第9話 人手不足

「……遅かったじゃないの」


 玄関のドアを叩くと、出迎えたのは忘れもしない殺人鬼本人だった。


「え、えっと……GPSの誤作動で……」

「なにリーヴァイみたいな失敗してるのよ。あんなの過信する方がおかしいわ」


 部屋の奥の方から「おい」と怒りを抑えた声が飛んでくる。ノエルは悪びれもせず奥に引っ込み、代わりに柘榴ざくろのような赤髪が雄次郎の視界に現れる。


「まあいい。まず業務の説明から始めるが、問題はないか?」

「あれ?ㅤひょっとして、もう採用ですか?」

「適正の判断が難しい職種だからな。ある程度内容を知ってもらわねば困る。……無論、試用期間も給金は出ると就業規則には書いている。俺の試用期間がいつだったのか定かではないがな」


 軽く愚痴も混じえつつ、リーヴァイはホッチキス止めした資料を渡す。……と、その前に思い直してクリアファイルにも入れた。

 雄次郎はどうも、と軽く会釈えしゃくしながら受け取る。しっかりした相手なのは伝わるが、堅苦しすぎて取っ付きづらい。


「現場に向かう途中に読んでおけ。行くぞ」

「は、はい。……あの、ノエルさんは?」

「奴は本来死刑囚だ。外出には許可がいる」


 先日銃を向けられたことを思い出せば、ぞわりと総毛立つような思いが蘇る。


「……外出の際は、武器の類を持たせないようにしているはずなのだがな……」

「た、大変ですね」


 眉間を抑えるリーヴァイに、雄次郎はどこか親近感を覚えた。




 ***




「吸血鬼狩り……ですかぁ……」


 渡された資料に目を通し、雄次郎はげんなりと溜息を漏らした。

 A4の用紙にびっしりと文字が印刷されているが、見かけに反して要点はまとめられており、読みやすい。雄次郎にはむしろ教材代わりにもなるくらいだ。

 資料の内容はほぼ「吸血鬼」について。おそらく、あちらも獣人と立場は似たようなものなのだろう。


「……死者蘇生が可能になってから、吸血鬼狩りは意味合いを変えた。怪物を狩る……という意識からではなく、もっと実用的な用途が動機だ」


 タクシー運転手にチップを渡しつつ、リーヴァイは説明を続ける。

 ぱらり、と資料をめくる。

「吸血鬼の心臓」について、医学的な見解が述べられていた。


「吸血鬼にとって心臓は急所ではない。無論、破損すれば重症にはなるが、時間をおけば自力で修復が可能な臓器だ。……そして、それがにとっては重要な「蘇生用薬品」にもなり得る。乱獲騒動らんかくそうどうが起こったのはむしろ自然とも言えるな」

「ほへぇー……」


 相槌あいづちを返しつつ、雄次郎は細かいアルファベットに目を細める。スマートフォンを取りだし、辞書機能を起動させる。

 まだ複雑な会話は難しいだろう……とは踏んでいたが、リーヴァイは教科書のように形式ばって話す。案外、彼の言葉はスムーズに聞き取れた。


「乱獲が盛んになる以前、島国である日本に移り住んだ一派がいた。彼らが難を逃れていたことが、再起のきっかけにもなり得たのだろう」

「……あー、親戚は知り合いだったみたいですね」

「そうか。……話は変わるが、俺たちの業務は基本的に『条例が守られているかの調査』よりは『例外が発生した場合の視察』がメインとなる。……実際、従業員も例外イレギュラーとされる者達ばかりだからな」


 先日のことを思い出す。

 カミーユは、ノエルの意識を呼び水としてこの世に戻ってきた「死者」だった……と、雄次郎は把握している。

 つまり、リーヴァイも同じように世のことわりを超越しているということだ。


「……リーヴァイさんは、どういう意味で例外なんです?」

「今回の業務には関係がない。答える義務はないと判断する」


 ピシャリと言い切られ、雄次郎はそのまま黙るしかなかった。


「……さて、着いたぞ」


 タクシーが静かに止まる。窓の外に見えたのは、そびえ立つ白い壁だった。


「病院……です?」

「ああ」


 従業員用の入口に向かい、リーヴァイは警備員に何事か告げる。

 ついて行った先にはロッカーやシャワールームが並んでいる。おそらく、医者や看護師の控え室だろうか。


「……失礼」


 リーヴァイがノックをすれば、「おう」と声が返ってくる。

 ドアを開いて、そこにいたのは、輸血パックを口にくわえた白衣の男だった。


「すまん、食事中だったか」

「気にすんな。ちっとばかし調子が悪くてな。……そっちは新入りか?」

「ああ、業務の説明も兼ねて連れてきた」


 銀髪の男はくるりと雄次郎たちの方へと向き直る。年齢は、おそらく30代の後半と言ったところだろうか。

 ……だが、人間ならば、の話だ。雄次郎のような大神オオカミは、一定の年齢から老いることがない。理由について、「人でなく神になるからだ」と、義母ははから聞いたこともある。

 目の前の男が人間ならざる存在……例えば「吸血鬼」ならば、一般的に年齢を経るとは限らないだろう。


「ユウジロウ、彼はクロード……今は何と名乗っているんだったか」

「ブランの方は捨てて、元の家系の姓……ダールマンの方で名乗ってるよ。クロード・ダールマン。よろしくな」


 輸血パックの中身を飲み干し、クロードは口元に付着した血液を拭う。


「あ、えっと、ユウジロウ・マガミです。よろしくお願いします」


 背筋をピンとただし、雄次郎は深々と礼をする。


「これはこれは、礼儀正しくて何よりです」


 返ってきたのは、流暢りゅうちょうな日本語だった。

 面食らう雄次郎にニヤリと笑いかけ、クロードは手を差し出す。

 慌てて握手に応じると、リーヴァイが要件を切り出した。


「医師として患者の個人情報を渡すことが不可能だとは承知している。……だが、吸血鬼に関しての情報があまりに足りないのも事実だ」

「まあな……協力関係でも情報は遮断するってのはセザールらしいやり方だが……」

「……どうにか、提供してはもらえないだろうか」


 ふむ、と考え込み、クロードは白衣を脱いだ。


「あんたらに必要なのは、に関してのネタだったか」


 しゅるりと手早くネクタイを緩め、シャツのボタンを上から3つほど外す。


「患者の情報は渡せねぇが……俺ので良かったら、提供してやるぜ」


 あらわになった胸板には、首の付け根から腹筋の上部にかけ、切り裂かれたような傷痕が走っている。


「……条件付きだけどな」


 赤く染まった瞳が、交渉に誘った。

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