意趣返し

 満天の星空の下、二人はただ並んで座っていた。

 人工の灯は殆ど見えず、夜空に浮かぶ星々だけが私たちの顔をうっすらと照らす。ロマンティックとも言えるその状況で、私は何度目か分からない溜息を堪えた。


 男女十人程度のグループでの天体観測。ちょうど交互に休憩を兼ねた荷物番を任されていた私と彼女は、生憎と初対面だった。この時私が何を考えていたかと言えば、もう嫌だとか逃げ出したいだとかそんなことばっかりだったと思う。

 私は人見知りだった。そして彼女は美人だった。

 その大きくて形の整った目が上を見上げるでもなく、ただひたすらに前を睨むように動かないものだから、私にはその光景が芸術作品のように思えて話しかけることができなかったのだ。


 そうして沈黙が続くこと十数分。私は気まずさに支配されていた。彼女は相変わらず動くことなく前を見続けている。先程からあれやこれや言い訳を書き連ねているようで、結局自分に勇気がないだけなのだ。だが、これが物語ならばここらで何か起こさなければ面白くないだろう。そんな素っ頓狂なことを考えながら心を決めた私の口から飛び出したのは、


「……あ、えーと、趣味とかある?」


 という、あまりに無難、なんの面白みもない、使い古された質問だった。

 彼女はぐるんと人形の首が回るかのようにこちらに顔を向け、その大きな目で私をじっと見つめて「写真」と答えた。その目力に圧倒された私は、口元の片方を痙攣らせつつ「写真かぁー……」とこれまたつまらない反応を返す。草むらの遠くで虫が綺麗な音で鳴き、投げ出された私の脚には蚊が吸い付いた。


「どんなものを撮ってるの?風景?人物?」

「人物」

「へぇ〜……」


 負けるな私。そう鼓舞した心に彼女の容赦ない攻撃が突き刺さるようだ。皮肉な程爽やかな夜風が私たちの頰を撫でて通り過ぎていく。

 彼女の大きく真っ直ぐな目に射抜かれて、私はノックアウト寸前だった。それでもしつこく追撃のような質問を続けたのは、彼女に対する興味なのか、よくわからない対抗心の為か、それとも無意識のうちに星空の下という非日常に興奮していた為か。


「写真に興味をもったきっかけとかってあるの?」


 すると彼女は、今まで私をじっと見つめていた視線を外し、ぼんやりと斜め上に向けると


「……私は人と話すのが苦手なんだけど」


 とぽつり、呟いた。

 その小さな呟きに、私は内心で納得しながら先を促す。


「直接だと人と上手く話せないけど、カメラのレンズを介すとそれだけで人と会話しているように感じるの」


 彼女は決してこちらを見ようとはしなかった。その時の、彼女の射抜くような目とは打って変わった曖昧に揺れる目が何故か印象に残った。それと同時に、先程まで適当に回っていた私の口がピタリと止まる。


 音が無くなると、草のにおいがやけに強く感じられた。空気中の水分で少し濡れた葉がジャージで覆いきれなかった足首を擽る。そこに鋭い痒みを感じて、知らない間にまた蚊に刺されていたことを悟った。

 私は然程速く動いているわけでもない心臓を落ち着かせるように冷たい空気を吸い込んで、口を開いた。


「面白いね」


 それは、自分の口から出たとは一瞬気がつかない程にとても静かな呟きだった。彼女が再びこちらを見たのを感じた。私は彼女に視線をやることなく、空を眺めながら


「ちなみに、私は物語を考えるのが好き。私も、人見知りで人と上手く話せないから」


 と独り言のように言葉を落とした。彼女は何故か顔を歪めると謝罪を零した。


「……ごめん」

「えっ?あ、いや、そういうことじゃなくて」


 勝手な一人語りを変に曲解したらしい。私の慌てふためいた訂正を聞いてふっと口元を緩めた彼女は、いつの間にかバッグから出していたらしいカメラを片手に立ち上がった。そのままサクサクと草を踏みしめながら荷物置き場を離れて写真を撮り始める彼女を見て、私は溜めに溜め込んだ息を吐き出した。

 安心すると眠気がやってくる。私は大きく欠伸をすると、膝を抱えて座り直し、夜空を見上げた。


 澄んだ紺色の空は相変わらず無数の星を輝かせている。どれくらいそうしていただろうか、ふと目の端で光が弾けるのを捉えた。

 徐に光の方向に目線を向けると、彼女が私のいる方にカメラを向けているのが見える。私は顔の向きはそのままに、彼女に気付かれないように目線だけ外した。

 なんとなく、彼女が私を撮るのをやめてしまうのが勿体ないと思った。あれからお互い一言も言葉を発していないが、先程のような気まずさは感じられなかった。それだけでなく、もう間もなく荷物番の交代が来るだろうことを残念に思っていた。


 もう一度、彼女をちらりと盗み見る。彼女は構えていたカメラを下ろし、撮った写真を確認すると僅かに満足そうな笑みを浮かべて私に背を向け、再びカメラを構えた。


 その瞬間、私は明確に悔しいと感じた。口の端が歪に持ち上がる。しかし、その感情をその場ではどうすることもできず、私の耳は複数人の足音を捉えていた。

 満天の星空の下、久方ぶりに明るい声が響き渡った。


 そう、この物語は私の彼女に対する意趣返しだ。

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超短編集 みり @dkhgb_jmiri

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