17:贈り物
だがそこでクラウンが新たに問いかけてくる。それはローラ自身の身の上についてとても重要なことであった。クラウンがローラに尋ねた。
「ちなみにあなた、ここで何をしてらしたのですか? もしかして――」
声のトーンが冷静なものになるクラウンはさらに尋ねた。
「――海水からの重水素取り出し作業ですか?」
クラウンがじっと見つめてくる。その洞察力に言い逃れもできない。ローラは素直に白状をした。
「はい、そのとおりです」
「やはり――」
そう呟くクラウンに、ローラーうつむきながら言葉を返す。
「海水から重水素を抽出しています。量的には非常に微量で焼け石に水ですが」
「致し方ないでしょうねぇ。このような環境下では核融合形式の動力の駆動用燃料など、そうそう簡単には手に入らないでしょうから」
「はい、残り少ない分をなんとかやりくりしながら頑張っているのですが。それでもどうしても足りないので――」
「こうして人目を忍んでこの波内側に来ているということですね?」
「はい……」
消え入りそうな声でつぶやくローラにクラウンは語りかける。
「あなたのような高性能の機体はどうしても繊細なマネジメントが必要になりますからね。メインでお使いになられているのは〝ヘリウム3〟のはず。重水素はあくまでも予備、このような手間がかかっていることは他の方たちには決してアカせないでしょうね。そう考えると――」
クラウンは思案げにつぶやいた。
「やはり、あなたのかつてのマスターがあくまでも個人であなた達を運用できていたとはやはり考えられません。なんらかの強力なバックボーンがあってしかるべきでしょう。しかしそれより今は〝あなたの今後〟をどうするかです」
この時代、技術的ブレイクスルーが果たされて、高性能のアンドロイド機体には小型の低音作動型の核融合動力が用いられるのが増えてきている。ローラもそういった機体の一つであった。
そのローラ自身も、自らの〝糧〟のことについては痛いほどにわかっていた。
こういったスラム街でサイボーグが殆どでアンドロイドがあまり見られないのはそう言う事情も絡んでいるのだ。
ローラはすっかり落ち込みふさぎ込み言葉を失っていた。先行きのことが見えてこないからこそ、表情が晴れることはないのだ。
だがクラウンはそんなローラに穏やかに語りかけた。
「そう言うことだろうと思ってましたよ」
そう言葉を漏らしながら、クラウンは右手を懐のあたりで翻す。そして手のひらの上に大きさ15センチ角くらいの花がらのリボンの付いた小箱を差し出した。さしずめ女性へのプレゼントであるかのようである。
「わたくし、実は今宵はこれをご用意いたしました」
「これを私に?」
唐突なプレゼントに戸惑いながらもそれを受け取る。その姿にクラウンは言う。
「さ、どうぞ。中をお開けください」
クラウンに促されてローラはその贈り物の小箱を開けていく。リボンを紐解き中を開ける。するとそこに入っていたのは――
「こ、これ――」
「いかがですか? 今の貴女に何よりも必要なもののはずです」
小箱の中に入っていたのは小型の超高圧型のボンベである。二重真空構造になっていて極低音の液化ガスを保存できるものだ。そしてそのボンベの脇にはこう記してあった。
――Helium3――
核融合動力を駆動させるうえで、もっとも効率的とされる素材である。
通常は重水素を用いる。これにトリチウムから転換した三重水素を加える事で運用しているが、それよりももっとも効率的にエネルギーを引き出せるのがヘリウムの同位体であるヘリウム3である。だが――
「こんな高価なものを?」
ローラの驚きの声が漏れるが、それは当然のことだった。なぜなら、ヘリウム3は地上では採取できないからである。
月面や、核融合施設の副産物として採取できるものであり、自然採取はできないのだ。当然希少である。
その価値を知っているローラだからこそ。その贈り物は驚愕に値するものだったのだ。
だがその驚きの声に対してクラウンは事もなげに言うのだ。
「だって、お必要なものでしょう?」
その言葉に嘘はない。心からナチュラルな語りかけでクラウンは告げるのだ。
「今のような無理を重ねていればいくらあなたとてお体を壊してしまいます。海水からの重水抽出も海水の塩分の影響を考えればそう多用はできません。ならば本来のエネルギーを摂取すべきです。そのためにご用意させていただいたのです」
そう語るクラウンのマスクは純白に水色のアーチで目口が描かれていた。穏やかな心理状態であることを意味していた。
「流石に今は核燃料の地下流通に対する取り締まりが厳しいので、そう多くは入手できませんでしたが、あなたが母親業をこなし続けるには必要十分だと思います」
母親業――クラウンはそう告げた。その言葉にローラは思わず安堵する。これから先のことを考える上でエネルギーと燃料の問題はアンドロイドの身の上であるローラには切実なものがあった。だがそれも、この仮面の道化師からの思わぬ贈り物でかなり見通しは楽になるだろう。
「ありがとうございます」
クラウンからの贈り物を両手にしっかりと握りしめながら感謝の言葉を口にする。クラウンもその言葉に返礼する。
「いえいえ。道化師の気まぐれとおせっかいです。それに私は子供の笑顔が大好きなのです。あなたが元気であることがあの子達の笑顔につながるのであれば、これくらいたやすいことです」
そしてクラウンは立ち上がると、ひらりと跳躍する。
「さて、ではそろそろお
まるで風に舞うように身を翻しながらクラウンは去っていく。また何処かの街角にて騒動を起こすのやもしれない。あるいは姿を隠しながら、ローラと子どもたちを見守り続けるのかもしれない。
クラウンが去り、ローラの手のひらの中には贈り物のヘリウム3のボンベが残されていた。そのボンベの一つを取るとパッケージの中に同封されているガス充填用の延長高圧チューブを見つける。それをボンベにつないでローラはチューブを口に咥える。
「ん――」
ローラは体内のメンテナンスプログラムを作動させる。
【 Internal 】
【 Maintenance Program 】
【 】
【 Driving energy 】
【 management system 】
【 】
【 Energy 】
【 Replenishment 】
【 operation 】
【 】
【>Function Selection 】
【 [ORAL INTAKE] 】
【 】
【 ――START―― 】
内部プログラムが起動して経口による燃料摂取が開始される。このときのみ咽頭内の構造が切り替えられ、ガス状物質を体内の特定部分へと直接充填するのである。
だがその姿を見ても機械らしい振る舞いはない。何かの栄養ドリンクをチューブで飲んでいるようにしか見えない。事ここに至っても彼女の振る舞いはやはり人間らしいものであった。
【 Filling completed 】
【 Charging Over 】
【 】
【 Main Reactor 】
【 Drive Vital 】
【>FILLING UP THE TANK 】
【 】
【 Overall condition 】
【 indicator 】
【>CONDITION GREEN 】
エネルギーの補充作業が完了する。これでまた一月くらいはなんとかなるだろう。
「ふぅ」
ヘリウム3を摂取し終えて、安堵したようにローラは息をついた。そしてクラウンからの贈り物を大切に持ちながら、その場から立ち上がる。
降りてきた道を反対に登っていけば、護岸の端に脱いであったサンダルがある。それを履いてローラは衣類の乱れを正しながらつぶやいた。
「そろそろ目をさますころね。急いで戻らないと」
ローラが外出している事に子供らが気づけば、不安を抱いて泣き出す子たちが出るだろう。それまでに戻ってやらないといけない。また日が昇る前から忙しい毎日がはじまる。
だがローラはそれを苦とは思わない。彼女だけにしかできない大切な役割なのだから。
東の空の地平線が朝ぼらけのように薄っすらと明るくなり始めている。
また彼女の毎日が始まる。
ローラママとしての毎日がふたたび始まるのだ。
だが――
この地に降りかかるであろう〝災厄〟の事を彼女たちはまだ知る由もない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます