双子を災いとする考えは各地にありますね。でも一種の集団心理によって殺されてゆく人々を淡々と綴りながら、同時に人の心にも刻み付けていく、哀しいけれど心に残る巧みさが光ります。
双子を不吉とする迷信は、日本に確かにあった。今はほとんど廃れた(当たり前だ)が、昭和も後半になるまでは根強かった。 京極夏彦先生風に解説するなら、そうした迷信はなにかしらの集団心理を説明するために生まれたのだろう。しかし、いつの間にか『説明』が『説得』に変質してしまった。それが『命令』になるのは避けられない成り行きだったに違いない。
その村で生まれた双子は、災いを引き起こす。ただの言い伝えだと言いながら、その時が来るまで双子を居ないものとして扱った人たち。正義だ、災いから村を救うためだと、躊躇うことなく凶行に走った人たち。本当にそう信じているのなら、何故双子を他の村に預けなかったのか。居ないものとして目を瞑って、ただの言い伝えだと言いながら、双子を忌み嫌ったのは何故か。災厄を引き起こしたのは、本当に双子のせいなのか?起きてしまった後ならば、いくらでも好きなように言えますね。それでも、その村に生まれてしまった双子が、可哀想でなりません。
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