第12話 挨拶

「合意……は……」

「ねぇロナルド、あれで終わりなの?」


 リーヴァイの質問に男が答える前に、背後からプラチナブロンドの女が現れ、誘うよう首に手を回す。


「あ、えっと、俺はロデリックなんですけど……えと、その、俺は妻一筋なんで……」


 女は、くすくすと笑いつつ「ざんねーん」と肩をすくめた。

 よく見れば、ロデリックと呼ばれた男の胸元には口紅の痕が散らばっている。


「…………俺に聞かれてもアレだけど……この様子だと、そうなんじゃねぇのかな……」


 泣きそうな声で、ロデリックは女性から距離を置く。


「安心していいですよ。私が見る限り、ロナルドと楽しそうに入ってきて楽しそうに遊んでいただけでしたし」


 黒髪の女性が、奥の方から淡々と答えを投げてくる。……年の頃は、雄次郎の母親くらいだろうか。少なくともアジア系に見える。


「…………紹介しよう。主に経理を担当しているミワ・ハナノと総務を担当しているロデリック・アンダーソンだ」

「すみませんここ労働環境大丈夫ですか」

「問題ない。職員たちが……まあ、その、少々癖が強いだけだ」


 少々、の定義が雄次郎とかなり離れている気がするが、確かに癖は強い。

 どうも、と雄次郎が頭を下げるとミワが同じように会釈し、ロデリックは狼狽えたように手を差し出した。


「ユウジロウ・マガミです。よろしくお願いします」

「ユウジロウくんか……。俺が寝不足なのは別件だけど、まあ、よろしくな」

「別件……?」


 差し出された手を握り、雄次郎は頭に疑問符を浮かべる。


「……そのうち分かるだろ」


 目を伏せ、ロデリックは呟くように言った。

 ミワの方はというと、チラと視線を向けたきり、再びパソコンに向かってなにやら打ち込み始める。


「所長はフランスの方に出張中だ。……良い人材を見つけたらしいから、帰って来たら揃って紹介しよう」

「わかりました」

「……あとは、俺の妹が吸血鬼の屋敷で向こうの例外イレギュラーについて調査業務を行っているが……まあ、そのうち帰ってくるだろう」


 リーヴァイの妹……クロードの話にも出ていた「リビー」という名の女性だろうか。


「……あれ? ロナルドさんって人もいるんですよね」

「ロナルド・アンダーソンは確かに職場に出入りしているが、ここの職員ではない」


 リーヴァイの説明の通りなら、職員でもない人間が外部の女性を連れ込んだことになるのだが……


「すみません、ここセキュリティ大丈夫ですか」

「…………ロデリック・アンダーソンの睡眠不足の理由になっている程度だ」

「ほんとに労働環境大丈夫なんですよねぇ!?」

「……事情があって話すことはできないが……労働環境の問題ではない」


 リーヴァイは腕を組み、冷静な口調で語る。

 ……ロデリックは一言「すみません」と呟き、目を伏せた。


「黙っててくれて……ありがとうございます」

「勘違いするな。俺は守秘義務を守っているだけだ」


 安堵したよう微笑むロデリックを見ていると、雄次郎とて、それ以上は何も追及できなくなる。

 はぁ、と気だるそうなため息が背後から聞こえる。灰色の瞳で雄次郎を睨めつけ、ノエルは低く呟いた。


「あんた、本当に馬鹿なのね」

「……はい?」

「1989年に、人類は皆それまでのホモ・サピエンスじゃなくなったわ。……だから、今のあんたもくだらないことを考えられてるの」


 心臓が跳ねた。

「お前は人間ではない。だから、人権もない」……そう、ノエルは言っている。


「おい」


 発せられたリーヴァイの声は冷たく、棘をまとっていた。


「その発言には同意できないな。ユウジロウが獣人であれ人狼であれ、なるべく公平に接するべきだ。……殺人鬼の貴様でも、ある程度の自由を得られているようにな」

「ええ、そうね。潔癖なあんたらしいわ。……だけどね、そんなのは理想論よ」


 眼鏡の奥、灰色の瞳がわずかに揺らいだ。

 潔癖、という言葉にリーヴァイは「貴様には言われたくないがな」と呟き、それでも言葉の続きを止めはしなかった。


「多くの人間を害する可能性……それを許容できるのは、神様か聖人くらい。誰だって傷つきたくないもの、当たり前よ」


 淡々とした声音で、ノエルは続ける。

 棘のある言葉が現実を突きつけてくる。


「……そして、そこのロデリックも同じ」


 親指で指し示され、薄茶の瞳が見開かれる。

 ロデリックは言い返しもせず「……そうだな」と頷いた。


「……つか、今日はいつもより喋ってんな。珍しい」

「何よ」

「いや、別に」


 嫌な予感が、雄次郎の言語野を活性化させる。

 他愛ない、伝える気のない会話ですら耳に届くほどに。


「……なるほど。新入りもなかなかに可愛い子だ」


 その声音は、先程挨拶した誰のものでもない。リーヴァイのものでも、ノエルのものでもない。……少なくとも、雄次郎にはそう聞こえる。

 強いて言うなれば……


「どんな風に鳴いてくれるのか……気になってしまうくらいにはね」


 仕事机に戻る間際、ロデリックの口からついて出たように思えた。

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