タブレット、写真、お好み焼き屋


 母は手術を受けた。がんがある十二指腸を切除し、切り口はそのまま膵臓すいぞう付近に、更に小腸を胃の途中につないでいるらしい。


 左のお腹には人工肛門ストーマがぶら下がっている。「すごいよねー」と話す母を前にして、僕は感嘆する。


 図を見ても想像出来ない処置を施す発達した医学に。

 こんな状態でも生きていける人間の生命力の強さに。


 それでも、母は目に見えて痩せていった。時々、通院してはがんの薬を投与してもらう。薬を点滴した日は非常につらいようだ。ずっとベッドで動けない日が多いらしい。


 そんなことをしばしば姉から聞いていた。


 ○


 帰省前、実家の母親に電話を掛ける。コール音が何度も何度も耳の中で反響している。

 

 ようやく繋がった電話ごしに母の声が聞こえた。


「んー、あぁ、○○君? ごめん、ちょっとしんどくて。元気にしてる?」

 寝起きであろう声でゆっくりと話す。


 薬の副作用はかなりきついらしく、点滴の後はいつも声がうなだれている。それでも、心配するのは僕の身だ。 かけなおす、とも、寝てて、とも言えない。


「しんどいときにありがと」

 ただ、そう言う。


 だって、そんな時でも嬉しそうに話すんだもの。



 電話で話すのは、帰省中の予定が多い。

 ――いつからいつまで帰るから

 ――水曜は友達と遊びに行くから、木曜は家にいる

 そんなことを話す。


「じゃあ、あとでお姉ちゃんに言っておいてね」

「いつにご飯を作ればいいか、確認しないといけないから――」

 家に帰ると、母は僕の好きなご飯を作る。


「うん、寝起きにありがと。また今度ね」

 そう言って、電話を切る。

 母との電話のあとは、決まって少し切なくなる。

  

 帰省時はいつも「お帰り」と言って迎えてくれた。父も呼んで、四人でご飯を食べる。最近、父も体調が悪く、家を出られない日がままあるらしい。胃腸の弱さは折り紙付きだ。もちろん、息子にもそれは受け継がれている。

 

 でも、この時は珍しく家族4人が揃ったので、家族写真を撮った。

 母が契約してきたタブレットで――。


 ○


だって言ってたの」

 携帯の契約更新から帰って来た母は、嬉しそうに青色が映えるタブレットを見せた。

 

 契約内容をすぐに確認し、僕は怒った。

なわけが無いじゃないか! なんで契約したの!」

「だって……」

 母は良く分からないという表情をしていた。少し悲しそうに。


 端末費は無料であるが、通信料が上乗せされる契約だった。契約期間を満了するより、違約金を払う方がまだ安い。契約はすぐに解約した。キャリアの電波を拾わない、ただの端末だけが家に残った。

 

 母はいつもそのタブレットを持っていた。


 ○


 僕と母の二人でお好み焼きを食べに行った時のこと。


 僕は他愛もない話をしながら、お好み焼きを焼く。手持ち無沙汰な母はタブレットを取り出し「写真ってどうやってとるの?」と聞いた。


 カメラを起動して、タブレットを母に渡す。


「はい、チーズ」

 シャッター音と共に僕は画像になる。


「綺麗に撮れてる。これだと見易くていいね」

 母は老眼をかけたり外したりしながら画面を見つめていた。




 ……だから、欲しかったのだろうか。


 そんな疑問に自分が分からなくなった。


 どうして母を怒鳴ってしまったのだろう。母が何かするときは、大抵僕たちのことを考えた結果だというのに。自分のものは何も残っていないのに。そんな姿を見てきたはずだったのに。


 強烈な後悔に身を焼きながら、何とか提案した。


「せっかくだから、一緒に撮ろう」

 小さなお好み焼き屋の一角で二人でタブレットに向かう。




 僕とビールと笑顔の母が写った写真はいまでもアルバムに残っている。



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