第2話 訂正→新暦5年春

 生まれた時から雄次郎は「そう」だった。

 母は「お腹ん中であんたが死にかけたから、お稲荷さんに御百度参りして頼み込んだんや。しゃーないな」と言ったが、狐でなく狼なのでとんだ筋違いだ。養子に行った先で話し、「……稲荷大明神ですか? 話に聞いたことはありますが……わが氏族とは縁もゆかりもない神だったかと」とすっぱり否定された。あの時ほど、雄次郎が母の適当さを恨んだことはない。


 ……と、取り留めの無いことを思い返しつつ、雄次郎は怯える女に立ちはだかった。


「ば、化け物……!?」


 ワイシャツを脱ぐのが面倒だったので全身は変化させていないが、それでも「獣人」と読んで差支えのない姿だ。

 雄次郎には相手が何を言っているのかわからないが、だいたい何を言われているのか察することはできる。


「……そんな怪しいモン引きずってる人に言われてもやな……」


 ちら、と、女が手にした麻袋に視線をやる。……蠢く「それ」は、明らかに生き物だ。

 ……いや、「生きている」とは限らない。


「まあ……12時間経つまで「死体」にならへんし、そら処理にも困りはるやろけど」

「……ッ、お、お、お前、まさか警察に言うつもりなの!?」


 姿は獣だが、少なくともこの場では雄次郎がもっとも理性的だった。

 上ずった女の声が、「ヒトの鳴き声」として脳内で言語化される。親友とその姉ならば日常会話でも理解するだろうが、雄次郎には限定的な場面、または断片的な単語でしか認識できない。……が、少なくとも一般的なホモ・サピエンスよりは言語の理解能力に長けているとも言える。


「当たり前やろ。このパターンは自首した方がええやつでっせ」


 隙を見て袋を奪い取ろうと、チャンスを伺う。

 呼吸を整え、相手の恐怖がより高まるよう、ぎらりと牙を覗かせる。……やがて、女の手から麻袋の紐がすり抜けた。


「……よっしゃ」


 機を見逃さず袋の口を鷲掴み、すかさず人間の姿に戻る。……まだ油断はできないが、こういう場合は疑われた方が不味い。


「こ、こ、殺す気はなかったの……ほ、本当よ……許して……」

「そんなん言われたかて、許す許さんはお巡りさんの仕事やし……運良く「提供者」が見つかったら罪も軽なるやろし、その方がええんとちゃいます?」


 モゾモゾと蠢く麻袋の口を緩めれば、怯え切った視線がこちらに向く。頭から血が流れているが、大きく損壊した様子はない。

 ……ただ、首の折れ曲がり方を見る以上、「死者」であることは間違いないだろう。


 ぐう、と、腹が鳴る。……生唾を飲み込み、雄次郎はそっと麻袋の口を閉ざした。




 ***




 女はあっさりと罪を認め、被害者は病院へと搬送された。……数時間以内に心臓の提供を受ければ「蘇生者」となることは充分に可能だろう。

「死者」がすぐに「死体」にならない以上、こういうことは頻繁に起こり得る。罪を隠すのに今まで以上の労力が必要となったことに関しては賞賛の声も上がっており、少なくとも警察官や司法関係者にとっては素晴らしい変革だった。


「ご協力ありがとうございます。あ、ここに日付とサインだけお願いできますか」


 小柄な体躯の警察官に促され、2021/4/21と記入する。事務的なやり取りの言葉は、留学手続きの際に嫌でも聞き慣れた。


「あ、今は新暦5年ですね。N5って書いてください」

「……あ」


 ……そして、この失敗ももう何度目かわからない。

 神は既に最後の審判を終え、見捨てられた民達もお零れのような恩恵を受けることができているのだ……というのが、ローマでの判断らしい。

 国連は諸々の事情を考慮し、西暦も刷新して全世界統一の新暦を提唱した。あらゆる宗教の根底を揺るがす事態が頻発した以上、懸命な判断とも言える。


「……失礼」


 ……と、突然部屋に入って来たのは銀髪の警官だった。サングラスの奥から、琥珀色アンバーの瞳が覗いている。


「ん? もう要件は終わったぞアドルフ」


 金髪の警官は何事か話しかけているが、雄次郎には内容が聞き取れない。


「……ケース、リーヴァイが「視えた」つっててな」


 ボソリと呟き、男は雄次郎の肩に手を置いた。……ぞわりと背中の毛が逆立つ。

 探るような琥珀の瞳が、ある少女を思い起こさせる。


「アンタ、死んだことはあるか?」


「死んだ」という単語のみを、雄次郎の耳は拾い上げた。


 焼けるような喉の痛みを思い出す。

 気道も食道も腫れ上がり、その毒は確実に肉体を蝕んでいった。


 ──良いですか、雄次郎殿。こういう時は首を落とすのです。


 ぐらぐらと視界が揺れる。


 ──我ら「大神オオカミ」は、その程度では死にませぬ。


 ぐらぐら、ぐらぐらと、目眩がする。

 刀の一閃が喉元を斬り裂き、視界が宙を舞う。ごろごろと視線が畳を転がる。


『雄次郎ー? どうした? 何かあったか?』


 その日から、親友とは脳内で通信ができるようになった。……喰ったのは心臓ではなく腕の一部らしいが、「蘇生者」と「提供者」も同一肉体に魂が共存するため、会話が可能だと伝え聞いてはいる。

 ……「視えた」とするなら、その繋がりか何かだろうか?


「許可なく蘇生を行うのは条例違反……らしい。あー……そこら辺は管轄が違うから、ちょっと場所を移し……。……どうしました?」


 青ざめた雄次郎の顔を、銀髪の警官が覗き込む。


「……よ、酔いました……」


 うかつに毒を飲んで死にかけたのは雄次郎だが、何も刀で切断することはなかったのではないか……と、顔馴染みの呪術師も呆れていた。

 だが、その手荒い処置で命が助かったのもまた事実。猛毒が全身に回れば手遅れだっただろう。……ごろごろと床に首だけで転がったのは、あまりにも刺激的すぎる経験だったが。


『……雄次郎、たぶんその状態やばい。


 忠告も虚しく、ごとんと鈍い音を立て、雄次郎の頭が机の上に落下した。

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