近所の犬


 それはほんの気まぐれだった。


 模試の関係で授業が早く終わった。

 まだ午後三時半。いつも部活だとか、委員会だとかで夜八時近くにならないと家に帰れない私は、久々に一緒に住んでいる祖母とおやつを食べられる、と少しご機嫌だった。少し浮かれていた私は、ふといつもの通らない道を通って帰ろうと思い立ち、いつも真っ直ぐ行く道を右に曲がった。


 思えば、高校に上がってからはこっちの道には殆ど来ていない。家から数分の道でも少し見ないだけで変に懐かしく思えるんだなぁなどと暢気にスクールバッグを振り回しながら歩く。

 そのままぶらぶらとしていた私は少しの違和感を覚えて、ある家の前で歩みを止めた。


 そういえば、犬の姿が無い。

 この家は獰猛な大型犬を外の犬小屋で飼っていて、家の前でちょっと立ち止まるだとか、目が合うだとか、そんなことで全力で吠えてくる犬がいる。 小学生の頃この道が通学路だった私は、毎日大袈裟な程ビクビクしながらこの家の前を通っていた。 汚い毛布と新聞紙が敷かれた小屋の中で寝そべりながらこちらを睨んでくる様子は文字通り番犬のようだった、と思い出す。


 散歩だろうか。 妙に気になってしまった私は、人通りが少ないのをいいことに、非常識にも近づいて門の奥を覗き込む。

 昔と変わらない場所に置かれた犬小屋。その中に目をやると、空っぽだった。

 汚い毛布も、いつのだか分からない新聞紙も、予備の首輪も、リードを掛けておく杭も、水や餌入れの皿も、何もかも、綺麗さっぱり無くなっていた。


 死んだんだ。


 あまりに単純で明快な結論。

 何の感情も湧かなかった。 それも当然だ。親しい知り合いでもない飼い主に飼われている、いつも遠目で眺めてた犬が死んだ、ただそれだけのこと。しかし、私は何故か周りの気温がスッと下がったような、そんな寒気を感じた。


 私は一つ気の抜けたくしゃみをすると徐に門から離れ、そのまま少し足早に家に向かった。

 玄関を開けながら、少し声を張って「ただいま」と声をかけると、それを聞いて奥から出てきた祖母は、いつも通りの几帳面そうな顔で


「お煎餅あるから、荷物置いて手を洗っていらっしゃい」


 とだけ言った。

 私は扉を開けた姿勢のまま、祖母の顔を見つめると、無意識のうちに詰めていた息を大きく吐き出した。


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