやってきたのはクマでした。

「行者様、森でハチミツを取ってきました。どうぞ召し上がってください」

 これに行者様は

「ありがとう」

 と、言いました。


 次に行ってきたのは小鳥でした。

「行者様、木の上になっている美味しい木の実を取ってきました。どうぞ召し上がってください」

 これを受け取り行者様は

「ありがとう」

 と、言いました。


 その次にまたやってきたのは狐でした。

「行者様、川で魚を取ってきました。どうぞ召し上がってください」

 これを受け取り行者様は

「ありがとう」

 と、言いました。


 森のみんなが次々に贈り物を持ってきます。これを見て困ってしまったものがいました。うさぎです。

 

「どうしよう、僕はみんなみたいに、美味しいはちみつも、美味しい木の実も、川の魚も、とってくる事はできない……」


 考えに考え抜いてうさぎはあることを決めました。

うさぎは何も持たないまま行者様のところへとやってきました。


 行者様の前には、誰かが炊いた焚き火がありました。

 その焚き火の前でうさぎはこう言いました。


「行者様、私はみんなみたいに上手に食べ物を取ってくることができません」


 うさぎのその言葉に行者様が何か言おうとしたその時です。


「だから〝僕を食べてください〟」


 そう言うとうさぎは自分を火の中へとくべてしまったのです。

 行者様も、森の皆も驚きました。でも、うさぎはあっという間に焼かれてしまいました。そしてそのまま死んでしまったのです――』


 ローラの語る物語に子供達が驚いているのがよくわかる。でも、ローラはやさしい口調のまま、語り続けたのだ。


『焚き火の中に自分の身を投げてしまったうさぎ、行者様のことを思ってしたことだったのですが、当然うさぎは死んでしまいました。

 うさぎの魂は遠く天へと登り月へとやってきたのです。

 うさぎが、誰もいない月の世界は歩いていると、誰か知らない人がやってきました。よく見ると先ほどの行者様によく似ていました。

 うさぎは尋ねます。


「行者様ですか?」


 うさぎの目の前に現れた人は答えました。


「いいや、私は月に住む神様だ。私はここからお前の行いを見ていた。私はお前にどうしても教えてやりたいことがあった」


 うさぎは神様の言葉を不思議そうに聞いています。


「いいかい? お前があの業者様に何かを施してあげようとしたことは決して悪いことではない。だが――」


 神様の言葉にうさぎは少し嬉しそうにしました。でもそれに続いた言葉にまた不思議そうにします。


「誰かに何かをしてあげるというのは、相手のことを思ってあげなければいけない。自分が犠牲になればいいというのは時には相手を悲しませるのだ。ほら見てごらん」


 神様が指さす先には、行者様とみんながいたあの森があります。その森でみんなは死んでしまったうさぎを囲んで泣いていました。

 その姿に、魂だけになったうさぎもポロポロと涙をこぼしました。

 そんなうさぎを慰めるように神様はこう言いました。


「死んでしまったお前を元に戻すことはできない。でも誰かのために何かをしてあげようとしたお前の行いは貴い。だから、私と一緒にこの月の世界で暮らすがいい」


 それからというもの、うさぎは月の世界で神様のお世話をしながら楽しく暮らしました。

 森のみんなは満月に浮かぶうさぎの模様を見て、あのうさぎが月の世界で元気に暮らしているのだと気づいたと言う事です――』


 子どもたちは誰も言葉を発しなかった。

 〝自己犠牲〟と言う考え。そして〝死〟と言う残酷なイメージ。

 誰もが恐れをなしている。だが――


「ママ」


 問いかけの言葉を発したのはカチュアだった。

 

「うさぎさんって今もお月さんにいるの?」


 その言葉にローラは微笑みながら答える。

 

「そうよ。今もお月様の向こうの世界で神様と一緒に暮らしているのよ。みんなのお手伝いをしながらね」

「ふーん」


 子どもたちに死と自己犠牲の概念は分かりづらかったかもしれない。だが、カチュアがこぼした言葉が子供たちが抱いた不安を氷解させる。

 

「じゃあ今日はうさぎさん、神様のお手伝いお休みだね」

 

 カチュアは布団から身を乗りだし指を指している。その先には窓の向こうに月の見えない真っ暗な夜空が広がっている。雲もなく星がまたたいていた。ミゲルが言う。


「だって旧正月だもんな、お月さんだって寝てるよ」

「そうね、それじゃ」


――ミゲルの言葉にローラがLEDランタンを手にする。


「みんなもお休みしましょう」

「はーい」


 弾むような甘い声で返事が帰ってくる。そして皆が布団の中へと潜り込むのをローラは見守る。子供らの安堵する声と、安心しきってすべてを委ねるような寝姿――、そこにローラは一つの幸せを見ていた。その手にランタンを手にしながら子どもたちを見守り続ける。

 そしてほぼすべての子が寝息をたてるまでの10分ほどをじっと座り込みつづけた。

 ローラは見つめる。全ての子供たちを――、その横顔の一つ一つに思い出が浮かんでくる。楽しいこと、辛かったこと、悲しかったこと、そして嬉しいこと。

 

「そろそろかな――」


 物音を立てずにそっと立ち上がる。今日は幸いにしてだれも目を覚まさなかった。

 ローラは子どもたちを見守りながら歩いていく。そして、子供らの寝部屋のドアをそっと閉めながらこう言葉を残す。

 

「おやすみ、みんな」


 次の朝になればまた喧騒が始まる。でもローラは、それすらも愛おしいと感じるのだった。

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