7:ローラと言う〝母親〟

 そして夕暮れ――みなは帰路についた。

 とは言え、そう離れているわけではない。散歩がてらの道のりを歩くと、ラフマニたちが必死の思いで守り続けてきたあばら家が見えてくる。廃倉庫ビルを利用して設けられたねぐらだ。そしてハイヘイズの子らが命を預ける常の住処である。

 ラフマニたち年長者5人がそれぞれに分担して子供らを寝室へと連れて行く。幸いにしてビルにはあいている部屋が多く年齢別性別で3つほどに分けてある。ある程度年上の子たちはジーナやアンジェリカが引き受けるが何かと手間のかかることの多い乳幼児や幼児は全てローラが引き受けているのが現実だ。

 夕食は台湾人街の人たちの施しがある。それを弁当代わりにして簡単に済ませる。子どもたちが夕餉をしている間にローラたち女性陣は調理場で食材の整理である。

 

「もらってきたものは一旦全部地下にしまいます?」


 ジーナが問いかけてくる。その両手には台湾人街の人々からの手土産代わりの食材がある。多くは長期保存できる乾燥食品や真空パックや缶詰などのたぐいである。決して豊かとは言えない食糧事情故に長期にわたり備蓄できる保存食はとにかくありがたいところだ。


「そうね、今日はしまうだけにして整理は明日にしましょう。あ、乾燥食品だけ収納場所に気をつけないと。湿気が強いところもあるから」

「はい、わかりました」


 すると入れかわりにアンジェリカがやってくる。

 

「ローラさん、子どもたち食事終わりました。ラフマニたちは〝お風呂場〟の設置もう少しで終わるって」

「そう、それじゃ交代するからジーナと一緒にすませちゃって」

「はい」


 そしてアンジェリカと入れ替わりに子供らのところへと行く。休憩も食事も、子供らが目を覚ましている間は交代制である。のんびり息をつく暇もないのだ。

 そもそも――現在、ローラたち年長組を除いた13歳未満の子供組は総数で14名、これだけの大所帯を彼女たちは3人足らずで世話しているのだ。食事を終えた子どもたちのところにローラが姿を現せば、人心地ついた子どもたちから一斉に視線が向けられる。

 

「あ、ローラママ!」


 期待と好意の視線が向けられる中、ローラは子供らにやさしく告げる。

 

「さ、今日はもう寝ましょう。いっぱい楽しい思いしたでしょ? 疲れてるからちゃんと休まないと風引いちゃうわよ」

「はーい」

「はい! みんなで寝る準備よ! はじめ!」


 声をかけつつ両手を鳴らせば、子どもたちは一斉に動き出した。ローラの声に逆らう子は一人も居ない。

 この多種多様な孤児たちがこれほどまでに懐いているのは、それだけローラが、子どもたちの目から見ても〝母親〟として疑いようも無いほどの素養と深い愛情を感じるからに他ならないのだろう。


 寒空に置き去りにされたこともある、

 眼の前で母親が命を失ったこともある、

 大人の欲望の犠牲にされたこともある、


 筆舌に尽くしがたい苦難の末にこの廃ビルにたどり着いた子どもたち。

 だが生きていくのがやっとで、笑顔すら忘れてしまう。


 そんな子供らのところへとローラは現れた。そして、覚悟を決めて幸薄い子供らの〝母親〟となったのだ。


 子が母親に望むのは――

 

〝守ってくれること〟

〝癒やしてくれること〟

〝育ててくれること〟

 そして――

〝教えてくれること〟


 それらを手探りでつまづきながらもローラは懸命に受け入れ、こなしていく。

 決して他人には言えぬ過去を背負いながらも、懸命に子供らへと自らの全てを与えていく。

 彼女は労苦を労苦とは思わない。疲労を疲労とは思わない。己が過去により味わった重すぎる罪悪感と比べたら、この子供らの満足げな笑みさえあればたとえどんな明日が待っていたとしても生きていける。そう思えるのだ。


 ローラは全ての子供らに視線を配りながら着替えを手伝っていく。まだ自分で着替えられない乳幼児は致し方ないとして、可能な限り自分でできるように普段から声をかけていた。今では年上の子が、着替えもままならない小さい子を面倒見ている。

 互いが助け合うこと――

 それを旨としてローラは子どもたちをしつけてきた。それが最近なり少しづつ実を結びつつある。

 去年のクリスマスの夜にここにたどり着いて早くも一月半、この廃ビルは確かに変わりつつあった。

 薄汚れた爪弾きの孤児たちの〝巣〟ではなく、行き場のない身の上の子どもたちがお互いを助け合い支え合うための〝家〟となりつつあるのだ。

 ローラを母として、一人の指導者として――

 

「ママ!」


 力強い声が聞こえる。声の主は男の子で名をミゲルと言う。ブラジルとアジア系のハーフの子、父親は不明で母親はストリートガール、避妊の失敗により産み落とされそのまま捨てられた子だ。一度はひろわれたのだが、混血であることがわかった途端に2歳のときに再び捨てられた子だった。

 攻撃的で誰にも心を許さない子だったが、ローラが懸命に向き合い、その心を開かせたのだ。今では自分から率先して小さい子らの面倒を見てまとめてくれる。本来は面倒見の良い気持ちの優しい子なのだ。

 

「みんな着替え終わったよ。あかちゃんのおしめも交換した」


 ミゲルはみんなが着替え終わると必ず知らせてくれる。そのときにローラはかならずある事をしていた。

 

「そう、ありがとう。また今度もお願いね」


 笑みを浮かべながらかけられる言葉がミゲルは何よりも嬉しかった。小さなことだが、その子の存在と行動を認めてあげること――、それこそが重要だとローラも十分に承知していたのだ。

 

「うん! それじゃ寝る部屋に連れてくね」

「お願いね」


 ミゲルが次の事を始める。小さい子らを連れて寝床のある部屋へと連れて行くのだ。ミゲルと同い年のユダヤ系の風貌の女の子も赤ん坊を抱きながらその後をついていく。シーラと言う子で虐待された経験があり首筋から右腕にかけてひどいケロイドの跡がある。引っ込み思案で自尊心が低い気の小さい子だったが、やはりこの子もローラが現れてからの毎日で〝自分は存在して良いのだ〟と自己肯定を持てるようになっていた。

 相変わらず笑わないが、以前よりは遥かに行動的であり自主性も出てきていた。気持ちがもともと優しいのか、赤ん坊の世話は誰が教えたわけでもないのに自らかって出てくれている。


「シーラ」


 ローラが声をかける。シーラは無言で振り返る。

 

「ありがとうね」


 何気ない一言――、その一言にシーラは口元を緩ませた。まだ笑顔は戻らない。だが確かに彼女は表情を緩ませた。笑顔を取り戻すまであと少し、そんな気がするのだった。

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