ひたひたと迫ってくるもの


 父の葬儀のために帰省したその時、母は病院のベッドの上にいた。少し前の定期検査で入院が決まったそうだ。

  

 父の死亡診断を待っている間、姉と共にお見舞いに行った。小高い山の中腹にある病院だった。昔から知っている由緒正しい病院で、外観と造りは歴史を感じさせる。

 

 受付を終えて、病室へと向かった。3階の木の扉で仕切られた個室が母の病室だという。通常は数人の合部屋で看てもらうそうなのだが、たまたま空いていたので、そこで療養させてもらっているらしい。


 看護師さんがノックして「○○さーん、入りますよー」と言ってドアを開く。姉が先に入り、声をかけた。


「お母さん、来たよ。今日はもう一人来てるんだ。誰だと思う?」


 ドアの前のジャバラのついたてから顔を出した。山側に窓のある綺麗な病室だった。その窓を背にして右奥のベッドの上で母が寝ていた。


 母は僕を見ると、か細く、でも嬉しそうな声を上げた。

「あぁーー、○○君! なんで? どうしたの?」

 母は突然のことに驚き、喜びながら片手を差し出した。


「久しぶり。帰ってきたよ」

 寝たまま片手を上げる母の手をとる。


「渡航前に役所関係の手続きをするため戻ってきたんだ」

 父の顔を思い出しながら、そう、嘘を吐いた。


 そして、他愛のない話をする。


 渡航の準備は順調であること。

 渡航手続きのために帰って来たこと。

 友達の兄が渡航先に住んでいること。

 これから友達とご飯に行くこと。

 錦織君がまた勝ったということ。

 父の体調が良ければ、また会いに行くこと。

 母と一緒に漬けた梅酒がまだあるということ。


 ほんとと嘘を交互に織り交ぜながら陽気に会話をした。


 久しぶりに会った母は更に痩せていた。身体を起こすのはしんどそうではあったが、嬉しそうに僕の話を聞いていた。


 話の途中で、母はこう言った。

「喉が渇いたでしょう。引き出しにお金が入ってるから売店で飲み物を買ってきなさい」


 ありがたく500円を取って、飲み物とおやつを買いに1階の売店へ向かった。


 そして、思い出す。

 ――1年前の術後に見舞いに来たときは、一緒に売店で飲み物とお菓子を買って横のカフェテリアで食べたっけ。


『食べるなって言われてるんだけど、ちょっとだけならいいよね』

 そう言って、アイスを食べる母の姿が浮かんだ。


 今はもうゼリーもほとんど食べられないという。母と一緒にテーブルを囲むことはもう無いのだろう。


 なんだか、とても寂しかった。思えば、帰省する度に母は少しずつ変わっていった。


 日中に寝ていることが多くなった。

 ご飯を食べる量が少なくなった。

 少し痩せてきた。

 内臓が無くなっていた。

 家から遠くに行くことが難しくなった。

 氷を食べる様になった。

 家に帰られなくなった。


 ひたひたと死が迫ってきていることは分かっていた。

 でも、何も出来なかった。


 病室に戻り、しばらくは実家にいるから毎日見舞いにくることを伝えた。

「大変だから良いよ」

 と、母は断ったが、 

「山の上まで歩いてくるのは良い運動になるから」

 そんな、良く分からない理由で一方的に約束を取り付けた。


「また明日ね」

 母と握手とハグをして、病室を出た。


 姉と共に主治医から病状を聞く。

 今迄の治療の履歴。僕がいなかった間の経過。


 もう助かる見込みはないこと。

 もって数週間ということ。

 これ以上の投薬を止め、緩和ケア(ホスピス)という選択肢もあること。

 その費用とホスピスへの入棟可能時期。


 とても丁寧に、穏やかに話してくれた。

 明日からでもホスピスに移ることが出来るらしい。

 とりあえず保留にして、お礼を言って帰路に着いた。

 

 それから、父の手続きと並行して、毎日お見舞いを続けた。


 父を焼いたその足で、母の病院に向かう。

 友達と会ってくると言った日に、父の遺品整理を行う。

 父の部屋の血を拭いた手で、母の手を握る。


 なんだか生と死の間を振り子のように行ったり来たりしているようだった。



 数日後、僕と姉は考えを一つにした。



 ○



 病室は、海の見えるとても綺麗な場所だった。

 

 母は綺麗な病室へ移った。

 僕たちの嘘と一緒に。


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