第6話
アパルトメントに戻り、準備を整えたハワードらは翌朝バルベルビナ行きの列車へと乗り込んでいた。
早朝のまだ霧も冷めやらぬ時間に古都バルベルビナ行きの列車は出発する。アンテルシア鉄道会社による時刻表通りの運航。
都市部を出た列車は順調に加速していく。過ぎ去っていく景色は人間にとっては多くが線に見えるだろう。もしくは色の洪水となって過ぎ去っていく。
しかし、アンナの眼にははっきりとした景色に見えていた。遠くを見れば、ゆったりとした景色の流れがある。
「すごい」
朝から乗ってアンナはずっと窓にかじりついている。
「楽しい?」
「ん、たのしい。みたことないもの、いっぱいみれる」
「そう。それは良かったわ」
そんなミシェーラとアンナの二人を余所に、ハワードとジョージは翻訳された地図に頭付き合わせていた。
「おそらく秘宝はバルベルビナの湖の中だ。どうやら地下に遺跡があるようだな」
「そうなると、入り口はここかここ」
「どちらが本当の入り口かわからんな。もう半分が必要だ」
「それは向こうも同じでしょう。この地図がなければ、洞窟の中で正しいルートをとることができない」
「ふむ、そうなると常道としては奪いに来ると思うのだが?」
「恐ろしいことを言わないでよ父さん。父さんが言うと、大抵その通りになるんだから」
「わしは事実に基づいた仮説を述べておるだけだ」
「一応、停車駅で注意だけはしておこう」
心配ではあるが、ハワードにはどのみちどこかでまたあの女とは会う予感がしている。同じものを狙っているのであれば、絶対にまた会うことになるだろう。
民間人の前でも発砲してきたということは、それなりに大きな組織だ。ハワードはアンテルシアに根を張るいくつかの秘密結社の一つだろうと予測する。
「そう言えば、昨日は忙しくて礼を言ってなかったな。アンナ」
「うぃ?」
「おまえのおかげで助かった。ありがとう。何かご褒美をやらないとな」
「うんん。いい、たすけてもらった。だから、たすける。あたりまえ」
「良い子だ。それでもだよ。そうだな。食堂車で何か甘いものでも食べるか?」
左手で頭を撫でながらそう聞くと、露骨にヘッドドレスの下の耳がピクリと動くのをハワードの手は感じ取った。スカートの下の尻尾も同じように動いていることだろう。
「いく!」
「なら私も行くわ」
「父さんは?」
「わしはここで手稿でも読んでおる」
ジョージを残してハワードたちは最後尾の三等客車から二両先の食堂車へと向かう。食堂車の中は食事時ではない為に空いているが、紫煙で煙い。
「けほっ」
「大丈夫か?」
「うぃ、だいじょうぅぶ」
なるべく煙の少ない端の方の席に座り、食堂車についているウェイターにコーヒー、紅茶、アンナ用のお菓子を注文する。
しばらくすれば、注文の品はすぐに揃う。ケーキだ。白くふわふわとしたケーキにアンナはもう目が釘付けにされている。
「なに、これ、しろい」
「ケーキだ」
「おいしいわよ。食べてみて?」
恐る恐ると言った風にフォークをぐーで握ってケーキを一口分掬い取る。その柔らかさに驚愕してまたびくりとしながらも、一気に口の中に放り込んだ。
「――――!!」
一瞬で緊張していた顔がほんわかと緩む。それからはもう一心不乱にフォークを動かしては口に運び、ほんわりと緩むの繰り返しだ。
「気に入ったみたいね」
「ああ、そうらしい。おかわりしていいぞ」
「いぃの?」
「ああ、好きなだけ食え」
「ぅ、ありがと」
「ハワードパパは気前がいいねー。じゃあ、あるだけ食べちゃおっか?」
「うん!」
「おい待て――」
止める間もなくあるだけ頼まれてしまった。
あるだけ頼んでもまったく問題なく運ばれてくるあたりプロだなどとため息を吐きながら、ハワードは現実逃避も兼ねてジョージが作った携帯型の機関ラジオを取り出した。
アンテルシアを代表する二大碩学の一人ニコラ・テスラ女史が発明した世界を繋ぐ世界システムを媒介としているオルゴールシステムによって駆動する共鳴機関だ。
ジョージが作った発明品の中で最も安全で、もっともハワードが気に入っているものだった。
機関製ラジオの音量は最低限に落としてスイッチを入れる。チャンネルは馴染みの番組に合わせてあった。
流れるのはアンテルシア放送局による音声放送。ノイズに塗れながら陽気な音楽が流れパーソナリティーが他愛もないことを喋り倒す。
情報番組であるのだが、そのパーソナリティーはニュースを最高にお似合いで、最高に不釣り合いな甘い声で垂れ流していた。
『ハローハロー、ご機嫌なあなたも不機嫌なあなたも私にハローハロー。アンテルシアラジオ放送一ご機嫌な情報番組へようこそ。
排煙交じりの灰雲に覆われてしまった、こんなご時世だからこそ、陽気さを忘れてはならないと私は思っています』
「なにこれ」
アンナはフォークを咥えて頬っぺたにクリームをくっつけたまま、目をぱちぱちさせながら声が響いてくる不思議な箱(ラジオ)に顔を近づけて放送に耳を澄ませる。
『――ああ、心にもないことを言ってしまいました。本当はそんなこと一つも思っていません。言えって言われたからいってまーす。
あ、プロデューサーがうるさいのでニュースいっちゃいますねー。
さて、本日の朝いちばんはやっぱりこれでしょう。皆さんが喜びそうなニュースを独断と偏見で私が選びました。あ、また怒ってる。プロデューサー、あんまり怒るとハゲますよー』
「なに、これ! こえきこえる!」
「ラジオだ」
「らじお?」
「そうだ。遠くに昼人の声を聞くことが出来る機械だな」
「すごい!」
目をキラキラと輝かせてアンナはラジオに聞き入る。実際に見ているわけでないのに、いろんな場所のことを知れるこのラジオというものはまるで世界を拡げる魔法の箱だった。
『さあ、ハゲそうなプロデューサーは気にせず朝一番のニュースをごしょうかーい。今日の朝一のニュースはこちら、昨日起きた蒸気自動車による暴走事故!』
ちょうど話題は昨日のカーチェイスのことであるらしい。
『いやー、昨日はなんとも楽し気な事件が起きました! 毎日がこうだったらいいのにと思っていますが、大っぴらに言うとプロデューサーに怒られるので言いません』
昨日起きた事件についてパーソナリティがあることないこと言っているが、核心部分だけは外していない。
『犯行グループとみられるのは、巷で有名なテロリスト集団! 反乱的錬金術教団でしょう! いやー、卑劣ですねぇ。なんとなんと、この方たちあの伝説のミュンヒハウゼン男爵の秘宝を狙っているのだとか。それで一体何がしたいんでしょうかねー活動資金を求めての犯行だとするといささか大げさすぎますねぇー』
「本当、この情報はどこから探してきてるんだろうな」
相変わらずこのラジオ放送の情報は早い。だが、それだけに役立つ。少なくともハワードと今現在敵対していることになる組織のことがわかったからだ。
「反乱的錬金術教団。反政府組織だな。注意する必要がありそうだ」
ラジオの電源を切って懐へと戻す。
「あっ……」
「また聞かせてやる」
「わかった」
それからアンナとミシェーラは本当にケーキをあるだけ食べてしまったらしい。恩師からもらったミュンヒハウゼンの秘宝探索の資金が一気になくなっていく。
「先に戻っていてくれ」
「ハワードは?」
「すこしな」
煙草を吸うジェスチャーを見せる。理解したというミシェーラはアンナと後部座席に戻っていく。
席に一人になったハワードは煙草を取り出す。銘柄は独特の風味があることで有名なミスコッテという銘柄だ。
一本咥えて、懐からライターを探す。
「ん?」
しかし、中々見つからない。トランクの中だったか。はて、どこにやったのか。
「どうぞ」
「ああ、どうも」
そんな彼を見て見かねたのか誰かが火を貸してくれた。火をつけて紫煙を吐き出す。久方ぶりに吸った煙草の味は格別だ。
「いや、助かった」
「気にすることはありませんわハワード博士」
そこにいたのは一人の女性であった。匂いたつかのような高貴さと気品が所作の一つ一つからにじみ出ているかのようである。
貴種とはまさしくこういうものを言うのだろう。生まれながらの高貴な血が何をせずとも周りを圧倒する。
ただ目の前で微笑まれるだけで跪き、その手に口づけをしてしまいたいという欲求が生まれてくる。これが貴種。これが生まれながらの貴族。
だが、ハワードにそうさせなかたtのは、ハワードの意思ではなく、その背後にいた人物だ。
珍しい黒髪に東の方の衣装を身に纏い、腰には極東で使われるという
そこに立たれているだけで、いいやその視線を向けられているだけで刃を突きつけられているかのように錯覚させられる。
それがハワードの動きを止めていた。しかして、恐怖を感じないのは相手がこちらに害意を向けていないからであり、おそらくはこの女の方がいるからだ。
彼女は釣り合っているのだ。まさしく達人である男が放つ覇気と貴種の尊気が。だからこそハワードは冷や汗こそかきはすれど、普通に会話をすることができた。
「――俺を知っているのか。あなたは? ええと」
さて、白を基調とした服を着ていることから貴族や裕福な上流階級の女性であることがわかる。そのような知り合いはいなかったはずだ。
少なくともハワードの記憶の中には存在しないし、スポンサーの誰かの娘ということもないだろう。
スポンサーであるならば、忘れることはない。貴重な研究資金を捻出してくださるスポンサーはまさしく忘れてはならない者である。
それに背後に立つ男のような達人がいたのなら少し武術をかじった者は忘れることが出来ないだろう。
では誰か。そう考えているところで、答えは女の方が提示する。
忘れていましたと言わんばかりに、彼女は名乗った。
「ごめんなさい。申し遅れました。エレナです。エレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキーと申します」
「まさか、あのミセス・ブラヴァツキー?」
「イエス」
ブラヴァツキー夫人。ミセス・ブラヴァツキー。
彼女は有名人だ。貴族の社交界では変わり者として有名である。
結婚後、一日ももたず家を飛び出して出奔。溢れんばかりの行動力とメンタリティを発揮し世界中を飛び回るじゃじゃ馬姫。
などと言われて有名だ。その異名はハワードの所属する考古学の界隈でも轟いている。
古代の遺跡や神秘、魔術、錬金術などといったものが特に好きであり気に入った探検家や考古学者に多大な援助を行ったりしているという。
その対価に無茶ぶりを要求するというらしいが誰もそのことについては語りたがらない。
「光栄です」
「こちらこそ、ハワード博士にお会いできて光栄です」
「いえ、私などまだだまだ若輩ですからミセスほどでは」
「ご謙遜なさらずに。考古学の権威ご本人からミュンヒハウゼンの秘宝を探すことを依頼されたということは将来有望ということです」
「流石はミセス・ブラヴァツキー。よくご存じだ」
「私は知りたいだけですから。なんでも知らずにはいられないのです。だから、我慢できず家を飛び出しちゃいました」
てへっ、とでも言わんばかりに舌を出す彼女の様子ですら絵になる。
黒い染みのような後ろの侍がいなければここにいる全員が虜になってしまう程度には破壊力があった。
エレナもそれに気が付いたのだろう。なにせ、背後に立つ存在は幽鬼のようでもあり、誰もが注目している。
食堂車の人間が、その一挙手一投足を気にするほどには危険であると見抜いている。即座の危険はないが、いつ爆発するかわからない爆弾を見ている気分なのだ。
ハワードはそのおかげでエレナという貴種に吞まれずに済んでいるが、おそらくは彼女もそのつもりで彼を侍らせているのだろう。
「彼が気になりますかハワード博士」
「気にならないといえばうそになります」
「博士は正直でいらっしゃる。皆さん私と出会うといつも彼を気にするのですよ。人気者ですわね。博士? 彼は極東の国の侍なのです」
「サムライ?」
「そう、侍。彼は福沢諭吉。極東の、そうですねこちらでいう騎士だとか」
「ちがう」
「あら」
否定の声は侍自身から発せられた。どこかくたびれたような声であったが、はっきりと届いた。
「おれは、侍だ。騎士ではない。仕える者ではあるが、おまえたちのそれとは違う」
「あら、それなら語ってくださるかしら?」
「それが、主の命ならば」
「んもう、固いのねぇ。いいわ。ハワード博士に教えてさしあげて?」
「御意」
侍――福沢諭吉は語った。
侍。
それは極東における戦闘職であるとハワードは、彼のくたびれたような言葉をかみ砕いて理解した。
おおむね、それは間違いではない。だが、騎士と根本から違うことがある。彼らは、どこまでも進み続けるものだ。
主を護り侍る騎士とは違う。主の盾であり剣であるとされる騎士とは違った。侍はただ刃なのだ。
護るよりも斬る。剣であるよりも斬る。ただその最果て。原初、根源へと至るために前へ進み続ける者たち。
仕えるのは、それが始まりであったから。そして、それこそが侍の証であるから。
「つまりは、求道者であると言った方が適切だ」
「それこそ騎士なのでは? と思うのですけれど、彼らには彼らのこだわりがあるようで」
「なるほど」
いまいちよくわからないハワードは、二本目の煙草を吸う。景色は深い渓谷へと変わっており、列車の窓の向こうは深い谷になっていた。
反対側は切りたった崖であり、ここを超えれば中間地点の停車駅だ。
「それで、博士はどちらに?」
「バルベルビナまで」
「まあ、湖が綺麗な都市ですわね。私も一度行ったことがあります。あそこのフラッペクルッペは絶品ですわよ。私は、次の停車駅でおりてしまうのがもったいないくらいです」
フラッペクルッペ。バルベルビナの郷土料理だ。クルッペと呼ばれる独自のパンをフラッペと言うスープで食べる料理であったとハワードは記憶している。
「もしおいしい店でもあるのなら紹介してもらいたいですね」
「では、バルベルビナのウェイクストリートにあるコリオンというお店を訪ねてください一番おいしいお店でしたわ。
ついでにそこはお宿にもなっているので、バルベルビナで数日過ごすのであればそこを利用するのがよろしいかと。ブラヴァツキーの紹介だといえば少しは融通してくれると思いますよ」
「ありがとうございます」
「いいのですよ。博士がミュンヒハウゼン男爵の秘宝を見つけられること、祈っています。行きましょう諭吉。では、またいずれ」
エレナが席を立った瞬間だった。
「だれか、来た」
福沢がそういった。
その瞬間、爆裂音が列車に響き渡る。
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