海の見える街
ホスピスの病棟は敷地の一番南端に建てられている。エレベーターを降りると大きな生花が飾られており、良い匂いが立ち込める。床は絨毯引きで、ベッドを引く音も人が歩く音もしない。ゆったりとしたピアノ音楽が微かに流れている。広いロビーの南側は、ソファーとピアノが並んでおり、展望台のような枠の無い大きなガラス窓から街と海が一望できた。
とても開放的で、静かで、どこか不思議な雰囲気の場所だった。
新しい病室は海の見える、清潔感のある個室だ。
「良い部屋がたまたま空いてて良かったね」と姉が言う。
母は「ラッキーね」と言って力なく笑った。
もちろん、嘘だ。
たまたま良い病室に移動できることなんてない。
ましてや無料で。
正直に話すと、心配性な母は断るに違いない。
自分の身体よりも僕たちの懐事情を。
でも、最期は母の好きなこの街を、海を、見させてあげたかった。
だから、嘘を吐いた。
それが、母の希望ではないにしても。
○
病室のソファに座って一息つくと、この病棟だけが俗世から切り離されているように音が無く、澄んでいた。遠くの方で海がキラキラと瞬いていた。
母さんの好きな花、僕が使っていたサルの抱き枕、四人で撮った家族写真。それらをベッドの前の小さいテーブルとソファに揃えた。青い空と光る海、思い出の品がいつでも見えるように。
「すごく綺麗な景色だね」と窓の外の快晴を見ながら言う。母はベッドで横になったまま「綺麗ね……」とそっと囁いた。
住み慣れたこの街と海が静かに窓の外で輝いていた。
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