災いの双子

冬野瞠

T村の掟

 かつてT村と呼ばれた場所で起こった惨劇を知る者は、今となってはほとんどいない。

 家々を見下ろす高台にある苔むした石碑には、こう書かれている。


 オキテ

 一、コノ地ニウマレタ男女ノ双子ハ満拾歳マンジッサイニナルヨリ前ニ村ヲ出ヨ。

 一、拾歳の双子ガ村ニ残ラバ人人ヒトビトワザワヒニ襲ワルルデアロウ。

 一、災ヒノ日ハ双子ガ拾ヲ迎ヘタ直後ノ新月ノ晩ナリ。


 * * * *


 夕影ゆうかげ小夜さよは男女の双子としてT村に生を受けた。双子の災いの言い伝えが残る村では、二人は誕生の瞬間から、村人に疎まれる存在であった。

 双子が生まれたのは太平洋戦争の最中さなかで、村は爆撃などとは縁遠かったが、二人の母親は元々体が強くなく、終戦を待たずして儚くなった。出征していた父を待つあいだ、唯一の親類だった祖母が幼子の面倒を見ていたが、父親が戦死したことが伝えられると、祖母も気力を使い果たしたようにふっと亡くなってしまった。

 夕影と小夜は、四歳にして二人きりで生きていかざるをえなくなった。他に頼れる人間はおらず、家々から出る生ごみを漁ったり、畑から農作物を失敬したり、野草を採ったりして、なんとか命を繋いだ。別の村や町に行くことは現実的ではなかった。村人は自分たちをいないものとして振る舞うし、自動車など乗せてくれるはずもない。山間やまあいのT村は深い木々に囲まれ、熊も至るところに痕跡を残していたので、徒歩で別の村や町に行くのは難しかった。

 なんとか穏便に死んでくれないだろうか――。夕影と小夜は、自分たちが村人からそう思われているのは理解していた。けれど、二人は人並みに生きたかった。生きて、ありきたりの幸せな生活を送りたかった。

 わずかでも優しさをくれるのは村でひとりきりの猟師の男だけだった。猟師は時々言葉を教えてくれ、たまに火入れした兎や猪を、笑みも見せないままぶっきらぼうに双子にくれるのだった。



 月日は流れ、二人がとおになる日が近づくにつれて、村をぴりぴりした緊張感が漂うようになった。村人の立場は概ね三つに別れていた。

 言い伝えなど過去の遺物であり、この昭和の時代に怪異めいた災いなどないと主張する者。

 なんとか双子に村外に出ていってもらおうと気を揉む者。

 新月の夜だけ双子を納屋に隠し、村には双子などいないと見せかければ大丈夫だと豪語する者。

 最後の意見は猟師一人のものであり、自分が猟銃を持って納屋の番をすると声を上げたが、二番目の意見を持つ人々は難色を示した。示したものの、猟師の目はいやにぎらぎらと光っていて、強く反対できる者はいなかった。

 災いの日は昭和二六年の七月四日だった。大陽が西に傾いてきた頃、夕影と小夜は納屋にかくまわれた。稲の籾殻もみがらを仕舞っておく小屋で、特有の粉っぽい匂いが鼻を突き、息を吸い込むと肺がちくちくするようだった。猟師は俺に任せておけ、とだけ言って、納屋の扉を閉めた。中は完全な闇に閉ざされ、双子はすがるように互いの手を取り合った。

 日が沈むと、村は異様な雰囲気に包まれた。邪悪な獣が赤い舌を突きだし、暗闇から人々をぎろぎろと狙っているような空気。それは、息を殺した村人たち自身がつくりだした空気だった。村人は農具を片手に、火を絶やさないように蝋燭ろうそくの番をし、小さな物音にもびくりと肩を揺らした。暗がりから今にも何かが飛び出してくる気がして、三分が一時間にも感じられる極限の緊張状態にあった。災いなど昔の話だ、と高をくくって村を離れなかった住人の多くは後悔した。この時間になれば、村の外の森に入るのは危険だ。


「やっぱり、殺そう」


 T村の中央にある家の亭主がまず言い出した。彼は怪異など起こらないという意見の持主だったが、頭のどこかではもしかしたら、という思いがあったのだろう。欠片ほどの恐怖が、当日になって膨れ上がっていたのだ。村の男たちを集め、猟師ともども殺してしまおう、それが手っ取り早い、と譫言うわごとの如く繰り返す。

 妻は青ざめて彼を止めようとしたが、血走った目をぎょろぎょろさせる夫に睨まれてすくみ上がった。


「こんなの、一晩も耐えられるわけがない。みんなに言って双子を殺してこよう」


 妻は旦那に取り縋ったが、突き飛ばされて叶わなかった。家の太い柱に頭を打ち付けて女は絶命した。



 夕影と小夜は尋常でない気配が近づいてくるのに気づいて、全身を震わせた。野太い声と、何十人もの足音が納屋の周りを取り囲んできている。猟師と男たちが押し問答している風な時間があって、唐突にどうんと低い銃声が響いた。

 双子はきもを冷やしてひしと抱き合った。数瞬の静寂ののちに、激しい怒号がまき起こる。その後は耳を塞ぎたいような、身も凍るような乱闘の音が辺りを支配して、それは永遠に続くかと思われた。銃声も断末魔の叫びも幾度となく鼓膜を貫き、双子は頭が狂いそうになった。

 やがて銃声が止み、納屋の錠前ががちゃがちゃと揺れる。双子はもう、生きた心地がしなかった。扉が乱暴に開けられると、激流に揉まれるように、二人は外へと引摺ひきずり出された。

 双子はその晩に、人が一生で浴びる分の何百倍、何千倍もの害意を浴びた。村人の目には、殺意と正義感の炎がめらめらと燃え盛っていた。村人はみんな自分が正しいことをしていると疑わなかった。殺せ、殺せ。それが正義だ。双子は別々に引き離されて、村人から袋叩きにされた。抵抗など露ほどもできず、十年間溜まっていた人々の不安の反動は、小さな命を吹き消すには充分すぎるものだった。

 どれくらい経ったのだろう。夕影はずたぼろにされて、先ほどまでいた納屋に塵屑ごみくずみたいに放り込まれた。骨が折れていない箇所など皆無に等しく、左腕以外は無惨に引きちぎられていたが、辛うじて息はあった。腫れ上がった顔は人間のものとは思われないほどの有り様になっていた。むっとする鉄錆に似た臭気が内部を満たしている。夕影が左手で床をまさぐると、一面がぬるぬるした液体に覆われているのが分かった。


ゆう……?」


 か細い声が耳に届き、夕影はなんとか這ってそちらに向かった。小夜がほとんど虫の息で、そこに横たわっているのだった。双子は咳き込み、ぜえぜえと息を喘がせ、言葉につっかえながら会話をした。


「小夜……良かった、生きてるうちに、また会えて」

「うん……。ここが暗くて良かった。わたし、もう人の形じゃなくなってるから……」

「ぼくもだよ。もう左腕しかない……」

「そっか……わたしはもう何もないよ……」

「……痛いね……」

「……うん、痛いね……」


 夕影は片腕で小夜の凸凹でこぼこに腫れた体を抱いた。自分の体から流れ出る血が、きっと床に広がる小夜の血に混ざっていっているのだろうな、と思いながら。夕影と小夜は二人でひとつになりながら死ぬのだ。


「小夜……来世はきっと、二人で幸せになろうね……」


 小夜はもう返事をしなかった。



 双子が息絶えても、惨劇は止まなかった。

 くわを携えて家に帰った男は、そこにあの双子がぼんやり佇んでいる姿を見た。男の頭をまたたく間に恐怖と怒りが塗りつぶした。さっき殺したはずなのに、なぜこんなところに。


「まだ生きていやがったのか!」

「ちょっとあんた、何するんだい!」


 その鋭い声は男には聞こえない。そこにいるのは男の妻と、数ヶ月前に生まれたばかりの夫婦の娘だったのに。

 そんな奇妙な現象が至るところで起きていた。女子供がみんな残酷な形で息を引き取ると、今度は男衆のあいだで殺し合いになった。ようやく陽が昇ってくる頃、わずかでも息があるのは数人を残すのみになっていた。

 災いは起きた。人々が起こしたのだ。

 大量の血が流れ、ほとんどの村人が死んだ。生き残ったのは、一番多くの村人を殺し回った数人と、昼のうちに村から離れていたいくつかの家族だけだった。

 後日、検死や調査のために村を訪れた人々は、そこかしこが血で染まり、体の一部が一面に散乱する様子を見て、あまりの惨たらしさに絶句したり、その場で嘔吐したりしたのだという。


 * * * *


 T村にあった家はほぼすべてが取り壊され一旦更地にされたが、平成になって近くの集落とトンネルで繋がると、再び人々が住むようになった。都市に通勤に出るにはちょうどよい立地で、景色も空気もよく、子供を育てるには素晴らしい条件の場所だったのだ。人口も増え、今では隣町のS町・A町と合併してM市の一部になっている。

 言い伝えもかつてあった事件も風化していて、村の決まりを記した碑文など気にする人はもう誰もいない。そこにあるのは、日本のどこにでもあるような明るさに満ちあふれた町並みだ。

 M市T地区では先日、七十年ぶりに男女の双子が生まれた。

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