第4話 誘う影

「あー……これは見事に事故ったね……」


 蒼い瞳が見つめる惨状から、雄次郎も目を離せずにいた。

 壁に激突した自動車の周りには、黒い霧のような「何か」がまとわりついている。……人の声を成さない阿鼻叫喚が雄次郎の耳を突き刺し、訴えかける。殺せ、殺せ、コイツを殺して同じ目に遭わせろ……と。


 2001年以降、稀にある現象だ。

 虚空に開いた亀裂を這い出てきた「何か」が黒い霧状の物体となり、事故や事件を招く。「何か」の正体は霊界から訪れる死者の意思だとされ、今もなお研究が進められている。


「……これ、変に近づいたら邪魔になるよね」


 隣で、掠れ気味のテナーボイスが小さく告げる。

 雄次郎の目から見ても、救助の手が足りているのは明らかだった。

 ……蠢く黒い霧が、生の根源から恐怖を逆撫でする。ゾワゾワと全身の毛が逆だっていくが、どうにか人の形を保った。


「あの……蘇生術? の管轄がお兄さん達ってことでええんですか?」

「えっ、君フランス語喋れるなら言ってよ」

「……あっ、今はたまたま通じてるだけなんで……」

「そんな携帯電話の電波みたいに……」


 蒼い瞳が雄次郎の方を向く。肩を竦めつつ、青年は先程の問いに答えた。


「まあ……条例も運用され始めたばかりだし、僕達例外イレギュラーの手が必要ってことなんだろうね」

「……へぇ……」


 亜麻色の髪が、春の風にそよぐ。……そこで雄次郎は初めて、根元が黒いことに気が付いた。


「僕はカミーユ=ジャック・バルビエ。君は?」

「眞上雄次郎です」

「ユージローくんね。……これからよろしく」


 よろしく、という言葉が背筋をなぞる。……得体の知れない感覚に、二の句が告げない。

 彼はなぜ、「これから」と口にしたのだろう。


 視界の端で、先程の赤髪が揺れる。ちらと翠の眼がこちらを見たが、すぐに男は事故現場の方へと姿を消した。


「……蘇生者は大抵傷も治癒するはずだからね。落ちたまま、なんてことは有り得ないのさ」

「……じゃあ、元から誤解してたわけじゃなく……」

「そうそう。勧誘しに来たってこと」


 誘う声を、理性が拒絶する。これ以上、面倒事に巻き込まれたくはない。

 ……だが、拒否すれば拒否するほど、張り詰めた緊張がカミーユの言葉を拾い上げていく。


「首が不安定なままは不便でしょ。治す方法とか、見つけたくないの?」

「……そんなことのために、よう分からんとこに出入りしようとは思いませんわ」

「えー、『そんなこと』って言っちゃうんだ? ……まあ、無理にとは言わないけどさ」


 苦笑するカミーユの声が、聞き取れない異国の言語に変わっていく。……と、同時に雄次郎の肩の力が抜け、どっと疲労が押し寄せてくる。

 それに気付いてか気付かずか、相手は静かに呟いた。


「今のところはね」

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