3:ラフマニ反省する ―李大夫と言う老人―

 時刻は夕暮れ時、手に職を持つものは仕事を終え帰り支度をする頃である。後片付けを終え帰路につく。ラフマニも家路へとついていた。

 その帰りの道すがらあの台湾人街へと足を踏み入れる。そして、とある店へと立ち寄る。


 それは〝占い〟の店である。


 宗教儀式や日常風習を重んじる台湾人街の人達にとってはとても重要な場であった。

 そしてそこは地域の人々にとって人間関係の要とも言うべき場所であったのだ。

 店に店名は出されていない。だが、店の入り口にある装飾からその店の趣旨はすぐにわかった。

 赤を基調とした派手めな彩り。

 祭壇が設けられ、その奥に一人の老人が腰掛に座り込んでいる。

 今年で齢七十を越す老齢であり、頭頂部だけが薄くなった頭を中華風のツバなし帽子を乗せた姿が特徴的であった。


 地域の人々から〝李大夫〟と呼ばれる老人で、またの名を――


「李さん」


――と親しみを込めて呼ばれていた。

 声をかけたのはラフマニだ。その声に導かれるように李は顔を向けてくる。


「なんだ、誰かと思ったらラフマニじゃないか。よく来たな、こっちに来なさい」


 李にラフマニを疎むような素振りはない。親しみを込めて手招きしてくれている。


「仕事帰りか?」

「はい、李さんに紹介していただいた件です。今日の分が終わったのでご挨拶しようと思って」

「おおそうか! それは感心感心、待っていなさい、茶でも出させよう」


 李がはにかみながら答える。店舗の奥の方へと声をかける。


「茶を二つ頼む。あと何か菓子もな」


 その声を受けて裏の方で何やら動く声がする。それをよそに李は語り始めた。


「それにしても――」


 李がしみじみとした声で告げる。


「お前さんもやっと報われる時が来たな」


 かけられたのは意外な言葉。その言葉の真意を噛み締める間に李はさらなる言葉を告げた。


「あの子供らのまとめ役をやってもう何年になる?」

「5年か6年――、それぐらいだと思います」

「長いな、一人の子供が人として独り立ちするには十分な年月だ。だがここでは今までの苦労の一つ一つを指折り数えるようなことはすまい。一つわかるのは、お前さんが頑張った。決して諦めず腐らず希望を持ち続けたからだ。なぁ? ラフマニや?」


 李の語る言葉にラフマニは今までの日々を噛み締める。身寄りのない混血の孤児たち、誰も救いの手を差し伸べてくれない――、そんな過酷な日々をどうにか乗り越えてきた。そして、今までに手を差し伸べてくれた人々の名を思い出さずにはいられないのだ。


「李さんやシェンの兄貴やこの街の人たちのおかげです」


 ラフマニが漏らす言葉には今までに受けた恩義への感謝がにじみ出てきた。


「本当にありがとうございます」

「いや、わしらは大したことはしとらんよ」


 李が謙遜しつつ言う。するとちょうど店の方から一人の老女が中華風の緑茶の入った湯呑みを二つ持ってきた。茶請けの菓子は砂糖菓子である。


「さ、食べなさい」

「はい、いただきます」


 李の言葉に丁寧に受け答えする。普段は言葉遣いの荒いラフマニも目上の人たちの前では言葉を選んで会話している。これもまた彼は子供たちを養う上で身につけたものであるのだ。


「時に聞くが」

「はい?」

「ローラさんとはどうなのかね?」


 投げかけられたのは思わぬ質問。ラフマには思わずむせってしまう。


「ど、どうって。何も――普通ですよ」

「そうか? 喧嘩なんかしとりゃせんかと思ってな。何しろお前らは傍から見てまるっきりの〝若夫婦〟だからな」


 若夫婦――その言葉の響きに何も何かを意識するのか顔を赤らめてしまう。だがかたや李の方は至って真面目であった。

 李は占い師である。そして、街の界隈のまとめ役でもある。様々な人々の人生模様つぶさに見てきた老境の人であった。


「わしもなここで様々な人々の揉め事困りごとに耳を傾けてきた。当然、夫婦めおとになったばかりの若者たちの若気の至りもよく見てきた。その上でお主に忠告したいことがあるのだ」

「忠告――ですか?」


 ラフマニからの返事に李は頷く。


「若夫婦がよく陥りがちになるのは〝相手がしている苦労をそれが当然〟と無意識のうちに思いがちになることだ」


 李は湯のみを手に取ると一口茶を飲んでさらに告げる。


「必ずしもそうではないが、男は家の外で働き、女は家の中で家庭を切り盛りする、この役割のあり方を手探りで考えながら互いに支えあって日々を暮らしていく。今のお前さん方もそうだろう?」

「はい――」


 ラフマニは素直に頷いた。確かに今はそれぞれの役割がはっきりと出来上がっている。


「しかしだからこそだ。その役割についてまわる〝苦労〟をついつい〝あって当然〟と思い込むのだ。男が外で働くなら稼ぎを稼ぐ上での苦労や辛抱ごとはお前さんもわかるだろう?」

「はい――」

「ならば逆もまた然りだ。子が無く時間的余裕があるのならともかく、初めての赤ん坊が生まれれば家庭を守る立場にある女はその赤子の世話で寝る間もなくなるというのが実情だ。男がそのことに思いが至るのなら良いが、そうでない場合は互いに不満を溜め込むことになる。ラフマニや、お前さんはどうだね? ローラさんのことをちゃんと理解しているかね?」

「それは――」


〝理解している〟と言おうとしたが言葉が出てこなかった。李の言葉に思い至ることがあったからである。


「お前さんが機嫌が悪そうにして歩いているというのを聞いたのでな。もしやと思ったのだ」


 ラフマニは思わず驚く。李の洞察力の鋭さに。


「考えてもみなさい、一人や二人ならともかくいきなり十人を超える子供らの親代わりを始めたのだ。普通はとまどい、どこから手を出していいかわからなくなるだろう。だが彼女はそれを〝こなしてしまっている〟これがどういう意味をもつのか分かるかね?」


 ラフマニは李の言葉をかみしめながら答えを返す。


「それは〝それができて当然〟と思ってしまいますよ」

「その通りだ。だからこそ子供達以外のことに手が回ってないことに不満や苛立ちを覚えることもあるだろう。だがそれで喧嘩になるのは男として、家長として果たしてどうかね?」


 李の言葉はラフマニの胸に突き刺さっていた。互いが互いに慣れてきたからこそするべき配慮や気遣いを忘れてはいないだろうか?


「申し訳ありません――」

「いや、謝るの話ではない。今ならまだ間に合う、折を見て二人きりで本音で語らってみなさい。良いな?」

「はい」


 ラフマニは感謝しつつ頷いていた。自分があのハイヘイズの子らをまとめあげればならないのだ。それを手助けしてくれているローラに対しては殊更に気遣ってやらねばならないのだから。

 納得した風になったラフマニに李は話題を変えるように語りかける。


「そういえば話は変わるが――」


 李が表情を緩ませながら言葉を吐く。


「もうじき春節が始まる」

「旧正月ですね? いつも最後の日はご厄介になってます」

「その通りだ。ただ今年は少し趣向を変えようと思うのだ」

「え? どういうことですか?」


 ラフマニの返事に李は答え返す。


「春節の九日間のあいだ、こちらの街に子供ら全員で逗留してどうかと思うのだ。そのために宿代わりに一件、空き家を用意した」

「それはありがたいことですが、いいんですか?」

「かまわんよ、それで子供らが笑顔になってくれるのであればな。ただ一つだけ頼みがあるのだ」

「頼みですか?」


 ラフマニの問い返しに李はうなずいた。


「春節の最初の日である〝竈の日〟の大掃除の手伝いをしてもらえたらなと思ってる。この界隈も年寄りだけで暮らしてるものがかなり多くてな――、手数が足りておらんのだ。無論、子供ら全員でというわけではない。手伝いができるものだけでいい。どうかね?」

「それは――」


 ラフマニは迷わなかった。子供らが世の中に出て行き〝他人とは怖いものではない〟と言うことを学んでほしいと常日頃から思っていたからだ。

 他人を信じれずやさぐれて世の中に敵意を持つようになってはろくな人生は待っていない。たとえ過酷な毎日でも〝信じれる人〟がいるということを知るだけでも何よりも得難い幸せであるのだから。それはラフマニ自身がずっと噛み締めてきたことであるのだ。


「是非お願いします」


 二つ返事だった。李も満足そうに頷き返す。


「そうかそうか。ならこちらでも準備させよう。支度ができたら知らせる」

「はいよろしくお願いします」

「うむ」


 二人は互いに頷き合いながら会話を終えた。

 そして、ラフマニが家路についたのは日が沈んだ後のことである。

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