「吸血鬼」

第8話 寄り道

 世の中には予想だにしないめぐり合わせというものがある。

 現在、雄次郎が直面しているのも、そういった類の事象だった。


 電話にて指定された住所をGoGoalマップで検索し、ナビゲートに従うと辿り着いたのは森の奥だった。怪訝けげんには思ったが、職員の顔ぶれを思い出すとそう不思議でもなくなってくる。

 さらに進んだ先に現れたのは、絵本に出てくるような古城だった。


「すみませーん」


 ノックしつつ、少し大きめに声を張り上げる。

 しばしの沈黙の後、がちゃり、と、重い音を立てて扉が開く。スーツ姿の中性的な青年が、きょとんと目を見開いて「なんの御用ですか?」と尋ねてきた。


「面接、受けに来ました。ユウジロウ・マガミです」


 背筋をぴんと伸ばし、以前よりも滑らかになった発音で告げる。……先日の対応を思うに不安だが、どうにか話が通っていることを信じて……



 ***



 くだんの殺人鬼との邂逅かいこうの後、雄次郎はドイツ語を理解するため猛勉強を重ね、更にはサボりがちだった「大神」の力を磨くための瞑想めいそうや鍛錬も行った。……とはいえ一週間ほど継続した後に、また緩やかにサボりがちになってはいたのだが。


 講義が聞き取れる、コミュニケーションがスムーズに行く……など、目に見えて効果が出てきた頃……問題は起こった。


 勉強のための教材費、更には鍛錬でエネルギーを消耗したことによる食材費、あとは気分転換にと毎週のように出かけたがためのドイツ観光費用……出費による財産の圧迫は、雄次郎の予想を軽々と超えていた。


 端的たんてきに言えば、金欠になった。


 雄次郎が12歳まで育った家、上田家は由緒正しき旧家の分家中の分家とはいえ、もはや一般庶民。両親は商店街で手製の惣菜や弁当を売り、生計を立てていた。……だからこそ、金銭の大切さは、身に沁みてわかっているつもりだった。ついでに言えば、なくなる時は一瞬でなくなるという儚さも。


 雄次郎は己の不甲斐なさを憂いながら、はたと「仕事の勧誘」を受けたことに思い至る。……数分迷った後、雄次郎の指はスマートフォンの画面に向かい、渡された番号をタップしていた。



 ***



「……面接?」


 青年はドアを半開きにしたまま、緑がかった青の瞳をまたたかせ、しばし考え込んだ。


「ヴァンパイアには見えませんけど……」

「……ここ、エンゲルス・フリューゲルさんの本部ですよね?」

「あー……GPSは狂うようになっていますから……」


 相手は苦笑しつつ、サラリととんでもない情報を告げた。……吸血鬼ヴァンパイアと聞いたが、まさか、隠れ家かなにかだろうか……?


「案内しましょうか? エンゲルス・フリューゲルなら、多少縁がありますし」

「えっ、いいんですか」

「ええ。他人に親切にするのは、当たり前のことでしょう?」


 青年がにこりと笑えば、目尻の泣きぼくろがつられて下がる。「裏」のようなものは感じ取れない。……が、申し出を素直に受け取れるほど、雄次郎はお人好しでもなかった。

 こういう裏表のなさそうな態度ほど、何が隠されているのか分かりはしない。


「俺の血が欲しいんなら、早めに言うてくださいね」


 少し腰を屈め、相手の目を見る。よりハッキリと「伝わる」よう、語学力とともに磨いた「力」を解き放つ。

 ……すると、相手はニコニコと笑ったまま、


「確かに美味しそうだけど、別に拾い食いするほど飢えてないからなスットコドッコイ」


 と、小さくぼやいた。……おそらく、ドイツ語ではない言語で。


「迷ったくせに素直に助けも呼べないのか? ここらで野垂れ死にされちゃヴァンパイア界隈の品性が疑われるだろ」


 雄次郎が認識していると知ってか知らずか、笑顔のまま毒は紡がれ続ける。


「……そういうことを初対面で言うのは、ヴァンパイア界隈では失礼に当たります。私だからまだいいものの、ロベール様なら露骨に機嫌を損ねますよ?」


 ……と、思えば、おそらくドイツ語に戻ったのだろう。そのセリフは少なくとも独り言ではなく、雄次郎に宛てられていた。


 いや、あんたも露骨に機嫌損ねてますやん……と言いかけたが、例えば初対面で「私の肉を食べたいならそう言えば?」と言われれば、雄次郎とて気分は良くないだろう。そう考えれば、激怒しても仕方はないと理解できる。

 わざわざ聞こえないように言い直しただけ、優しい対応と言えるのかもしれない。……聞こえてしまったが。


「は、はい。今後気を付けます」

「ええ、どうか気を付けてください。……お嬢様、私は少し出かけてきます。すぐ戻りますので、ヴィクトル様によろしくお伝えください」


 青年が背後に向けて声をかけると、はーい、と少女の声が聞こえ、次にパタパタと廊下を走る音がこちらに向かってくる。


「ロランくん!ㅤもう日が高いんだし、無理しないで。私が行くから」


 長い栗毛……青年と似た色の髪を一纏めにした女性が廊下の奥から現れ、青年に声をかける。……得体の知れない恐怖が、ぞわりと雄次郎の背筋を撫でた。

 ロランと呼ばれた青年は、困ったように雄次郎と女性を見比べる。


「……シャルロット様のブーケでは、彼が怯えてしまいませんか?」

「あ、そ、そっか……」


 ブーケ。……花束、という意味だろうか。

 ベージュのワンピースに、編み込み模様のカーディガン。可憐な外見に反し、女性……シャルロットのそばに居るだけで、雄次郎はすくみ上がるような思いになってしまう。……怖い、と、そう表現するのが妥当だろう。


「え、えっと、ヴァンパイアにはそれぞれ能力があって……わたしたちは匂いブーケって呼ぶんだけど……わたしが怖く感じるならそのせいだから……その……あんまり、怖がらないでね……?」


 おずおずと紡がれる言葉は、日本語だった。申し訳なさそうに、茶色の瞳が雄次郎を見上げる。……わざわざ母国語で、こうもしおらしく言われてしまえば、頷くほかなかった。

 まだ心配そうなロランに送り出され、雄次郎とシャルロットは森を歩き出す。


「ゆうじろう……くんだっけ?ㅤいい匂いだね。シャンプーの匂いかな」

「……いや……それ、食欲的な方とちゃいますか……?」

「えっ、ご、ごめんね!」


 顔を赤くして、それきりシャルロットは黙り込んだ。親戚の医者から聞いたが、「大神」は血液の栄養価が高いらしい。……それをあえて口にできるほど、雄次郎は気が強くなかった。

 やがて、2人は現代建築のホテルやレストランが立ち並ぶ路地へと辿り着く。


「GPSはあまり宛にならないから、今度から気をつけてね」


 困ったように笑い、シャルロットはひとつの建物を指でさす。……丸みを帯びた屋根やキューブを連ねたような建物のあいだにある、シンプルなビルだった。酒場らしき店の上階に、「Engelsエンゲルス・flügelフリューゲル」と看板が掲げられている。


「ドイツ用のドアからお客様が来るなんて久しぶりで、ドキドキしちゃった」

「……へ?」


 意味ありげな言葉に振り返ると、シャルロットの姿は既に消えていた。

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