第5話

「ちょっとぉ!?」


 突然の衝撃であったが、ミシェーラは巧く操縦し民家への激突をさけて車を走らせる。


「なんなのよ!」

 ミラーで後ろを確認すれば、ぶつかってきたのは黒塗りの車であることがわかった。さらにそれに乗っている奴らは仮面つけた黒づくめ。

 あからさまに怪しい輩。さらにその手には拳銃が握られている。エルミニーナ製の傑作拳銃――フロッグショットだ。蛙撃ちの名の通り、飛び跳ねる相手だろうと正確に当てられるという謳い文句の機関製自動拳銃。


 自動拳銃だと言って喉詰まりジャムに期待はできないだろう。

 安定性において回転弾倉リボルバーに劣るが、それでもエルミニーナのフロッグショットは傑作自動拳銃だ。

 整備不良でもない限り、あれらが喉詰まりを起こすことはない。そんな銃が向けられている。


「しっかりつかまっててよ!!」


 咄嗟に急ブレーキ。追走してきている相手の自動車への牽制。

 急ブレーキに相手も思わず急ブレーキを踏み、銃を撃つ隙を逃す。

 ミシェーラは即座にアクセルを踏み込んでの急加速。強化されたエンジンがうねりをあげて速度を上げる。

 一瞬引き離すも、それでもまだ追ってきている。


「なんなのあいつら!」

「父さん、心当たりは!」

「ありすぎるな」


 その時、ハワードの頬を弾丸がかすめていく。


「撃ってきた! ミシェーラ!」

「了解、フルスロットルで行くけど、大丈夫かしらジョージおじさん?」

「問題ない。このマシンは君用に改造したものだぞ? 君にしか運転できんし、パワーは既存の蒸気自動車をはるかに――」

「喋ってると舌噛みますよ!」


 ギアのシフトチェンジによって更なる加速に入る。内部機関にストックされていた蒸気石が火室に送り込まれ、膨大な熱量が発揮される。

 高まるエンジン音と駆動音。吐き出される蒸気が倍増し、熱量は増大の一途を辿る。陽炎揺らめくエンジンの咆哮とともに車は加速する。


 過ぎ去っていく景色。殺人的な暴風が乗り込んだハワードたちの顔面を打ち付けていく。

 色の洪水は凄まじく、されどその中で鏡の中の敵車両はまだぴったりと一定距離をついてきていた。


 それだけに飽き足らず銃撃までしてくる。歩道を歩く民間人に当たろうが、馬に当たろうが関係なしの発砲。

 昼下がりの大通りは阿鼻叫喚の地獄となる。前に出てくる車があれば速度で押しのけ、甚大な被害をもたらしながらこちらを追ってくる。


「見境なしか。アンナは頭を下げてな。ミシェーラ!」

「どこ!」

「ホールマルズ特別地区、ブラックメルブだ!」

「了解! 最短ルート!」

「左!」


 ハンドルが盛大に左へと切られ、横転するギリギリで交差点を左へ曲がる。


「次は右!」


 ミシェーラは次の交差点を右へとハンドルをきる。座席の中で左右へと攪拌されるジョージは堪ったものではない。


「ええい、年寄りをいたわらんか!」

「そういう文句はあとで! 次は!」

「目の前の階段を下れ!」

「なんじゃと!?」

「わぁあああ!?」


 加速したまま階段に突っ込む。段差による振動によって上下にも揺さぶられさすがのアンナも大声をあげて叫ばずにはいられなかった。

 そのまま車尾を振って右へ。


「まだ来てる?」

「ああ、まだ来てる!」

「しつっこい!」

「それだけ、こちらに何か執着があるんだろう」


 追われながらもハワードたちはブラックメルブへと入る。

 中央通りとは違い、人通りも車の通りも少ない。ここは貧民街の一つだ。ここには警察も早々立ち入ることがない。

 何より現在はここを活動の中心点としている切り裂きジャックのおかげで、本当に人通りがない。


「ここなら、こいつが撃てる」


 ハワードが腰裏のホルスターから拳銃を抜き放つ。

 鈍色の巨大に過ぎるリボルバー。巨人殺し。素早く弾丸が装填されていることを確認し構える。右手で保持。腕を車体に乗せることで安定させる。


「襲ってくるのならこちらも反撃させてもらう。アンナ耳を塞いでいろ!」


 アンナが耳を塞いだのを確認して撃鉄を降ろし引き金を引き絞る。

 直後、拳銃とは思えない轟音が響き渡り右腕が跳ね上がる。同時に追ってきている敵の車両が吹っ飛んだ。


 防弾対策が施されていたらしいが、そんなもの巨人殺しには意味がない。専用弾頭は、防弾加工によってフロントを貫通せずとも、莫大な物理エネルギーが敵車両をそのまま吹き飛ばす。敵車両が宙を舞い回転しながら落ちてきた。

 それを屋根の上から見ている影がある。黒の衣装にマント、奇術師のような山高帽をかぶった女。


「――やる」


 その女は、立っている建物の上から身を投げるように疾走を開始した。壁を走るがごとく、前方からやってきているハワードたちの車両へ向かって壁を蹴った。


「――うえ!」

「なに!?」


 ハワードは咄嗟に巨人殺しを向けるが、落下と言う名の加速を続ける女はそのまま彼の腕を身体を回して蹴った。

 すさまじい威力の蹴り。華奢な女からは想像もできぬ蹴りによって金属音同士がぶつかり合ったかのような高音を響かせて右腕が弾かれる。


 巨人殺しこそ落としはしないが、弾かれた腕を車に着地してくる。反撃不能。右腕は女に踏まれて動かせない。

 それから女は、加速を続ける車上に立ち、ハワードの右腕を踏みつけながら体幹をぶらすことなく彼を見下ろしたまま告げる。


「ハワード・カートナー博士。貴方が手に入れた手稿を渡してもらいたい」

「やはりこれが狙いか!」


 口元がマスクで覆われているためにハワードたちからは、彼女の顔は判然としないが、鷹の如き鋭い目が彼を睨み付ける。


「渡さない、と言ったら?」

「力づくでも」

「そうか。ミシェーラ!」

「!!」


 急ブレーキと急ハンドル。急制動からの急ハンドルによって車が盛大に右へと振られる。立っていた女の身体が射出されるかのように背後へと流れる。

 当然、脚の拘束は外れ右腕が自由になる。即座に巨人殺しを向けるが、女もまた一筋縄ではいかない。


 流れた身体を車体後部に手をついて固定し落下を防いだと同時に足の機構が展開され銃が姿を現してハワードの額へと向けられた。

 互いに互いの額に銃口を向け合う。


「おまえ――どれだけ機械だ」

「……ほとんど全部」


 彼女が掴んでいる車のフレームがひしゃげているところを見ると嘘ではない。


「全身義体じゃと!? なるほど、道理でハワードの腕をそんな細い脚で拘束できるわけだ。体重が足りないとは思ったが、見た目よりもはるかに重いのならば道理よ! しかし、完成していたのか! おお、もっとよく見せろ!」

「こんな時くらい黙っててくれ父さん!」


 ハワードの額を汗が流れる。ちらかが動けばどちらかが死ぬ。あとは、どちらが早く撃つかの速度勝負。巨人殺しに女の脚に内蔵された銃。どちらも一撃必殺を体現する威力を持っている。

 ゆえに、先に動いた方が勝つ。そう普通は思う。

 だが、現実は違う。


 巨人殺しは、一度撃鉄を降ろす必要がある。そのワンクッションが必要で、今、撃鉄は降りていない。

 対して、内蔵兵器は一瞬だ。想うだけで弾丸は射出される。


「…………」

「…………」


 刹那でしかないはずの、されど永遠にすら感じるような時間の中、ハワードは必死に突破口を探していた。

 そこで女の脚の内部機構の中にある歯車にある紋章を見つける。それは製作者が己を示すためにつけた刻印だろう。女の知らぬこと。素性を隠した者への突破口。


「――聞いていいか」

「…………」

「なぜ、手稿を欲しがる錬金術師」

「…………」


 女は一瞬、驚いて目を見開いた。


「――――っ!!」


 その瞬間、アンナが女へととびかかる。労働種の身体能力をいかんなく発揮し、車体を掴んでいる方とは反対の右腕へと噛みついた。 

 女は、それを振り張ろうとする。その一瞬がハワードにとっての勝機だ。撃鉄を降ろし、素早く女が車を掴んでいる左腕を撃った。


 撃発音と同時に女の腕に弾丸は命中し、肘から先をまるで食い破ったかのように爆ぜさせる。

 支えを失った女の身体が回転しながら宙へと、色の洪水の中へと落ちていく。


「まだ――!」


 女はそれでもまだ手稿を諦めてはいなかった。

 残った右腕が伸ばされる。束ねられた強靭なワイヤーによって射出された腕は、ハワードのトランクを掴み取る。


「くっ!」


 持っていかれる直前に、左手でトランクを掴み取る。相手の重さに引かれるが、右手で車体を掴んでなんとか固定した。

 ぎちぎちとトランクがハワードと女の間で軋む。


「ぐ――」


 拮抗は一瞬。女の重さと車の速度によって、トランクは一瞬にして強度限界を迎えて破壊される。

 開いたトランク。手稿が宙を舞う。


「っ!」


 慌ててトランクを離し、手稿へと手を伸ばす。あらゆる全てがスローになったかのように遅延する体感。

 伸ばしたハワードの手が取れたのは半分だけだった。バラバラにばらけたもう半分は、女の手の中にある。


 そのまま女は地面を転がって着地する。ハワードらの車は既に角を曲がり見えなくなった。


「…………」


 彼女の下に仮面の男が乗った車がやってくる。


「半分だけ。次はもう半分を手に入れる」


 女は車に乗り込み、車はそのままアンテルシアのいずこかへと消えた。


 ●


 ハワードらは、追ってこないのを見て息を吐いた。


「半分持っていかれた。奴らは一体なんなんだ」

「なんじゃハワード、錬金術師とか言っておったが、デタラメか?」

「ああ、それは本当だよ」


 ハワードはあの女の内部機関の歯車の中にとある刻印を発見した。円環蛇に五芒星。

 それは錬金術師たちがこぞって使用するマークだ。とある錬金術教団のシンボルでもある。


「そうなるとちと厄介かもしれんな」

「錬金術師が手稿を狙ってきたということは、この手稿には何か意味があるんだ」

「ならば行き先変更だ。知り合いの錬金術師のところに行くぞ。読めなければ意味のない手稿を錬金術師が狙うのならば彼らならば読めるということだ」

「どこです?」

「オルゴンストリートじゃ」


 行き先を変更する。高架道路を通りアンテルシア東地区にあるオルゴンストリートへ。そこはこの都市にあっては退廃の街と言われている。

 いわゆる娼館などが多い地区であり歓楽街というものであった。色付き機関街灯が立ち並び、猥雑さにかけてはこのアンテルシア随一を誇る。


 ここは歓楽の街。夜こそが本番という欲望の街だ。ありとあらゆる欲を満たす為の店がここにはある。

 表にも裏にも、地下にすら。知る人ぞ知る蒸気の供給が止まり冷やされた夜の蒸気管の中にだけ存在するという秘密の店すらもここには存在している。


 地下酒場は当たり前。欲望のはけ口たる娼館など掃いて捨てるほどにある。

 一部のコアなマニア向けの違法自動人形の店だとか、あるいは年端もいかぬ少年少女の店、殴り合いが出来る店なんかもどこかにはあるだろう。

 その果てに究極の禁忌である殺人すら金次第で行える店があるなどと、まことしやかにささやかれていたりする。


 ここで発散できない欲はない。ありとあらゆる欲望のはけ口。ここが楽園。紳士淑女が一夜の夢を金で買う場所だ。

 ハワードたちは、そんな歓楽街のほかのどこよりも綺麗に舗装されわずかな段差すらない石畳を歩いていた。


 しかし、欲望の街とは言えども、昼間であるために人通りは少ない。されど、歩く者、すれ違う者はいる。どいつもこいつも皆一様に仮面をつけている。ここにいる者は皆正体を隠している。

 

 都市広報や噂好きで、あることないこと新聞記事にできるほら吹き記者に見つかれば都市が立ち行かなくなるような大人物や紳士がここには来ているからだ。

 だからこそここでは皆、仮面をつける。誰も彼もが仮面をつけて他人を詮索しない。ここに犯罪者がいたとしてもわからないだろう。警察すら来ているのだから。


「おお、ここだここ」


 ジョージは、その一画にある建物の中へと入っていく。店だ。小さな工房のようである。ハワードはミシェーラたちと顔を見合わせてから後に続く。

 感じたのは薬の匂いだ。強い薬香が充満している。草花の乾燥した匂いから、動物の肝の腐った臭いまで。あまたの匂いが複雑に絡みあり、気分を悪くさせる。


「相変わらず酷い臭いだ」

「くさぃ」

「アンナちゃんは外で待ってる?」

「ううん」

「おーい、わしが来てやったぞ」


 ジョージはまったくこれに慣れているのか、気分を悪くした様子などなく、中に呼びかける。


「なんだい、騒々しいねぇ」


 出て来たのは老婆だった。いかにも物語の中に出てきそうな魔女の如き老婆。店の奥から現れたその姿は、ハワードたちにそう思わせる。

 アンナは、怖ろしいのかハワードのコートの裾をきゅっと握りしめた。


「おや、あんたかいジョージ。ここに来るってことは、何かまた厄介ごとでも抱えて来たかい?」

「ああそうだマロニー婆さん。ハワード、手稿を」


 ハワードは、店のカウンターの上に手稿を置く。マロニーと呼ばれた老婆は、しわくちゃの手でそれをとった。


「また懐かしいものだねぇ。いにしえの文字だ。誰もが嘘であると確信された虚構に失われたはずの文字だ」

「読めるか」

「ああ、読めるが。残りの半分はどうした。これでは意味をなさん。示すのはただの場所だけだ」

「つまり地図じゃと?」

「ああ、そうさ。失われた秘宝。真実を指し示す。ミュンヒハウゼンが遺したものに通じるための地図だとも」

「おお、まさしく求めていたものだ。出来れば翻訳してくれると助かる」

「いいだろう。久しぶりにこれを見せてもらったからねぇ。ただし礼をいただくよ」

「ハワード」

「少しは父さんが払ってくれよ」

「手持ちがない」


 ハワードは、カウンターの上の機械に自らのパンチカードを通す。


「口座からの引き落としです。金額はいつもの通りに」

「金払いが良い客は好きだよ、坊や。少し待っているといい。すぐに書き写してやろう」


 手稿を持ってマロニーが奥へと引っ込む。


「誰なの?」

「マロニー。この歓楽街で娼婦たちに薬を売っている婆さんだ」

「少なくともわしが子供のころからここにおる」

「うそでしょ? だって、それじゃあ彼女いったい何歳なの?」

「女の歳のことを詮索するんじゃないよお嬢ちゃん」


 引っ込んだマロニーが戻ってきた。


「終わったのか?」

「そんなわけあるかい。人のことを詮索する会話がしたから戻ってきたまでだよ。大人しくお茶でものんでな」


 カウンターの上に不揃いのカップで紅茶がいれられていた。そこから香る匂いは本当に紅茶なのかわからないようなものであった。

 ミシェーラが飲んでみれば案の定の味で思わず吐きそうになる。


「うぇぇ、なにこれ」

「婆さん特製の紅茶だな。飲まない方が賢い選択だ」

「だから、二人は飲んでないわけね。うぅ、アンナちゃんは飲まないでおきなさい」

「うん」


 しばらく待っていると、翻訳が終わって二つの紙束を持つマロニーが戻ってきた。


「そら受け取りな」

「おお、読めるぞ。確かに地図だが、ここは」


 ハワードが地図をのぞき込み、記された場所を見る。古都バルベルビナ。地図に示された名は、アンテルシアから蒸気機関車で三日ほどの距離にある湖のほとりにある街だった。


「すぐにバルベルビナへ行く準備をするぞ! ほれ、ハワード行くぞ!」

「ありがとうございます、マロニー」

「礼なら貰っているよ。さっさと帰りな。そろそろ娼婦どもが来る時間さね。そうそう。気を付けることだ。真実へ至る者にはいくつもの試練が用意されていると聞く」

「わかっています」

「ならいいんだけどねぇ」

「ハワード!」

「今行くよ!」


 ジョージの呼びかけがうるさいのでさっさと出る。


「さあ、ミシェーラ、早く帰って準備だ」

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