「異常者」

第5話 迫る夜

 リヒターヴァルトは森林に囲まれた自然豊かな街だ。郊外では畜産も盛んで、名物のヴァイスヴルストソーセージはハーブの風味と肉汁が舌の上でよく絡み、一本食べれば二本、三本とフォークが進んでしまうと評判にもなっている。

 雄次郎が気晴らしに入った店では既にヴァイスヴルストの販売は終わっていたが、ポピュラーなボックヴルストスモークソーセージも、特製の粒マスタードが肉の味を引き立てる絶品だった。

 どうにか、滅入った気分も晴れてくる。


「そんでな、カミーユ……ナントカってやつに絡まれてんけど」

『名前からして美少女っぽいな』

「男や阿呆あほう。……そいつなぁ、犬上んとこと関係あるらしいねん」

『そうか……美少年の方か……いいな……』

「話聞けや!」


 どれほど形が変わろうと、多くの者にとって「死」は快いものではない。……それは、雄次郎とて同じことだった。

 ビールを胃に流し込み、気を紛らわせる。……やがて、日が傾き出した。相場はまだわからないが多めにチップを払い、つなぎと脳内でやいのやいの騒いだまま店を出る。


『そういや雄次郎、お前のいるところリヒターヴァルトであってたよな』


 ……と、会話の流れが変わった。


「せやな」

『姉さんが向かったぞ』

「へっ?」


 雄次郎は思わず現実でも声を上げ、道行く人の視線を集めてしまう。


『うちの叔父さん、変に直感が鋭いとこあるだろ? ……それで、雄次郎が危ないから助けに行けって言ったって。姉さんに』


 これが電子機器を介しての通話だったなら、危うく手から滑り落としていたかもしれない。


「いやいやいやいや色々と衝撃的すぎやろ! なんで今まで黙っとってん!?」

『参ってる時に言うことじゃないからな。……それに、そういうのって「気を付けろ」……って言ったら大抵フラグだし……。だから、その、なんだ。気軽に聞き流せ!』

「なんやねんその斜め方向からの雑な無茶振り……!」


 つなぎの叔父、太郎右近たろうのうこんの直感はよく当たる。……昨年、会合で雄次郎の毒殺未遂が起こった時も、いち早く「吐き出せ」と声を上げたのは彼だった。

 厄日か。

 頭を抑え、俯く。……さすがに通行人にぶつかりそうなので、歩くのは再開した。


「……ん?」


 立ち塞がるようにして現れたのは、眼鏡の男だった。

 グレーの瞳がじろりと睨めつけているのが、雄次郎にもわかる。

 男はスタスタと歩み寄り、流れるような動作で春物のコートに左手を入れ、


 銃を取り出した。


「……はい?」


 殺気などはなかった。男はただただ自然な動作で雄次郎に銃を突きつけ、引き金を引いた。


「……っ、とぉ!?」


 咄嗟に爪で鉛玉を弾く。異形化した腕から伝わる振動が、脳のスイッチを切り替える。


「あら、反応いいじゃない」


 男はしれっと語る。そこには殺意どころか、悪意すらも感じられない。


「お、お兄さん……? 何ですのん、殺気もなしに……」

「はぁ? あんた、虫を殺すのにわざわざ殺気出すの?」

「……俺は出しますけどぉ!?」


 女性的な口調にも驚いたが、そういえばつなぎも男性のように喋るなと思い直した。

 それよりも、だ。往来で堂々と殺しに来る……その精神状態が雄次郎にはわからない。


「さっきので見つかっちゃったわね。……ちょっとあんた、騒ぎになる前にとっとと死になさいよ」


 何を言われているのか、理解できているのに理解不能。……意思の疎通が可能だとは、とても思えない。


「……ッ、な、なんで……」


 それでも、雄次郎は問うた。

 辺りのざわめきが耳に痛い。……腕に注がれる視線も痛い。


「汚いからよ」

「は?」

「あんた、いい男じゃないの。顔もいいし、日本人にしては体格も良くて申し分ないわ。……でも、人間なのよ。ああ、正確には人間じゃないわね。まあ、そこは関係ないわ。人間みたいな菌や体液やら持ってるなら立派な汚物よ」

「は、はぁ……?」

「だから死んで欲しいのよ。そしたら、まだ綺麗にできるもの」


 こらあかん。

 それだけの感想が雄次郎の脳裏に浮かんだ。

 確かに、雄次郎は日本人にしては背が高い。180センチはゆうに越しているし、目の前の男よりも多少は高いだろう。……そういえば昼間の青年も男と同じくらいの背格好だったな、と、取り留めのないことも思い出す。


「えっと……つまり通り魔さんです……?」

「一目惚れって言って欲しいわね。数時間どうにか落ち着こうとしたんだけど……獣人って人権がないんですってね。それを聞いたら耐えられなくなっちゃって」

「そんなことで!?」

「『そんなこと』って何よ。あんただって、綺麗な部屋に虫が湧いたら殺すでしょ?」


 あまりにも堂々とした振る舞いは、「異常事態」を感じさせない。次第に、集った大衆から「映画の撮影か」などと声が上がり出す。……これでは撃たれようが刺されようが、助けすらも期待できない。


「……あ、あの……もうちょい慎重に考えてみたらどないですかね……!?」

「殺していい相手に死んで欲しい条件が揃ってるのに、何を考えろって言うのよ」

「血も涙もないんかあんたは!?」


 男の銃口は変わらず雄次郎の方に向けられている。この相手のことだ。指の震えひとつなく、予備動作すらなく新たな弾丸を撃ち込んでくることは想像に難くない。

 通常の弾丸は、雄次郎達大神にとって大した殺傷力ではないが、それでも撃たれたいとは思わない。絶対に、確実に痛い。死ななかろうが純粋に嫌だ。


「……待った」


 その声は雄次郎のものではなかった。

 ……対峙した男の喉から発せられたものだ。


「落ち着いて。落ち着いてよノエル。いくらなんでもそれは不味いよ」


 気付けば、男の「右腕」が、銃を持った左腕をがっちり掴んでいる。

 ……男の黒髪が春風にそよぎ、亜麻色に変わっていく。グレーの瞳は、見覚えのある蒼に色合いを変えた。


「……取り憑いた側の分際で、偉そうね、カミーユ。私の趣味に口出しするなんて。……あのさ、親友が殺人事件起こしそうになったら止めるのが当たり前だよね? ノエル、サクッと人を殺しに行くからホントにびっくりするよ」


 自分で自分を落ち着かせようと、青年は言葉を紡ぐ。

 その、美麗に整った風貌には見覚えがあった。


「……あー……僕の友達がごめんね。まあ……この身体は彼女のだから、むしろ僕が悪霊扱いされても仕方ないはずなんだけど……」


 雄次郎の理解を軽々と飛び越えていく事態の連続に、思考は音を上げた。


 もうどうにでもなれ。


 ヤケを起こしそうになりながら、雄次郎は、太郎右近の直感に改めて敬意を払った。

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