第13話 再会

 世界の常識が覆された日のことを覚えている者は、なぜか少ない。

 いつの間にか、それこそ意識そのものに侵食するよう異変は進行し、定着した。

 今や12年に一度、必ず起こる異変に人々は「またか」と口にするほど順応しきっていた。

 多少の混乱はあったものの、人類は小説や映画の類で描かれるよりも、随分ずいぶんと呆気なく降って湧いた異変を受け入れた。……それは、彼らがこの事象を不気味に思わなかったわけでも、怪しまなかったわけでもなく……

「考えることを諦めた」という感覚が、近いのかもしれない。




 ***




 「蘇生」はそのシステム上、心臓を食した相手の自我が精神に残される。肉体は一つだが、二人がその中に生存、というよりは共存をすることになる以上、時折トラブルも発生する。

 と、いうことは、ロデリックの中に別人がいるように見えたのにも「蘇生」が関係している……?

 雄次郎があれこれ考えていると、車のエンジン音が思考を中断させた。


「所長が帰ってきた」


 リーヴァイがさっと立ち上がり、ドアの方へと向かう。

 途端、バンッとドアが勢いよく開き、リーヴァイは素早く後方に飛んで回避した。

 雄次郎がその卓越たくえつした運動神経に感心していると、サングラスとマスクを身に着けた小柄な女性が部屋に入ってくる。

 なんやこの人、怪しっ。……その感想は、胸にしまっておいた。


「諸君、ただいま帰ったよ!」


 踊るようなステップで部屋の中に入り、女性は明るい声で一同に語りかけた。


「早速だけど、いい人材を見つけてきたから紹介しよう。大上おおがみかさねクンだ」

「よろしくお願いいたしま……む? 雄次郎殿?」

「……は? かさね?」


 所長らしき女性が連れてきたのは、長い黒髪をポニーテールにし、時代錯誤な和服を身に着けた娘だった。

 雄次郎にとっては、馴染みのある……と、言うより、ありすぎる相手だ。


「貴様は……」


 リーヴァイが眉をひそめる。その姿を捉え、かさねがぱあっと表情を明るくした。


「おや、貴殿は先日の偉丈夫いじょうふではありませぬか。お久しぶりです。再び手合わせできる日を、楽しみにお待ちしておりました」


 深々と礼をし、かさねはいそいそと刀を取り出す。


「どうです? もしお暇があれば、これより一戦……」

「いやいやいや!! 普通にお仕事やろ!!! なぁリーヴァイさん!!!」

「業務はそろそろ終了するが」

「だったら尚更ですねぇ!!!ㅤお付き合いさせるん、めっちゃ申し訳ないです!!」


 雄次郎はかさねの言葉を大声で遮る。

 収拾がつかなくなりそうなのもあるが、かさねに長い間片思いしている雄次郎にとって、「強い殿方」の出現は脅威だった。

 かさねは常日頃より、「いつか、私を殺せるほど強い殿方と添い遂げたい」と語っている。そして、残念ながら雄次郎はその境地に未だ至っていない。

 雄次郎は、かさねから「好敵手」と呼ばれてはいるが、それは戦闘ではなく、料理や菓子作り、掃除や裁縫さいほう、ひいてはゲームなどの勝負で雄次郎がたびたび勝利をもぎ取っているからに他ならない。ひとたび戦闘になれば、余程の策を講じない限り、かさねの圧勝に終わる。

 ……とはいえ、かさねは雄次郎と同じく「大神」。どれほどリーヴァイが強くとも、人間である以上はかさねの求める強さには届かない……と、思いたいが、興味を持っている以上、危機であることに違いはない。


「あ、ああ……そうだな……」


 活き活きとしたかさねの様子、および雄次郎の圧に引きつつ、リーヴァイはぎこちなく頷く。

 かさねは「そうですか……」とわずかに落胆しつつも、こほんと咳ばらいをして襟を正した。


「大上かさねと申します。こちらの所長殿……花野紗和はなのさわ殿が叔父上と旧知の仲でしたゆえ、その縁で参りました。以後、お見知りおきを」


 凛とした仕草で、かさねは礼をする。


「趣味は鍛錬、好物は手合わせにございます。腕に覚えのある方がいましたら、ぜひ」


 かさねはあくまでたおやかに、穏やかな笑みさえ浮かべて語る。


「ちなみにかさねクンは日本出身の人狼だから、うかつに戦ったら怪我をするんじゃないかな!」

「いや人間は死にますよ。俺なんか、ちっこい頃からボコボコにされてますし」

「雄次郎殿、私は滅多めったに殺めはしませぬ。私が好きなのは『殺し』ではなく、『殺し合い』ですゆえ」


 雄次郎のツッコミに、かさねはすました顔で反論する。


「……滅多に?」


 美和の指摘には、かさねは気まずそうに目を逸らした。


「まあ……必要に応じて、致し方ない場合もございます」


 かさねは実家の方では、凄腕すごうでの暗殺者として扱われている。

 それを言うべきか否か、雄次郎はしばし悩み……今は、黙っておくことにした。




 ***




「……そう。幼馴染なのね」


 かさねと雄次郎が挨拶を終えた後、ノエルが低い声で呟く。

 赤い縁の眼鏡の奥から、グレーの瞳が妖しげに輝く。


 そういえばこの人、俺に一目惚れしたって……

 そう思い至った雄次郎の頬に、冷や汗が垂れる。

 相手はかさねだ。ノエルが嫉妬心にかられて何かよからぬことを企んだ場合……死体になるのがどちらかなど、分かりきっている。


「の、ノエルさん!︎︎ あんま喧嘩売らん方がええですよ!」

「……はぁ?ㅤ私、喧嘩は醜いから嫌いよ」


 舌打ちしつつ、ノエルはかさねをまじまじと見つめる。

 かさねはきょとん首を傾げつつ、自分よりもはるかに背の高いノエルを見上げた。


「…………ふぅん」


 それだけ告げて、ノエルはスタスタと歩み去っていった。


「……?ㅤどうなされたのでしょう」

「さぁ……」


 かさねの問いに、雄次郎は肩を竦める。

 ノエルに関しては、あまりにも分からないことだらけだった。業務は既に終了しているし、帰りの準備をしに行ったのかもしれないが……何とも、思考が読みにくい。


「……ロデリック。ロナルド・アンダーソンの動向に気をつけろ」


 ……と、部屋の隅で、レヴィとロデリックが話し合っているのが聞こえる。

 聞き耳を立てるつもりはなかったが、「意識した」時点で、鋭敏えいびんな聴覚は彼らの言葉を拾い上げてしまった。


「さすがに……命の危険を侵してまでちょっかいはかけねぇだろ。……たぶん……」

「いや、分からん。その場合、『命の危険』が及ぶのは貴様だからな」

「……かもな」


 聞くのがはばかられると意識を逸らそうとするも、雄次郎は自身の感覚を上手く制御できない。


「あの少女の強さは確かなものだが……そう判断しようがしまいが、奴が欲望を優先しないとは限らない」

「別に、俺は死んだって構いやしねぇよ」


 リーヴァイの懸念に対し、ロデリックはあくまで淡白に語る。

 それでも雄次郎には、深い諦念ていねんと絶望に染まった声色に聞こえた。


「俺が死ぬことで、守れる奴らもいる」


 大神は……いや、大神に限らず、人間にとって脅威とされる「異形」はこの世界に少なからず存在する。

 そして人間は身を守るため、彼らの「排除」を正当化してきた。人間の家庭で育った雄次郎も、「俺が死ねば、家族は安全なんやろか」……と、思ったことが無いわけでもない。

 だからこそ、ロデリックの呟きが悲しかった。


「……かさね」

「はい?」

「俺で良かったら、やったるで。手合わせ」

「……おや。もしや、異邦いほうへの留学で、少しはお強くなられましたか?」


 雄次郎の提案に、琥珀こはくの目がきらりと光る。


「い、言うやんけ。……もちろんや!ㅤ今度こそ、勝つんは俺やさかいな!」


 挑発してみるものの、勝敗は既に分かりきっている。

 ……けれど、雄次郎の意図は勝負の結果にはない。


「では、表に出ましょうか。どれほど力をつけたか、楽しみにしておりますよ」


 くす、と笑いつつ、かさねはひらりと身をひるがえし、窓から外に出る。


「えっ、ドアから出ないの……!?」

「す、すんません……あいつ、戦いのことになるとアホになるんですわ……」


 驚く美和に小声で謝りつつ、雄次郎は普通にドアから外に出ていく。


「姉さん、いいの?」

「業務の関係上、戦闘能力の高さはボクも気になる。……それに、面白そうじゃないか!」


 背後から所長の明るい声が響く。


 階段を降りる脚が、小刻みに震える。かさねが常に鍛錬を欠かしていない以上、どれほど力をつけたか……考えるだけで恐ろしい。


 だが、それでいいのだ。暗殺を得意とする彼女は無闇に力量を誇らないし、その可憐な外見により「あえて」油断を誘うことも多い。

 けれど……今は、秘めた強さを見せつける必要がある。


 例えばノエル、例えばロデリックの意識に潜んだ「何者か」……曲者揃くせものぞろいの面子めんつ牽制けんせいすることが、かさね、ひいては周囲の安全を守ることに繋がる。

 しかし、だからと言って手を抜くわけには行かない。かさねの強さを見せつけるには、そもそも自分が弱くては意味が無い。


「雄次郎殿、念の為聞きますが……武器は、必要ですか?」

「いつもと同じや。爪と牙以外は、どうも邪魔くさくてしゃーない」

「承知しました。……では、いざ」

「おう。……行くで!」


 夕陽が、まるで舞台照明のように二人を赤く照らし出す。

 階上からの視線を感じながら、雄次郎は肘から先の腕のみ獣の姿に変化へんげさせた。

 かさねは静かに頷き、悠然と佇む。彼女は変化の力がさほど強くないため、ヒトと同じ姿を保ったままだ。


「今やッ!!!」


 刹那、張り詰めた空気に隙が生まれる。

 罠だと知りつつ、雄次郎はあえて跳躍ちょうやくする。

 わざと隙を見せ相手を誘い込み、居合にて一瞬で勝負をつける……かさねの常套手段じょうとうしゅだんだ。

 だからこそ、雄次郎は「かかったフリ」をし、太刀筋たちすじを読む。


 空間を切り裂くよう、刃がはしる。

 白刃に雄次郎の爪が絡み付き、ガチン、と金属音が響いた。

 よっしゃ、と思ったのも束の間。


「やりますね」


 雄次郎の鳩尾みぞおちに、鈍い衝撃が走る。

 目線を下に向けると、刀の鞘が胴体に食い込んでいた。


「がっ……」


 痛みをこらえ、雄次郎は爪を振るう。

 かさねは後ろに飛び退くが、人並外れた膂力りょりょくからの一撃が風圧を生み、わずかに着地がよろめく。


 雄次郎はその隙を見逃さず、地面を蹴って懐に飛び込んだ。


 琥珀の目が煌々こうこうと輝きを放ち、かさねの口角がニィと吊り上がる。

「あかん」……その思考が働くや否や、雄次郎の首は空中を舞っていた。

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Twilight Years ― 生者の狂騒 ― 譚月遊生季 @under_moon

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