第11話

 観光に出たアンナとミシェーラは、駅にある観光案内所でもらったガイドブックを片手にバルベルビナを巡っていた。

 高架水路と通常の水路の二つが混じり合うこの都市は複雑に入り組んでいるため地図でもなければ初めて訪れた者は間違いなく迷う。


 目的地に行くために直線でいければいいのに、水路があるためいくつも橋を渡り、高架水路の支柱を迂回しなければならない。

 そのため非常に歩く。だが、そこらへんよくできているこのガイドマップは、順路を指定している。


 そこを通れば比較的短時間で目的地まで行けるような道を教えてくれるし何より、給水所となるバーが一定間隔で開いている。街角のバーは水替わりの酒を出す。

 蒸気機関文明はあらゆるものの機械化と発展の時代であるがそれによってもっとも大きな利益を得ているのが酒場だった。


 昔は氷でも取ってこなければ冷えた水や酒などといったものは出せなかったが冷蔵機関の開発によって今ではそれなりの酒場であれば冷えたビールなどを飲むことが出来る。

 歩き回った後の冷えた酒のうまさは格別で観光客は決まって順路の先々にあるバーで金を落としていく。


「ぷはぁ、うまい」

「んぇぇ、にがぃ」

「あはは、アンナちゃんはまだまだ子供だからねぇ」


 酒は水替わりだが子供の舌にはまだまだ合わないようだ。初めて飲んだというのもあるだろう。

 甘い方がいいだろうと、甘い酒を頼む。こちらも冷えた果実酒であり、非常に飲みやすい。


「ん、これおいしい」

「それは良かったわ。それで、どう? とりあえずそれなりにぐりーっと回ってみたけれど、興味のあるところあった?」


 まずはバルベルビナをぐるりと回ってみるコースを歩いてみた。

 一周といってもこの街は広いために、主要な場所だけであるが、中央広場の女神の噴水からぐるりと一周。市庁舎を通り、時計塔やバルベルビナ城などを見て回った。


 それから本格的に見て回るか、なにかショッピングでもしてみるかを決めるためにとりあえず見て回り、休憩としてバーに入って軽い食事と酒で喉と胃を喜ばせた。

 ミシェーラとしてはアンナに楽しんでほしいのでアンナに決めてもらいたいところなのえこうして聞いている。


「ん、ぜんぶ。みたことないものいっぱい。たのしい。ミシャ、どこいきたい?」

「そっかそっか。そりゃよかったよ。んー、私かぁ。私は、そうだなぁ」


 ガイドブックのバルベルビナの略地図を見る。さて、どこへ行こうか。

 アンナはきっとどこ行っても楽しそうにするだろうが、どうせならば本当に彼女が楽しいと思えるようなところに行きたいとミシェーラは思う。


「よーし、ならおいしいもの食べにいくのはどう?」


 ピクリと、ヘッドドレスの下の耳が動くミシェーラは確かに見た。

 それから服の下で尻尾がぶんぶんと振るわれているのも。労働種の耳と尻尾ほど物をいうものはない。


「よーし、それじゃあこの通りかな」


 ミシェーラは行き先を確認してバーを出る。その背を追うように白が動き始めた。


「…………」


 広々とした通りに出たところで、アンナの顔が険しいものに変わる。

 先ほどまでうきうきとしていた子供のような顔はどこかへと消え去った。今は、警戒する獣のように鋭い。

 すん、と鳴らした鼻は、ミシェーラと自分に向けられる害意の臭いをかぎ取った。


「どうかした?」

「……う、なにか、こっち見てる。だめ」

「……何人?」


 アンナの感覚の鋭さを知っているミシェーラは警戒を強める。表面上は努めていつも通りを装いながら楽し気にアンナと話をしながら小声で人数を問いかける。

 問われてアンナはもう一度、鼻を鳴らし耳を揺らす。

 感知できた人数は、二人だ。後ろからついてくる白と遠くからこちらを見ている害意の視線。複雑な臭いはとても分かりやすい。


「……ふたり」

「わかった。それじゃあ、あの曲がり角で」

「う、わかた」


 人込みに紛れ気が付かないフリをしながら二人は、曲がり角へ向かう。曲がり角を曲がる瞬間を狙って、走り出した。


「――!」


 追跡していた白い女であるところのヘルガ・クロックミストも走り出す。上流階級にあるまじき走るという行為であるが、それが仕事であるならば彼女はそれを容易く行う。


「給料分の追跡はしましょう」


 ここに彼女の自走蒸気兵器はない。スコーピオンはここにはない。このような高架水路の多い街であのような兵器は使えない。

 だからといって彼女の力が減じているわけでは断じてない。


 クロックミストの名は伊達ではないのだ。

 労働種の脚力と、一体何を行使しているのかミシェーラの経歴にも存在しな不可思議な加速。


 労働種と同じかそれ以上の加速でもって人波を走行する二人の影をヘルガ・クロックミストは追いかける。

 普通の人間の脚では追いつくことすら不可能だ。獣と徒競走などして勝てる人間などそれはもう人間ではない何かだ。

 ゆえにヘルガもまた、人間ではない――。


「加速開始」


 加速する。周囲の時を追い越して。


「――がぅ!!」


 それに反応したのは、アンナであった。人よりも数倍鋭い感覚によって、ヘルガが目の前に突如として出現し放った攻撃に対して超反応させた。

 振るわれた足刀の一撃をアンナは防ぐ。


「これに反応しますか。上方修正です」


 ヘルガは足刀を引き戻して後ろへと下がる。アンナの評価を上方修正しながらヘルガは己の要求を突きつける。


「どうかご同行願いますか?」

「また、あの手稿関係?」

「黙秘の権利を行使します」

「そう。なら逃げるだけよ。アンナちゃん、しっかりつかんでてよ!」

「うい!」

「逃がしま――」


 ミシェーラが笑った。

 その瞬間に巻き起こったのは、物理現象への反逆だった。天地があり、地へとヒトやモノは押し付けられる。

 人はそれを重力と呼ぶ。人が逃れるには莫大なまでのエネルギーが必要になるが――。


 今この瞬間、人は、重力という普遍的現象に反逆し、宙へと飛び上がっていた。それは跳躍などという一時的なものでないことはヘルガにはよくわかった。

 ミシェーラの腰につけられたポーチの中から取り出され、広げられた金属板の正体をヘルガは一目で看過する。


「それは、まさか、ケイヴァーライト!」

 ケイヴァーライト。

 それは月へとたどり着いた人類、奇矯な男ケイヴァーが、作り上げた重力を遮断する特殊な金属だ。


「しかしそれは、リトルストーンで失われたはず!」

「うん、子供のいたずらでね?」


 さらに製造法はこの惑星には伝わっていない。

 月から帰還したのはケイヴァーに同行した男と彼が作り上げた宇宙船たる球体のみ。その球体も子供のいたずらにより失われたはずだった。


「その子供が私だったりしてね」


 金属板により重力を振り切り上昇した彼女らは既にこのバルベルビナの建物よりもはるかに高い位置にいる。

 彼女が持つ球体、それは宇宙船のパーツ。巻き上げ式シャッターの形に加工されたケイヴァーライトそのもの。

 それを空飛ぶ絨毯のような大きさまで切り取ったのがミシェーラの持つケイヴァーライトだ。


「じゃ、そういうわけでさようならヘルガさん?」


 波乗りの要領であまり飛び上がりすぎず、一定の高度を保ちながら漂うように逃走を開始するミシェーラとアンナ。

 あそこまで飛び上がられてしまっては人間ではどうしようもない。企業複合体としては、あの金属板はぜひとも欲しいところであり傷つけるわけにはいかない。

 よって銃撃をするわけにもいかない。


「その真なる価値、知らない者に渡しておくわけにはいきません」


 ケイヴァーライトはその使い方によっては無限のエネルギーを生むことにもつながる。

 より正確に言うならば宇宙航行における無制限の動力源になりうる。

 それらの説明足り得る光速度不変原理や慣性・重力質量の等価原理、相対性の一般化などの理論は碩学ならざる身のヘルガでは理解できたものではないが、企業複合体から伝わった共鳴通信による判断は捕縛。

 それも一切ケイヴァーライトに傷をつけないでだ。


「仕方ありません。使います」


 よって彼女もまた己に赦された権能の全てを使うことを決意する。煤除け傘を投げ捨てて、白い服に煤が付くのも厭わずに、彼女は己のベルトに装着された機械を駆動する。


 複数の真空管とスロットからなる歯車機械。それに懐から取り出したある物質を装着する。回転する歯車、ケノトロンの輝きがあたりを満たすと同時。


「加速開始――」


 ヘルガの姿はその場から消え失せた。


「消えた――?」

「いいえ、存在しています」

「っ!?」


 消えたヘルガは、目の前にいた。

 それも飛行機間オーニソプターに乗っている。彼女はそんなもの持っていなかった。

 いったい、どこからそれを手に入れてきたのか。いいや、そもそもあの一瞬でどうやってここまで来たのか。


「あるとすれば――」


 彼女の腰で輝き動作している機械か。


「イエス。なるほどどうして馬鹿ではないようで安心しました」

「なんなのそれ」

「貴女の持っているものとある意味で同質のものかもしれません」


 それは時間遡行物質。プラトナーライトとでも呼ぼうか。

 ともあれ、未だ解明されていない物質だ。それは光を通すと、その流れが変わる不可思議な鉱石であるとヘルガは認識している。


 これこそが彼女の名、クロックミストの代名詞。時を惑わせる霧。つまるところ、彼女は時を操ることが出来ると思っていればいい。

 より正確に言えばただ時間を遡ったり、先へ進んだりすることが出来るだけのものだ。


 試作品も試作品であり、どれほど過去に遡れるか、未来へ行けるかは時間遡行物質の量次第であり、分量を間違えれば最悪の場所に行ってしまう事もあり得る。

 だが、間違えなければ過去を変えることも、未来を視ることも可能。


「過去に戻って、飛行機械とってきたってこと」

「イエス。これで形勢は逆転です。ただ漂うことしかできない貴女方に勝ち目はありません」

「ふーん、それならどうして最初から使わなかったのかなー」

「……」

「それ、早々使えないんじゃない? あるいは、あまり使いたくない事情があるとか」

「……答える義務はありません」

「答え言ってるようなものだね!」


 ケイヴァーライトをたたむ。重力遮断物質をたたむことでその機能を大幅に制限、アンナとミシェーラは落下する。


「ちっ!」


 だが、飛び降りたのならば、追えばいい。重力は平等だ。

 オーニソプターから飛び降りて、ヘルガはいつの間にか近づいていた時計塔の壁を走る。


 殺人的な加速が連なって景色が色の洪水と化す。鼓動は早鐘をうちつけ、今にも破裂しそうなほどだが、目の前の標的を逃がすわけにはいかない。

 ミシェーラが言った通り、時間遡行など早々できるものではない。本来ならば大規模な装置を用いる必要があるところを、機能を大幅に制限して使用している。


 ヘルガが持つこの装置は、過去に行くことが出来る。それだけに機能を絞っている。そのために調整は時間遡行物質の量でのみ。

 間違えれば過去に行き過ぎる。そして、重要なのはこれは戻れないということだ。過去に行ったら現在に戻れない。現在時刻まで戻るのは普通に時を過ごすしかない。つまり寿命を縮める。


 これを連続で行うことなど給料分をはるかに超過する。一回くらいならばいいだろう。数時間分だ。

 だが、それが積み重なればいつかはきっとズレに殺される。もし万が一、自分が歴史に干渉でもすれば猟犬に襲われることは同僚が証明している。

 ゆえに、短時間、現在までに起きた事象を極力変えずに動く必要が出てくる。そんな面倒なもの何度も使えるはずがないだろう。


「しかし、それがなくとも、クロックミストの名が伊達でないことを教えましょう」


 クロックミストの名は、何もただ過去に戻れるからだからではないのだから。時間遡行物質とはまた別。

 このケノトロンを含めた永久機関の超過駆動を使用する。


 真空管ケノトロンに増幅されたエネルギーが機関を超過駆動させる。超過駆動した永久機関はただただ加速しながら回り続ける。

 それが時を振り切るほどに加速した時、ヘルガは、時の支配者となる。


 致死量の加速によって生じていたはずの色彩の渦が突然現実へと立ち戻る。あらゆる加速が無意味の中へ落とされた。

 ヘルガは目標を見る。再びケイヴァーライトを広げて減速するつもりだろう。させない。


 そのままヘルガは、二人へと突っ込む。

 そこで加速は終わる。再び戻る色の洪水。そのままミシェーラへと放つ攻撃は足刀だ。


「ぅぅ!!」


 それに反応するのはやはりアンナだった。超加速からの攻撃であったが、見事に労働種の感覚は加速したヘルガを捉えていた。


「本当に!!」

「だめ!」

「アンナ!」


 広げたケイヴァーライトにより、再び重力のくびきから遮断されて上昇を開始する。今度はヘルガもそれにつかまった。

 しかし、重力は平等だ。だからこそ、重力遮断物質の差は大きい。いかに時間遡行によって過去から準備したとしても、この差を覆すのは容易ではない。


 何より――。


(ケイヴァーライト、その本質は重力遮断などでも、無制限のエネルギーなどでもない)


 それは時すらも自在に操ること。

 ヘルガの持つ仮初の時間遡行物質などわけもない完全なる上位互換だ。いかに過去に戻ろうとも、それにだけは干渉することは出来ない。

 なにより、何度も言うが過去の改変というのは実にデリケートな問題であり猟犬に追われるリスクは常にある。


 それは、鋭角から現れる悪魔の猟犬。

 そんなものに追われてしまっては正気を失い狂い死ぬ。前任者たちが何度もそれに喰われてきたのを知っている。


「ですが――クロックミストの名を持ち出した以上、逃がすつもりはありません」

「ああうん、私たちも逃げるのは諦めたよ」


 ヘルガが引けないことはミシェーラにもわかった。


「だから、私も本気を出そうかなって。これで逃げられたらわけなかったんだけど、そういうわけにもいかないみたいだからね」


 パチンとミシェーラが指を鳴らす。


「さてさて、さあさあ、どうぞお立合い。なんでも運転できるお姉さんの本業をお知らせしましょう!」


 どこからともなく飛んでくる箒。古めかしい箒だった。もう一つ指を鳴らせば、ミシェーラの姿が変わる。

 とんがり三角帽子に黒いマント。略式ではあるが、それは魔女の聖装だった。


「なんと、私は魔女なのでしたー」

「わー」


 ぱちぱちとアンナの拍手が響き渡る。


「魔女、ですって?」


 それはおかしいだろう。


「魔女狩りで駆逐されたはず」


 魔女裁判と異端審問官の活躍によって、数百人もの魔女が火あぶりにされたのを知ってる。

 今の時代、魔女や魔法といった幻想は駆逐された。古の巨人はこの平面世界のどこにもいない。いないのだ。


「ほとんどが海の向こう側に消えたはず、だって顔してるね。ホームズ氏のおかげで、今の時代幻想ってのはどこにも居場所がないからねぇ。当たり前か」


 労働種は数少ない幻想の一つでもある。人の手に残ったわずかなりし幻想は、錬金術や労働種といった諸々の事象のみだ。

 他の幻想、かつてこの世界を闊歩していたとされる恐竜ドラゴンや怪物は、今や都市の暗がりに僅かに残るばかりだ。


 都市伝説となり下がった幻想はいつしか忘れられ消えていくのみ。魔女などその最もたるもの。いいや、既に絶えたはずのものだった。


「でも、絶えることはないんだよ。この世界からそういった幻想が絶えることはない。裏側にいっているだけなんだよ。ま、私は楽しいからこっちにいるんだけど」


 指を鳴らせば、ケイヴァーライトは消え失せる。

 落下を始める三人であるが、箒につかまっているミシェーラは重力の影響を受けない。


 魔女の魔法は、いずれ人類が獲得する技術の先取りだ。よってアレもまたケイヴァーライトと同じく重力を遮断する。

 それにつかまっているミシェーラと彼女が捕まえているアンナはそのまま空中に残るがヘルガは落下する。ヘルガはその身体機能のままに危なげなく着地する。


「それじゃーねー」


 悠々とこの場を後にしようとする二人を見て、ローガンは大手を振って笑っていた。


「はは。ははははは! 魔女! 魔女だと! 獣、魔女、クロックミスト、何たる組み合わせか!」


 アパルトメントの屋上で、ローガンは嗤う。計画の遂行、計画の不備、計画の遅延などもはやどうでもいいのだ。


「しかし、そうなると計画に変更が必要だな。クロックミストを下げさせるか。人質などどうでもいい。何より、元より、僕はミュンヒハウゼンの秘宝なんてものに興味はないからね。そっちはクロックミストに任せよう。僕は魔女とシンデレラ、それから狼を狙うとしよう」


 よって、バルベルビナにおける初戦はこれにて終了となる。勝者もなければ敗者もいない。

 しかして、それは引き分けなどではなくこれから始まるミュンヒハウゼンの秘宝争奪戦の最終幕の始まりの暗示であった。

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