第14話

「下に向っているな」

「昔に造られたくせに凝っておるの、小癪な」


 どれほどまで下に降りて来たのだろう。部屋はどこまでも降りていく。終わりがないかのように。

 水底へ沈むと時とはまた別の思いが飛来する。回転する部屋の壁とともに下降しているという感覚だけ。


 どこまでも降りていくのか、あるいは動いていないのか。わからなくなりそうであった。

 十分ほど。時間にすればそれくらいであるが、永遠であるかのように感じられた下降は終わりを告げて、自然と扉がひとりでに開く。

 風ではなく機関の作用だ。駆動した歯車機関によって扉は開く。


「さて、この先に秘宝があるのか」

『早く行きましょう』


 扉の先。そこは広間だった。だが、何もない。暗がりに広間。暗い、なんとここは暗いのか。

 機関都市の暗がりを思わせる。だが、都市特有の生の気配は何一つない。暗がりに渦巻いているのはただ静謐のみ。


「何もない」


 松明を投げ込んでも何も起きないし、そこには何一つありはしなかった。いや、いいや。


「台座か。何か乗っているな」


 部屋の中央に台座があった。松明差しもあり、そこに松明を指せば火が油を伝い、部屋全体を照らしだす。

 円形の部屋だった。床には見たこともないような幾何学模様が掘ってあり、そこに油が流れて火がともっていた。


「こいつは……」


 そして、台座の上に置いてあったのは一冊の手記であった。


「これだけか」


 他には何もない。


『本当に? よく探して。ミュンヒハウゼンが何も残していないはずがないわ』

「アンナ」

「う、さがす」


 感覚の鋭敏なアンナに探させる。

 だが、何も見つからない。ここには何一つありはしないのだということがわかっただけであった。


 その間にハワードは手記をひらいた。古ぼけた紙の手記はしかして、しっかりと今でも過去の文字を伝えていた。それをぱらぱらとめくり内容を見ていく。

 文字は普通のアンテルシア公用語であった。暗号化されているわけでもなく、記号に何かしらの意味があるわけでもない。


 これは日記だ。ミュンヒハウゼンが書き記した手記だった。

 表題には真実とだけ書き記されていた。


「……なるほど」

『何かわかったの』

「ハワード、もったいぶらずに話せ」

「ああ、こいつに全部書いてあったよ」


 ミュンヒハウゼンの手記、それに書かれていたことをハワードは話し始めた。


 ――私の真実をここに記そう。

 法螺吹き男爵。虚構を吐き出し、虚実を結ぶ錬金術師。あるいは詐欺師。そう呼ばれる私の口では何一つ真実は語られないだろう。

 ゆえにここに全ての真実を記す。紛れもなく、これは真実である。


 ミュンヒハウゼン男爵。巨万の富を築き、数多の冒険を成し遂げた男。

しかして、その全てがほら話のような不思議な話ばかりであるという。古の魔導を操り、鉄を黄金に変える。伝説にある賢者の石すら錬成してみせたなどと。

 私は、そのような超常的、不可思議な人物では一切ないとここに記させてもらおう。


 私は、ミュンヒハウゼン男爵は、一貴族であった。男爵の爵位が示す通り、それほど高い地位にあったわけではない。

 取り立てて私には何の才能もなかった。あったのは、雄弁に物を語るこの口だけだ。


 口先において、私は誰よりも饒舌であった。多辯で、口軽く、口忠実に私は物を語ることが得意であった。それ以外には何もない、取り立てて面白味のない男であった。

 私は注目を集めるために大いに語った。いいや、騙ったか。ほら話をあることのように騙って見せた。小さな男だ。


 だが、我が友人は、そうは思わなかったようだ。我が友人、悠久なりし時を生きる魔術師カリオストロ。我が友人は、我が口を大層素晴らしいと言った。

 思えば、それがすべての始まりであったのだ。カリオストロは言った。華々しい冒険へ行かないか。それを君が語るのだと。


 もちろん、調子のよい私はカリオストロの言葉に従って彼の言うままに旅をした。家来とともに公王の命を受けて陰謀とアヴァンチュールに身を置いた。

 友人たるカリオストロが逮捕されそうになったのを救った。


 我が口によって多くを語り聞かせてきた我が口。それに合わせて耳は多くのことを聞いていたのだ。

 そう。私は多くを聞いて、それを利用した。その果てに私は永遠の若さを手に入れてしまった。若い私は、それが良いことであると疑わない。


 大砲によって空を飛び、敵に捕らわれ、恋をした。月にも行ったか。多くの別れもあった。

 真実はつまらない。ゆえに我が口はそれらに大いに付け加えて語って聞かせた。


 カリオストロに言われて旅をしたのが我が祖国からは遠く、実情など誰も知らない場所であったのが大いに我が騙りを真実にして見せたのだ。

 鍍金の真実に人々は酔いしれたものだ。


 しかし、私は疲れ果ててしまった。永遠の若さ。私が手に入れた唯一の幻想。それによって多くの別れが私の精神を老い果てさせた。

 結局のところ、私は世間一般に言われているような人間ではない。詐欺師ではあったかもしれないが、錬金術師でもない。


 虚構を真実に変える手段を持っていたわけでもない。屑鉄を黄金に変えることなど誰が出来ようか。

 私にはただ饒舌に語る雄弁な口があっただけだ。語って聞かせたそんな話を、誰かが本にして出した。


 それが世間一般に知られる法螺吹き男爵。ミュンヒハウゼンだ。

 その真実は、ただ一度国の外、遠い場所を旅しただけの男に過ぎない。故に、秘宝などあるはずもない。

 莫大な富など虚構だ。膨大な知恵の書などあるはずもなく。


 ここにあるのは、法螺ではなく、虚構でもなく、虚実でもない、真実だ。嘘にまみれた法螺吹き男爵が遺す真実だ

 私が語る、最後の真実である。嘘偽りない言葉である。この世界は、平面なりし世界の果て、その先に何があるのか。


 人々は知らない。この世界が、このような形であることに何一つ疑問すら感じていないだろう。

 各地に残る幻想のお伽噺のままに、人々はこの世界は四角い平面であると信じている。

 それは嘘だ。私は見た。はるか遠く、新大陸よりも遠く、我が旅の果てに見たのだ。この世界を吊るすものを。


 この世界の形を。この世界がどのようになっているのかを。平面なりし世界について、もし我が真実を見つけたのならば、どうか幻想を探してほしい。

 さすれば、この世界の真実がわかる。


 これ以上を語ることは出来ない。ゆえにこれを封印し、探し出せたものにのみ記す。

 我が真実と、世界の真実の欠片を。断片を残す。

 もし、君が探すというのならば幻想を追え。その果てに、この世界の真実を知ることが出来るだろう――。


「――これがミュンヒハウゼンが遺した秘宝ってやつだ」


 ほらを吐き続けた男が最後に遺したのは真実だった。


『……そんな……それじゃあ、私たちは今まで何のために……』

「世界の真実か、平面であることは当たり前であろうに、一体この男は何を見つけたというんじゃ」

「わからん。だが、興味がわいてきた」


 秘宝を見つけた後は、いつも通り研究を続けようと思っていたが、各地の幻想を洗ってみるのがいいだろう。

 この世界の真実とやら、それは気になる。そして、おそらく企業複合体が隠している何かがある。


「とにかく、こいつは俺らの記憶の中にだけとどめておこう」


 真実の書を台座に戻す。もはやこの場にはこれ以外になにもありはしない。


「戻ろう」


 一行は来た道を引き返す。ミュンヒハウゼンの秘宝は発見した。しかし、それは持ち出すようなものではなかった。それだけのことだ。

 しかし、まだ彼らは帰ることは出来ない。来た道を戻ったところで、立ちふさがるものがあった。


「おまえは!」

「対象発見。カートナー親子と塵。排除します」


 ヘルガ・クロックミスト。彼女は、彼らをここから逃がすつもりはない。企業複合体から与えられたヘルガの任務は彼らの排除だ。

 彼らは知ってはならないことを知ってしまった。ゆえに、その情報が世に出回る前にここで排除する。

 その殺意にアンナが唸り声をあげて威嚇する。


「落ち着け。おまえは、何もしなくていい。ここは俺がやる」


 ハワードは、左手でアンナの頭を撫でて落ち着かせてから一歩前に出た。

 コートを脱ぎ去り、動きやすく身を軽くする。対人戦闘に不向きな巨人殺しもその手には握ってはいなかった。


「何故俺たちを狙う」

「それは既にわかりきっていると思いますが」

「ああ、ミュンヒハウゼンの秘宝。企業複合体は何を隠してる」

「それは、私が知ることではありません。私はただ規定の労働を満たすのみです」

「なるほど。だが、俺たちもここで殺されるわけにはいかん。殺されたくないからな。なによりアンナを塵といったな?」


 ハワードは右腕を露わにする。そこに在ったのは、鋼鉄の腕だ。生身の肉体ではない、歯車と鋼鉄によってつくられた義手。血管の代わりに蒸気管が、血の代わりに高圧蒸気が巡る機関の腕。


「それがどうしたというのです。逃げ出した労働種など塵以外の何物でもありません」

「そうかい。なら本気を出そう」

「ただの義手でどこまでやれるか見ものですね」


 義手など珍しくも何もない。ヘルガは己もまた蒸気兵装を展開する。蒸気兵装スコーピオン。鋼鉄の刃と鋼鉄の槍を持つ自走蒸気機関が、起動する。

 鳴り響く鋼鉄の駆動音。重なり合う重低音と蒸気圧音が奏でるのは相手への葬送曲。殺戮の為に作り上げられた蒸気機関がここにその機能を解放する。


 赤熱する刃。オルゴールの旋律が奏でられ、超振動する刃は例えどのようなものであろうとも熱したナイフでバターを斬るが如し。


「義手などで防げるはずもありません」


 ゆえに振るわれる刃は、何の感慨もなくハワードらを両断するだろう。その結果を見る必要などない。

 だが、ヘルガは刮目することになる。振るわれた刃は、止められている。ハワードの二本の指で掴まれている。


「ありえない」


 理解不能。目の前の光景が理解できない。スコーピオンの刃を掴んで止めることは不可能だ。蒸気機関の出力は通常の四倍強。

 トルクに換算すれば数十倍以上になるはずだ。その速度音を置き去りにする。そんなもの人の目で反応出来るはずもない。


 例え前大戦において活躍したビーストと呼ばれるような部隊の連中であったとしてもだ。

 寧ろ、最大限警戒しているがゆえにヘルガは最初からトップギアで放った。必ず殺す。相手が油断している間に何もできない、させないように最高の一撃をはなった。


 だが、それは止められていた。ただの義腕ではないと思っていたが、一体どれだけの出力差があると思っているのだ。

 蒸気機関の性能はそのまま大きさに直結する。大きいほど強いのがこの世界の常識だ。

 義手用の小型蒸気機関の出力などでスコーピオンの出力を上回れるはずがない。いかにそれが軍用品であろうともだ。


「昔取った杵柄だ。誇るものでもない」


 だが、現にハワードは義手によってスコーピオンの一撃を受け止めている。いったい如何なる魔法か。

 ヘルガは、こんな情報なかったと資料を思い返す。それもそうだった。意図してこの情報は伏せられていた。企業複合体によって。


 彼の腕にある義手はただの義手ではない。鳴り響く歯車の音と肩に刻まれた紋章が偉大なりし女王陛下の騎士であることを告げている。

 そう、軍によってつくられた規格外の代物。それは、この時代最高峰の腕だ。その出力、ただの蒸気兵装で敵うはずもない。


 前大戦末期にひとりの天才によって作り上げられたもの。この世界の常識を覆し、根本から叩き壊す異形の蒸気機関。


「心理機関とやつは言っていた。なんでも心の熱量によって無限に出力が上昇するんだと。俺も詳しいことは知らないが、こういうことだ――我が心によって、我が機関は駆動する」


 うなりをあげる義手の歯車。曰く、心理機関が駆動する。

 ハワードは精神が弱いものなら立ち向かう意気を挫かれるだろう見事な威圧をはなつスコーピオンに対してですら静謐さをたたえた明鏡止水の様相を崩さない。

 だが、水面の底では灼熱の炎が燃えていた。それが心理機関を駆動させていた。


 意思と共に回転する歯車は高速回転し、摩擦と熱が立てる駆動音の鳴りを響かせ、高まる意気と共に、義腕に内蔵された蒸気式武術機構が過熱する。

 それは、純然たる科学と連綿と積み上げられてきた武術の融合。回転する歯車より力が発せられ、駆動する機関からは勁が発せられる。


 義腕装甲内熱伝導経路を廻る重蒸気、勁が伝導し内功は駆動する。


「機関式機構発勁――」

 

 ――これより先、我が拳に貫けぬものなし。


 自らの肉体と機関によって練り上げられた内勁の発露させる。静かに寒さすら感じさせるその熱流にヘルガは気が付かない。

 ゆえに、ただ目の前の敵を殺す事だけを考える。


 放たれる攻撃。ハワードはそれを最小の動作によって躱していく。

 気息は正しく。水面の月が割れることはない。灼熱に燃える静謐さを以て、ただ構えを作る。左腕を前に、右腕を引き絞る。


 握られた拳に勁が爆発的に集められていく。放たれる瞬間を今か今かと待ち望み、高音の鳴りが響いていた。


「一撃で終わらせてやる」


 放たれる拳。ハワードの拳から円状に広がった可視化するほどの衝撃波が放たれる。撃発音とともに排莢されるショットシェル。


 発動――機械式機構発勁――浸透勁。


 伝播する勁、炸裂する力。莫大な機関エネルギーは衝撃となってハワードの拳からスコーピオンへと伝わり内部機関の中で爆発する。

 爆裂したスコーピオン。伝播した衝撃は極大であり、それによってヘルガすらも壁に叩きつけられるほどであった。


「――!?」


 一瞬にして、ヘルガはその意識を刈り取られた。浸透勁の狙いはスコーピオンではなく、ヘルガ自身であったのだ。

 スコーピオンが爆発したのは内部に流し込まれた勁力が莫大であったためその負荷によって引き起こされた事象に過ぎない。


 真の狙いは、自律蒸気機関の向こう側にいる奏者だった。浸透した勁に殴りつけられたのだ。

 寧ろ、あの発勁の規模と気の練り方から見れば気絶というのは幸運に過ぎるだろう。明確な手加減の証だ。


「…………」


 残心より、現実への回帰。


「おい、隠れてないでそいつを連れて帰んな」

「おや、気が付いていたのか」


 両手をあげて降参の構えで出てきたのはローガンだった。黒い服に紳士然としたステッキを手にもっている。

 いったいどこにいたのか、まるで闇から溶けであるかのように現れた。

 アンナも気が付いていなかったのか、その登場に驚いていた。


「労働種すらも欺く隠形を使えるくせして、まったく、中身を隠す気がなかっただろう」

「はは。どうにも浮かれていてね。久方ぶりに同胞に出会ってしまったとあってはね。獣に魔女とは、実に数奇に過ぎるとも」

「それで? 犯罪者が一体、何をしてる」

「なに、それを僕も知りたくてね。こうしてここまで出向いてきて、まあ、私好みの秘密にご対面というわけさ。ミュンヒハウゼンの秘宝、どうやら皆が思っているようなものではなかったらしい。まあ、それはそれでいいのだけどね。それよりも興味深いものを見つけている。今日は、挨拶に来ただけさ」

「なに?」

「これから長い付き合いになると思ってね。こういうところはきっちりしておくのが僕流なのさ。なあ、同胞。僕とは違う獣」

「おまえ」

「そうさ。僕も君も。大戦末期に投入された獣の一匹さ。殺しも殺した。なに、戦争だ。それを悪とは言わない。必要なことだった。この黄金の時代を築くために。しかし、だ。僕はとても気に入らないことがある。企業複合体がご丁寧に隠している事実だ」

「おまえ、何を知ってる」

「何も知らないとも。だが、人より多くに気が付きやすいのさ。君が右腕に獣の証を持つように。僕の獣の証がそう叫ぶのさ。だから、今回は挨拶さ。君たちとは長い付き合いになる。そう確信するがゆえに。我が機関、我が鋼の頭脳がそう駆動する」


 ゆえに、また会おう、そう言ってローガンは気絶したヘルガを抱えて闇へと消える。

 もはやハワードですら捉えられない。その技術体系を、ハワードは知っていた。


「奴も生き残りか」

「まったく。どこまでもついて回る。忌々しいものじゃのう」

「?」


 ハワードとジョージの独白に近い言葉にアンナは首をかしげる。いったい二人に何があろうのだろうか。

 アンナは何一つ知らない。ミシェーラのことも。この世界のことも。


「さて。帰るぞ」

「うい!」


 だから、今は、ただ帰れることに嬉しく返事をするのだ。

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