あとがき 3年後


 2021年4月17日。この日をもって両親が亡くなってから3年が経ちました。2020年はコロナウイルスの影響でアメリカから帰国することもままならず、3回忌をすることもないまま更に1年が経ちました。思うことは「僕は薄情なのだろうか」ということです。


 両親が亡くなる。

 

 それは、26歳だった僕の前に現れた突然のアクシデントでした。父親は心臓病。母親は十二指腸がん。どちらも病に冒されて、なすすべもなくこの世から去りました。特に父親は死後1週間が経ってから発見されるというドキドキサプライズだったので、渡米準備や母の緩和ケアへの対応と合わせて感情より驚きが勝っていたことを覚えています。


 両親が亡くなって1年後は涙が出てきました。

 アメリカの地でひとり夜にお酒を飲んでいると、両親が頭をよぎってしまい、どうしようもない思い出の海に身体を投げ出してしまうことがありました。


 両親が亡くなって2年後は受け止めることが出来ました。

 父親が残したサントリーウイスキーの小瓶から琥珀色の液体をグラスに注いで、母親が好きだったオフコースを聴きながら、しっとりとその別れを悼めました。


 そして、3年後。

 母が夢に出てきました。学校に入る前の微かな記憶。小さなアパートの一角で僕は母が笑っている姿を見ました。ただ、懐かしいという感情だけが残っています。


 僕は霊魂やあの世というものを信じていないので、この夢は命日をきっかけにした脳の働きの結果だと考えています。死んだ人がこの世に影響を及ぼすことは出来ません。生きている人が勝手に影響を受けているだけなのです。


 そして、僕は主体的に命日に両親から受ける影響が薄らいでいることを自覚しています。月日が経つにつれ、悲しみも薄れ、記憶も薄れ、凪ぐ海のような一日を過ごせることに気付きました。それどころか、その凪ぐ海の深い黒の中に沈んでいけるようになってしまいました。


 〇


 母親は父親によく「死ね」と言っていました。

 父親はよく食器を割ったり、母に手を上げたりしていました。


「あんな父親にならないで」と懇願されて、怒られるときは「父親そっくり」と言われてしまう。僕はたまらなくそれが嫌でした。小学生の時から10年ほど男女が罵り合うのを見てきました。僕の中にあの人たちの血が流れていると意識すると、将来、夫婦関係をうまく築ける気がしませんでした。今でもそうかもしれません。


 最近、女性を傷つけたエッセイを公開して、それがなんと賞を頂きました。男性向けの婚活応援サイトに掲載してもらえるそうです。それ自体はありがたいことなのですが、情けない僕の半生を振り返るたび、苦笑が漏れてしまうのも事実です。(みなさんには笑ってもらいたいので、どんどん笑ってください。遠慮は無用なのでご心配なく)


 そこで、考えました。僕が女性に対して慎重になってしまうのは、僕の中の父性に恐怖心を持っているからなのかもしれません。僕という男性は「あの姿になる」可能性を秘めている。だから、僕は僕の価値を自分で過小評価して、父親が受けたような言葉を向けられてもダメージが少なくなるようにコントロールしたがっているのでしょう。


 〇


 ですが、もう一度言います。

「死んだ人がこの世に影響を及ぼすことは出来ません」


 僕の両親は死んだ。

 その事実は間違えようのないものです。


 つまり、全ては過去のことなのです。薄情になるのは当然のことだと思っています。


 もちろん、今でも何かのきっかけで感情が揺さぶられることもあるでしょう。5年前、仲の良い友人の結婚式で同席した別の友人が号泣していました。新郎の両親からのメッセージを聞いているときでした。その友人はその少し前に母親を亡くしています。その時、すでに僕の母もがんに冒されていたので、彼の気持ちは良く分かりました。今でも彼の涙は深く心に残っています。あの場にいた僕だけが分かる大切な思い出です。


 でも、それはいっときの感情です。常に抱えておくものではありません。


 僕は今年で30歳になります。区切りの年です。いつまでも両親に甘える子供ではいられません。だから、僕はこの3年目の命日を迎えて、決意します。――「さよなら」を言おう。


 人は誰でも良い面と悪い面があります。そして、人は悪いことをよく覚えています。だからといって、悪いことばかり考えていても、現状は変わりません。大切なのはどうするか、です。


 僕は僕でどうなるかを選ぶことが出来る。

 父親になることも出来る。

 母親を選ぶことも出来る。

 

 父親の反対を受けることもない。

 母親から口うるさく指摘されることもない。


 もう出来ない。

 もう出来ないのです。


 だから、僕は、自由なのです。

 誰に、何に、影響を受けるか。それは僕が選べるのです。


 〇


 どうしようもない両親だったけれど、素敵な時間もありました。

 辛いときは、悪いことばかり思い出しそうになる時もありますが、頑張れます。だって、僕はもう一人でどこでもいけるんですから。それくらい大きくなったんですから。


 僕は今日決意する。


 育ててくれてありがとう。

 あとは任せて。


 




 


 2021年4月17日――アメリカの砂漠にて書す

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どうしようもない両親へ。あなた達の愛は分かりにくい。 Askew(あすきゅー) @Askew

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