第7話 逢魔ヶ刻
まばらになっていた聴衆は一斉にどよめいた。
黄昏の陽を照り返した刃は長く、細く、それでいて鋭い。……サバイバルナイフの刃で一閃を受け止め、赤髪の男は呟いた。
「カタナ……か。堂々と持ち歩くとは、随分と大胆な小娘だな」
翠の視線が、小柄な少女を捉える。袴に羽織、そして日本刀……時代錯誤な出で立ちの少女は攻撃が受け止められるや否や、後ろに飛んで間合いを取った。
「時差……でしたか。不思議なものですね。実際に移動した時間を思えば、とうに夜を迎えているはず」
琥珀に煌めく瞳が、頭一つ以上は大きい相手を射抜く。
「……まことに、叔父上の直感はよく当たります」
抜き身の刃が陽光を照り返す。
琥珀が燦然と殺意をみなぎらせる。
「俺はあくまで事実を告げただけだ。……その男、人を喰うだろう」
男のナイフが、呼応するように光を反射する。冷淡な瞳が、粛然と警戒を強める。
「喰らうことで力を得るのならば、私も同様です。……けれど、それはヒトも似たような存在になったはず」
「……む。確かにそれはそうか……。とはいえ、制御が不安定に見えたのも事実だが……?」
翡翠と琥珀が睨み合う。殺気が絡み合い、呼吸の間隔が、筋肉の動きが、「衝突」の訪れを数え始める。
雄次郎は悟った。
割って入れば、命の保証はない。
「おや……おかしなことを言うのですね。ヒトとしての生を諦めていない雄次郎殿が、力を制御していない……などと、有り得ぬ話です」
少女は静かに語る。……彼女は、雄次郎よりもずっと「ヒトの鳴き声」を理解し、使いこなしている。
「……むしろ、不必要なほど抑制しているはず」
ちら、と、琥珀の瞳が雄次郎を映す。
……思わず、どきりと心臓が跳ねた。
同じく翡翠の瞳が雄次郎を映し、男は静かに頷いた。
「それで合点がいった。……抑圧と制御は違う。予測できない出来事に直面し、未熟さが表に出たのだろう」
「ならば、それほどの負荷を雄次郎殿にかけた者がいるのではありませぬか?」
「……何?」
「雄次郎殿は私の好敵手。多少のことでは理性を失いなどしませぬゆえ」
はっ、と、男の目が見開かれた。
翡翠の瞳がカミーユの方を向くと、相手はスケッチブックを取り出して何やら描いている。……おもむろに、男はそちらに歩みよった。
「カミーユさん」
「何?」
「なぜ、今、ノエル・フランセルでなくあなたがそこにいる?」
「………………ノエル、ごめん。僕が嘘とかすっごく苦手なのは知ってるよね。だから白状するけど許して、君を裏切るけどこれは不可抗力だから」
自分に語りかけるように「前置き」してから、カミーユは軽く深呼吸をした。
「そこの子に一目惚れしちゃって、ついつい殺したくなっちゃったんだって」
「こちらに非があったようだ。済まなかったな」
ああ、厄日だ。
即座に謝罪する姿勢をありがたく思いつつ、雄次郎はがくりと項垂れた。
「……にしても助かったわ。ありがとな、かさね」
「いいえ。……こちらに来れば、猛者と戦える予感もありましたので」
にこり、と、穏やかな笑みで少女……大上かさねは笑う。……彼女も、もう19歳になる。出会った頃よりもずいぶんと艶のある美人になった、と、取り留めのない感情が湧き上がる。
その笑みの意図がどうあれ、「笑顔を向けられた」ことだけでいくぶん慰みにはなる。かさねは、雄次郎にとってそういう存在だった。
「ところで、仕合はもう終わりですか?」
「こちらの誤解だと判明したからな」
「…………そうですか」
……もっとも、彼女のほうは本当に、「戦い目当て」で海を渡ったのだろうが。
「本当に済まなかった。……俺はリーヴァイ・アダムズ。非営利団体……あー……エンゲルス・フリューゲルの職員だ」
「わかる。ダサいよねその名称」
雄次郎には半分ほどしかわからなかったが、かさねに視線を投げると、小声で内容を伝えてくる。
「本当に申し訳ない、とのことです。彼は……えーと……えんげるす……ふりゅーげるの……りーばい……殿ですね。隣の方は団体名がお気に召さないようです」
……固有名詞の発音が苦手なのは相変わらずらしい。
エンゲルス・フリューゲル……つまり、天使の翼。なんでや、かっこええやん、と、言いかけたが飲み込んだ。
「ともかくだ。また、何かあれば連絡するといい。……どうにも、寄せ付けやすい印象を覚えるからな」
リーヴァイが胸元から手帳を取りだし、電話番号を書き留める。
さっきのんはそっちから来ましたやん? ……という言葉も飲み込んだ。
2人が立ち去る瞬間、カミーユが一度だけ振り返る。……その瞳は、蒼ではなく灰色だった。
「……そういや、かさねはどないすんねん。……もしかして、俺んとこ泊まるんか?」
「いえ? 叔父上の知り合いがフランスの方におりますゆえ、ついでにと用を頼まれていますが……何か」
「い、いや、予定あるなら別にええねん……」
ほんの少し抱いた期待は、サラリと放たれた言葉に打ち砕かれる。
『どんまい、雄次郎』と、こんな時にほど声をかけてくる親友を殴り飛ばしたくなった。
***
『雄次郎』
深夜、つなぎの声で目を覚ます。……そっちは朝やろけどなぁ……と、不満を漏らそうとして、
『今度は、死ぬなよ』
続く声の真剣さに、何も返すことができなかった。
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